矛盾ケヴァット

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【キコニア】COUのスパイ割り出しと、『大浴場共和国』構想

またまた(主にバンドリにかまけたせいで)キコニア記事は間隔が開いてしまいました。直近でキコニアについて考察したパラレルゲームマスター記事にて、次は当該記事の後編になると予告しましたが、嘘をつきました。上記記事の最後に追記はしておいたのですが、駒の定義が出来ずにいるため、後編記事は無期限凍結とします。うーん、無念!

そんなわけで久々のキコニアリハビリ記事は、初心に立ち返ってスパイの割り出しを行いたいと思います。現状、僕の考察ではギュンヒルド、レア、ヌールの3名をジェストレス配下のスパイとして断定しており、レアとヌールについては上記の記事でその根拠も記述しています。そして今回、延期前のPhase2発売日直前になってようやく、COUのスパイ割り出しにも成功しました。ある程度、根拠も説得力のあるものになっているかと自負しています。

 

勿体ぶることでもないので結論から述べますが、COUのスパイはアイシャです。『預言の刻』の章で大浴場騎士団の掟よりも保身を優先した態度からも怪しさ満点でしたので「なーんだやっぱり」と思われるかもしれません。しかし、大浴場騎士団に懐疑的だった人物はコーシュカやスジャータなど他にも存在しますし、アイシャがジェストレスと繋がっていなくても、元々都雄を信用しておらず戦争で武勲を上げるつもりの人物だったとしても何の不都合もありません。あの一連の言動だけでスパイと決めつけるには、あまりにも動機や証拠として弱いと言わざるを得ないのです。

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今回、アイシャをスパイと断定する決め手となったは例の自己保身に走るシーンではなく、『平和の価値と本当の重み』の章に登場した上記のセリフでした。このセリフは「戦争を面白半分で煽り立てる連中の頭を冷やす術はないのか」という都雄の発言への返答であり、皮肉交じりながら大変違和感のあるものです。

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陣営が違うとはいえ、AOU日本では戦争慎重派の防衛大臣への暗殺未遂が起き、その後醜聞がリークされるなど、今の社会情勢でクリーンな政治力が作用しているとは到底言えない状況です*1。ましてやアイシャはカネとコネが物を言うCOUの人間であり、そんな陣営で育った人間が「この戦争まっしぐらな社会を政治で食い止める!」などという理想を持ち得るとも思えません。アイシャのこの発言は現状の異常な社会の動向を踏まえるならあり得ず、平時でもCOUというお国柄からあり得ない、二重に違和感のあるセリフなのです。

だからと言ってジェストレスのスパイだと決めつけるのもまだ早計です。アイシャが第九最上騎士団に属しているならば、三人の王が権力中枢を完全に牛耳っていて、表面的な政治力は完全に無力だと知っているはずです*2。うーん、これは困ったことになりました。スパイでないとしてもこのアイシャの発言は不自然なのですが、スパイだと仮定すると更に不自然ということになってしまいます。

皮肉屋のアイシャのことなので、これを本心からの言葉だと受け取るのは確かに問題なのですが、だからと言って会話の流れから当たり前に出てくる発言とは思えません。この発言にはきちんとした意図があると考えるべきです。

 

 

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結局、答えはキコニアのテキストにありました。アイシャの発言の直後、ギュンヒルドがこれに同調しています。地味な描写ではありますが、先程の議論を踏まえればこれは極めて重要です。スパイでなくても不自然極まりないアイシャの発言に、スパイ濃厚なギュンヒルドが同調しているわけなのですから*3

詳細を触れるのは避けますが、ギュンヒルドの立ち位置はジェストレスのスパイだが、面従腹背して独自の勝利条件を持っていると考えています*4。では、アイシャもギュンヒルドと同じ立場なら? 即ち、三人の王およびジェストレスの企みをある程度知れる立場を利用して、それをぶち壊そうとしていると考えたら、実のところアイシャの政治家転向発言は驚くほどあっさりと説明できてしまいます。

考え方を変えましょう。三人の王によって牛耳られているのは既存の政治力です。アイシャの発言に違和感があったのは、「既存の政治力のもとで政治家になれ」という意味で解釈するからでした。そういうチンケなスケールではなく、ガントレットナイトによる独立国家を作るくらいの新しい政治力を持つ必要があるという意味であれば、その実現可能性はともかく、発言の違和感はなくなります。新しい政治力ならば今の社会情勢やCOUの政治腐敗と擦り合わせる必要はありませんし、三人の王の権力の大きさをむしろ正しく理解しているものと言えます。今こそ、ガントレットナイトが一致団結し、第6の国家として三人の王に立ち向かうべきなのです。ウオオオオ、建国するぞ、大浴場共和国!!!

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現状では、大浴場共和国の建国には大きな足枷が存在しています。ガントレットナイトの強さを裏付けているのは言うまでもなくガントレットであり、そのガントレットを管理しているのは国家です。それ故にガントレットナイト達は国家の支配を逃れられずに苦しんでいるわけですが、逆に言えばガントレットの管理権さえ国家から剥奪できればガントレットナイトは正真正銘自由ということでもあります。

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よくよく考えれば、フィーアの地下研究所、そしてラストで鈴姫が装着していた黄金聖衣のようなガントレットは5つの国家とは無関係です。これは即ち、ガントレットの管理が必ずしも国家による必要がないことを意味しています。この他にもセシャトのガントレットなども5陣営とは違った独自のデザインでしたし、やはり当然に国家に管理されていないものでしょう。

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そして鈴姫のセリフにも注目が必要です。鈴姫が黄金聖衣ガントレットを装着するに至った一番の動機は仲間の死を背負うことであり、『預言の刻』で仲間の死を背負うよう焚き付けたのは誰あろうアイシャでした。このことから、アイシャの所属はフィーアの地下研究所陣営と結論付けられます。既存の国家以外の政治力に価値を感じているアイシャにとって、既存の国家以外の組織に管理されるガントレットを保持する地下研究所こそが、本質的に忠誠を誓える陣営なのです*5

 

以上が、COUに潜り込んだジェストレスのスパイをアイシャだと断定する根拠になります。これにより、AOU:ギュンヒルド、COU:アイシャ、ABN:レア、ACR:ヌールという形で、僕の各陣営のスパイ考察が出揃いました。以前の記事でも述べましたが、ジェストレスが潜伏させたスパイは各陣営に最低でも1人と読むべきですし、LATOの2人がスパイでないとも限らないため、スパイ探しがこれで終わったわけではありません。とはいえ、これまでずっと導出できなかったCOUのスパイが割り出せたことに、ひとまずの安堵感を覚えています。

最後に、補足になりますが、大浴場共和国ことDYJ*6が本当に建国できそうだという可能性を1つ指し示し、本記事を締めくくりたいと思います。

実のところ、ガントレットナイトの能力においてガントレットはただの飾りの可能性すらあると僕は考えています。上記の記事で一度考察したのですが、少なくともディメンジョンコンテナとリジェクションシールドはガントレットに依存しない技術です。この記事では8MS制御と兵器管制についてはガントレットから切り離さずにおきましたが、それらがガントレットと無関係の技術だったとしても何の驚きもありません。ガントレットナイト技術の本質は8MS、セルコン、そして子供達の高P3値であり、言ってしまえば、ガントレット子供達にお前らは国家の管理下にあるんだと自覚させる首輪としての機能が最も強いようにすら思えます。ガントレットを装着しないとガントレットナイトではないという固定観念を捨てた時にこそ、子供達から首輪が取れ、本当の意味での自由の翼が与えられるのです。

とはいえガントレットが国家から子供達への首輪になっているように、セルコンもマザーコンピューターから人類への首輪になっているとは思うのですが……。

 

*1:当該暗殺描写は『世界同時多発紛争』の章であり、時系列的にもアイシャのセリフより2週間ほど前のことにです。

*2:ジェストレスが三人の王の存在まで手駒のスパイに公開しているかは疑問の余地がありますが、少なくとも自分達の所属している騎士団が世界を大きく動かす権力に深く繋がっていることくらいは知っていないと活動に支障が出るでしょう。

*3:陣営の違うアイシャが柚木防衛大臣の暗殺を知らなくても情報統制などでギリギリ説明がつきますが、ギュンヒルドがそれを知らないのはいくら何でも通用せず、この同調はアイシャ以上に不自然です。

*4:実のところ、僕もギュンヒルドの勝利条件についてきちんと考察できているわけではありません。ただ、今回の記事がそのヒントになりそうですし、今後ギュンヒルドについても細部を詰めたいところです。

*5:この結論は、ジェストレスとフィーアが対立関係にあるという前提に基づいています。

*6:Dai Yoku Jou

【キコニア】キコニアのゲーム盤は「パラレルゲームマスター」である

(※2020/5/24追記)

現時点において、本記事は”デタラメ”であったと自省しています。ですが、後の考察記事の足がかりになったことも事実であり、自戒の意味と、そして資料的価値はあると考え、記事自体は残しておくことにしました。

 

またもやキコニア記事は随分と間隔が空いてしまいました。それもこれもバンドリが楽しすぎるのと、最近趣味でお絵描きなんかも始めた影響ですね。Pixivに上げたりもしているので良ければ探してみて下さい。その結果、2月中にはキコニアPhase1の4周目を完遂しているつもりだったのに、3月になってもまだ突入すら出来ていません。こんなはずじゃなかったのに……。

とはいえ、キコニアを忘れてキラキラドキドキしていたわけではありません。むしろ、思考の迷路で右往左往していたからこそブログ記事を上げられなかったところが大きかったりします。しかし、遂にその迷路から抜け出し、そればかりかキコニアの核心ではないかというアイデアを思いつくことにも成功しました。本記事では、そんな自信のある説を発表します。

 

キコニア生まれとVR世界の相性の悪さ

冒頭でも述べたように、ここ最近の僕はキコニア考察に行き詰まっていたわけですが、何故かというとキコニア世界全体がVR世界だとは容認できないということを最大のアキレス腱としていたためでした。キコニアにVR世界が関与することは否定しません。ガントレットナイトの試合や訓練は基本的にシミュレーター内で行われていたこと、脳髄ぶっこ抜き工場の末に訪れる<天国>の存在、クリスマスパーティでガントレットナイト達が肉体の放棄を望んでいたこと等、VR世界を思わせる描写には枚挙に暇がなく、これがキコニアに関与しないと言い張るのは無理があるでしょう。ただ、それが部分的なものであれば良いのですが、キコニア世界全体にまで及んでしまうことだけは避けねばならない事情があります。キコニア世界全体がVRであるとすると、キコニア生まれであるか否かというテーマ性を破壊してしまうのです。

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AOUにおいては希少なキコニア生まれである都雄が、周囲との出自の違いで苦悩している姿、そしてそれを受け止め認めようという多様性の精神は、本作の重要なテーマと言うべきものです。ですが、この世界がVR世界であるとするとどうなるでしょうか? キコニア生まれか工場生まれかにかかわらず電子データに変換されて生を受けるわけですから、登場人物全員の出自が同質性を帯びることとなってしまい、Phase1を通して描かれた都雄の生い立ちにおける苦悩がたちまちの内に陳腐化してしまいます。お前はキコニア生まれっていう”設定”なだけだよ、何悩んでんの?wと嘲笑すべきものになってしまうわけです*1。実は仮想世界でした~をやった同様の作品としてスターオーシャン3ダンガンロンパV3などがあるわけですが、そうした作品だって「俺たちの存在って何だったんだよ!」はやったけれども「この作品のテーマって何だったんだよ!」は流石にやっていません。テーマ性の破壊は、ロジックエラーよりも遥かに致命的な、物語の破綻と言って良いものです。それを前提とした考察には、どうしても僕は賛同できませんでした。

とはいえ、なごみさんの上記の考察などは非常に素晴らしいと思えるものでした。ジェイデンの人となり、動機の全てを織り込めており、本来ならば全面的に賛同したいのです。世界全体がシミュレーターであるという部分を除いては

逆に言えば、キコニア生まれというテーマ性を破壊せずに実現できるVR世界であれば、僕は諸手を挙げて賛成に回れるところでもありました。なので、何か無いかと考えていたのです。キコニア生まれと工場生まれという出生の差異に意味があり、かつ世界全体をVR化できるような、そんな二律背反を実現した設定が……。

 

世界をパラレルプロセッシングする

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答えはやはりキコニアのテキストの中にありました。パラレルプロセッシングガントレットナイトを扱える子供達に備わった同時並行的に物事を処理する能力のことを指しますが、転じて異論すらもひとまずは留め置いてその両者を吟味して議論していく、藤治郎が人類に求めた姿勢でもあります。つまりは全体がVRな世界も肉体が存在する世界も片方しかあり得ないと考えるのではなく、同時並行的に存在すると考えれば良いわけです。やったね!

と来れば、うみねこのような下位とメタの多層世界だとか、あるいはもっとシンプルに並行世界だとかの構造が思いつくわけですが、これらのパターンは事前に否定しておかなくてはなりません。まず、うみねこ多層世界は前章で述べたように肉体を持った都雄達(メタ)の出自がVR化(下位)される際に電子データに写像される段階でその存在の誕生が同質化されるわけですから、テーマ性の破壊を回避できません。並行世界となるともっと問題で、肉体のある都雄とVR世界の都雄は全く別人と言って良いため、その出自が互いに影響しないものになります。キコニア生まれというテーマ性をVR世界設定と両立するためには、VR都雄の出自と肉体を持つ都雄の出自が地続きである必要があるのです。いいえ、これだけ出生をテーマにしている作品なのですから、都雄だけでなく、全ての人物にそれが適用される必要があるでしょう。

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もっと言えば、それぞれの世界は並行して存在しても良いのですが、それぞれの世界同士が相互干渉的である必要があります。最悪、干渉は不可能でもいいのですが、上の水槽の壁の比喩にもあるように、最低限、相互観測が可能である必要があると言えます。シュレディンガーの猫箱の例もあるように観測さえできれば互いの世界は影響し合えますし、作中で語られた多様性というテーマにも合致します。並行世界のようにお互いが無関係でいるのではなく、多層世界のように片方がもう片方を一方的に使役するのでもない。たとえ間に壁があっても、お互いがお互いの存在を認め合い、侵食はせず、時には影響し合う。そんな仕切られた世界群こそが、多様性を丁寧に描写したキコニアの構造として相応しいものではないでしょうか。

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ですが、作中でも何度も「プレイヤーと駒」の概念が登場します。であれば、Phase1で語られた世界はうみねこと同様のゲーム盤であり、駒たる都雄達を操作するプレイヤーがメタ世界にいると考える方が自然なようにも思えます。ゲーム盤の目的が対戦であるならばの話ですが

ここは発想を柔軟にしていきましょう。世に存在するゲームは、何も対戦を目的としたものばかりではありません。ハイスコアに挑戦するためだったり、恋愛を疑似体験するためだったり、考察を楽しむためだったり、仮想体験を作成するためだったりと様々です。であれば、キコニアのゲーム盤について、こういう想定も可能です。世界を創造することが目的のゲームなのではないかと。

 

創造主をパラレルプロセッシングする

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作中でも預言書として存在感を放っている聖イオアンニスの黙示録。その元ネタは言うまでもなくヨハネの黙示録なわけですが、これを聖典とするキリスト教において、世界は唯一絶対の神が7日かけて創造したとされています*2創造主は常に1人。それがキリスト教の、というよりはABN統一宗教の源流である三大宗教の基本原理です。うーん、これはいけませんね。パラレルプロセッシングが足りない!

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AOUガントレットナイト達が仮想体験を作成して遊んでいたことの延長として、世界そのものを自由に創造するゲーム盤を考えます。であれば、”プレイヤー”は創造主に当たりますし、その創造主は何人でも存在できることになります。

というか、世界を創造できる人間は、むしろ”プレイヤー”よりもゲームマスターと呼ぶべき存在でしょう。つまり、ゲームマスターすらも複数、それも同時に存在しているのです。そんな多数のゲームマスターがそれぞれ思い思いに世界を創造し、それぞれの世がまだら模様のように混ざり合い、混沌としている……それこそがキコニアの世界観であり、ゲーム盤なのではないでしょうか。

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うみねこのゲーム盤もそのルールを完全に理解すれば誰でもゲームマスターへの就任が可能で、実際にEP5以降はベアト以外の人物がゲームマスターを務めました。その意味では複数のゲームマスターがいたと言えますが、やはり1つのゲームにゲームマスターは1人というのが絶対条件でした。ですが、キコニアは違います。ゲームマスターが同時に、何人でも存在できるのです。創造主の、そしてゲームマスターのパラレルプロセッシング、前作・うみねこを超えるゲーム盤としては、納得のスケールであると考えられます。

また、先程うみねこ式の多層世界を否定しておきました。本作にメタ世界は存在しない、存在していたとしても下位世界との相互観測が可能でなければならないと考えられるため、前作のようにゲームマスターは下位世界で起きる惨劇から無関係ではいられません。つまり、キコニアのゲームマスターは駒を兼ねます。世界を創造しているゲームマスターが、別のゲームマスターの創造する世界から影響を受けることもあるでしょう。そもそも、ゲームマスターにとって他のゲームマスターとただの駒を区別できません

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 100億存在する人類の誰がゲームマスターを兼ねているのか分からないゲームマスターすらもそんな境遇に置かれているわけです。藤治郎はチェスにたとえましたが、対戦相手が着席してくれたか分からないのも当然でしょう。対戦相手の概念が存在しないゲームなのですから。ただし、ゲームマスターは駒でもあるため、他のゲームマスターの世界創造力によって盤外に追いやられる危険性は常に隣り合わせです。他のゲームマスターの作り出す世界を否定するために、ゲームマスターを直接攻撃することができる。その意味では、本質的には対戦ゲームではないものの、対戦ゲームのように振る舞うこともできるゲーム盤でもあると言えます。

ゲームのルール?難易度?私たちが決めるし、あんたには関係ない。

お前たちは取ったり取られたりして、私たちが喜ぶような喜怒哀楽を見せればいい。

いいこと?勘違いしないことよ。

 

お前は私の対戦相手じゃない。私を楽しませる為の、駒に過ぎないの。

今度のゲームは、

あんたにプレイヤーの席なんか与えない!

以上の考察を踏まえれば、公式サイトのあらすじのラスト2段は極めて明瞭になります。

まず、前段の主語が「私たち」、後段の主語が「私」へと変化していることに注目すべきでしょう。前段は語り部(私)が複数いるゲームマスター(私たち)の立場を代表して駒(お前たち)を牽制したものです。ゲームマスターはただの駒と違って、世界を創造する能力を持っています。その遥かな優越感から、無力な駒たちを見下し、己の立場を弁えさせるような態度を取っているわけです。うみねこの公式文書にもよく見られた形式かと思います。

一方で、後段になると挑発する相手が「お前」および「あんた」という単数形の存在に切り替わります。後段は他のゲームマスター(お前、あんた)も、語り部(私)から観れば駒なのだと宣言しているものです。とはいえ、これはどちらかと言えば驕慢というよりも虚勢に近いものがあると思われます。語り部本人とて他のゲームマスターから見れば駒同然の存在なのですから、語り部も他のゲームマスターの世界創造力によって”取られる”危険性を払拭できないのです。

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黙示録を著した”神の代理人”とやらは確かに着席したそうですが、それがプレイヤーの席であるとまでは言われていません。プレイヤーの席なんかそもそも存在していない、そして、ゲームマスター自身も、他のゲームマスターの世界創造力に振り回される駒と同義。そんなゲーム盤の仕組みを端的に表したあらすじであると言えるでしょう。

分からないのは、前段・後段の両方に登場している「あんた」でしょうか。いわゆる竜騎士ノイズである可能性も否定はできないのですが、「お前」と「お前たち」の使い分けがされていることを加味するならば、「あんた」の用法にも明確な意図があり、語り部や駒や他のゲームマスターとは別個の存在であると考えたいところです。

 

世界創造の手段をパラレルプロセッシングする

さて、この記事はキコニア生まれ設定とVR世界設定の相性が悪すぎるという問題から始まったのでした。じゃあ世界も創造主もパラレルならその問題が解決できるのかという話になるのですが、出来ます。もうここまで来たらあとは単純で、現実世界を創造しているゲームマスターVR世界を創造しているゲームマスターが同時に存在すれば良いだけです。多様な創造主=ゲームマスターが存在しているのですから、世界創造の手段もやはり同様にパラレルと考えるべきでしょう。

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ちなみにこの記事は前後編に分割した記事の前編なので(えっ!?)、詳しくは後編の方に書くつもりですが、ジェイデンはおそらくVR世界を作り出しています。僕がVR世界設定に難色を示してきた原因は、VR世界になってしまうとキコニア生まれか否かの出自が無意味化されてしまうためでしたが、創造主が複数いる設定のもとではそれがむしろ強力な説得力へと転換します。都雄が苦悩してきた出自の違いが、VR世界では無意味化”できる”のです。都雄ちゃんを苦しめてきた世界を否定するための、VR世界創造。そしてこのゲーム盤では他のゲームマスターが駒をも兼ねるので、現実世界を作り出しているゲームマスターを盤面から排除すれば世界全体の完全VR化が実現できます。これこそが、Phase2の次回予告にてジェイデンが都雄ちゃんのためにと独善的に作り上げた「お前が望んだ世界」ではないかと思います。

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ゲーム盤からの他のゲームマスターを排除する上で最も有効な手段は、やはり殺害です。しかし、それではその人物の駒としての資格も失われてしまいます。その点、脳髄ぶっこ抜き工場はゲームマスターの資格を失わせつつ駒としての資格だけを残す上で極めて有効な手段です。脳髄をぶっこ抜かれた人間は、もはや肉体世界を観測できずVR世界しか観測できなくなります。これはうみねこのメタ世界(現実世界)と下位世界(VR世界)の構造と同じであり、VR世界のみに囚えてしまえばゲームマスターとしての資格は失わせたも同然です。このようにしてVR世界を実現している人物もいると考えるべきでしょう。ただし、目的は一致しているもののこれを目論んでいるのはジェイデンではなく、ジェストレスであると僕は考えています。この辺も詳しくは後編でやりたいところです。

(2020/3/7追記)

「脳髄ぶっこ抜き工場でゲームマスターの資格を剥奪しつつ駒の資格を残せる」はおそらく間違った記述だろうと後に気づいたため、打ち消しました。藤治郎の元嫁が駒を辞められていること、先天性PPの別人格の存在を考慮する必要があることを踏まえるなら、駒の定義が必要です。現時点では僕もその定義ができていないため、駒の資格については何も述べることができない状態です。なお、脳髄ぶっこ抜き工場を目論んでいるのがジェストレスである点は変わらず主張しておきます。

また、現実とVRばかりを考えてきましたが、セルコンを使えばAR世界の創造も可能です。全人類がセルコンで観測される世界を疑わなくなれば、それはセルコンを牛耳る者が全ての情報を司ったも同然。僕はそれこそが文明の終端だと考えていますし、文明の終端にやってくるアイツとは、ケロポヨたちの”奥様”たるマザーコンピューターだと考えています。

 

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以上が、キコニアのなく頃にのゲーム盤に対する僕の仮説となります。

同時発売のうみねこ咲では、没キャラのウェルギリアスが露骨な名探偵コナンパロをかましてくるシーンが見受けられましたが、名探偵コナンの代表的なセリフと言えば、「真実は、いつも1つ!」です。スクリーンショットにもある通り、うみねこの真実は1つではありませんでした。キコニアはこの『1つだと思われていたものが複数あった』を更に巨大なスケールでやろうとしているのではないでしょうか。世界はいつも1つ、創造主はいつも1人、ゲームマスターはいつも1人……そんな固定観念をぶち壊してパラレルプロセッシングしていく必要があるのかもしれません。

ちなみに途中で書いたように、本記事は前後編に分割しています。後編の内容は、キコニアの登場人物のうち誰がゲームマスターを兼ねていそうなのかを考察する記事にする予定です。

 

(※2020/4/21追記)

嘘をつきました

途中の追記でも述べましたが、やはり駒の定義が出来ずに困っています。肉体の有無とするのが一番ハマるのですが、作中にそれと相反する台詞もあり*3、完全に行き詰まりを見せています。

ひとまず、後編記事は無期限凍結とし、現状の僕のゲーム盤解釈を簡潔にまとめておきます。

 

*1:青都雄が実際にそういう嘲笑をしてはいましたが、それはプログラムされた都雄の人格に対してのものであり、彼(?)ですら元いた”御岳都雄”という人物の出自まで否定したわけではありません

*2:よく言われることですが、7日目は休みなので事実上所要したのは6日です。

*3:セシャトの「ゲーム盤の上には自分達に見える駒以外いないと本気で信じてるからねー」という若者への嘲笑は、CPPの別人格も”駒”に相当すると読み取れます。

【バンドリ】今後LOUDERは演奏されなくなる。Roseliaが更なる高みへと到達するために

アニメ3期が絶賛展開中のバンドリですが、先日行われたRoseliaのライブにおいて非常に残念な出来事があったようです。LOUDERの無音区間にて悪意ある観客が「家虎」を行い、それによってブシロード木谷高明社長が家虎根絶への決意表明を行う事態にまで発展しました。

僕はライブには全然行かないタイプのオタクですし、ライブ中のマナーについては門外漢であるため、これ以上の深入りは出来ません。しかしながら、この事件は思わぬ方向に、それも物語を捻じ曲げかねない形で波及しています。LOUDER披露前に、湊友希那役の相羽あいなさんが「この曲は私達にとって大切な曲でした」と過去形で発言をしたそうで、これによって今後のライブにおいてLOUDERが見納めになるのではないかという憶測が立っています。そこまでは良いのですが、LOUDERをやらなくなるのが家虎のせいだからという風潮が少なからず醸成されつつあるようです。

マナーの悪い厄介者のせいで感情的な論調が先行したところは当然あるでしょう。そこは斟酌できますが、これは大きな誤解を孕んでいます。確かに、今後RoseliaのライブにおいてLOUDERを演奏しなくなる可能性は高いと言えます。しかし、それは家虎を未然に防ぐための予防的措置などでは決してなく、LOUDERを演奏しなくなることには物語上の明白な文脈と必然性が存在しているのです。にもかかわらず、今回の一件でその綿密に計算されたストーリーテリングの妙を、善良なファンすらも素直に受け止められなくなる可能性が生まれてきてしまったことに、極めて強い危機感を抱いています。

ネット世論がセンセーショナルな方向へと傾くのは避けられず、きっと今後LOUDERを封印したことが家虎対策であるかのように吹聴し回る野次馬は後を絶たないでしょう。本記事は、そうした”雑音”を少しでも振り払える一助になればと思い、書き上げました。本記事を読まれた方にとってのLOUDERが、”雑音”のないクリアなものに戻ることを祈っています。

 

オリジナル曲でもあり、カバー曲でもあるLOUDER

そもそも、LOUDERはバンドリ!プロジェクトの数ある楽曲群の中においても極めて異質な存在です。元々、この曲は湊友希那の父が現役のバンドマンであった頃に書き上げた曲で、ふとしたきっかけから友希那がそのカセットテープ音源を発見し、その迸らんばかりの音楽への純粋な情熱に圧倒されます。父の無念を晴らそうと復讐心から音楽に打ち込んでいた友希那は、今の自分の不純さではこの曲を歌う資格は無いと考え、一度はLOUDERを歌うことを諦めてしまいました。しかし、幼馴染みの今井リサと、誰あろう友希那の父本人から、完成された音楽を追求する友希那への思いは父に負けず劣らずの純粋さであると諭されることにより、その懊悩をも歌に込めることでLOUDERはRoseliaの楽曲として蘇ることとなったのです。

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リズムゲームであるバンドリ!ガールズバンドパーティ!(以下、ガルパ)には、大きく分けてオリジナル曲とカバー曲という区分があります。カバー曲はアニメソング、J-POP、ボカロ曲といったいわゆる”版権もの”を指すわけですから、LOUDERはその区分に従えば紛れもなくオリジナル曲です。しかしながら、ユーザーにとってはオリジナル曲でも友希那たち作中の人物にとってはカバー曲なのです。上記のスクリーンショットはLOUDERの物語を描いた『思い繋ぐ、未完成な歌』で実際に友希那が発しているセリフであり、LOUDERが非常に特殊な立ち位置にあることを物語っていると言えます。

ちなみに、LOUDERと同じくオリジナル曲とカバー曲という二面性を持った楽曲は、他に3曲存在します。かつて夢を撃ち抜こうと活動していた伝説のロックバンド・RAZESが遺し、Poppin'Partyを結成へと導いたYes! BanG_Dream!Pastel*Palettesに触れたAfterglowの心境の変化を歌ったY.O.L.O!!!!!、そして『ホープフルセッション』イベントにおいて月島まりなのバンドが解散する際に作られ、友希那・麻弥・香澄・りみ・つぐみの5人の即席バンドで演奏したHOPEです。LOUDERも含めた4曲に共通しているものとして、そのどれもが元のバンドの思いを受け継いで歌う曲という意味合いを帯びています。

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特に、Y.O.L.O!!!!!がパスパレのために作られた楽曲でありながら、Afterglowのオリジナル曲として扱われている点には留意する必要があります。LOUDER、Yes! BanG_Dream!、HOPEの3曲は埋もれかけていたところを発掘された「幻の曲」という側面が強いのですが、パスパレ版Y.O.L.O!!!!!に限ってはライブでも披露した描写があるなど、作中でも「パスパレの曲」としてそれなりの知名度を誇っています。ですが、ガルパのゲームシステム上は、そして我々ガルパユーザーにとってのY.O.L.O!!!!!はやはり「Afterglowの曲」なのです*1。オリジナル曲としての在り方とカバー曲としての在り方が最も剥離した楽曲として、そしてその剥離が間違いなく意図的に演出されている楽曲として、LOUDERを考える上でも注目すべき存在です。

 

FWFで演奏するに相応しい楽曲はLOUDERなのか?

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全三部作であるノーブル・ローズも最終章を残すところとなり、いよいよFUTURE WORLD FES.(以下、FWF)の本番が間近となっています。来たる3月には遂に夢の舞台に立つRoseliaの姿が描かれるでしょうし、今から待ち遠しくてなりません。そして、父の無念を晴らすためにFWFを目指し続けた湊友希那が頂点で歌い上げるに相応しい楽曲は、やはり当然に父の思いを受け継いだLOUDERになるはずです。かつてまでならば

ここで先程のY.O.L.O!!!!!の議論が役に立ちます。LOUDERがメジャーデビュー前の、FWFにも認められるはずだった友希那の父の音楽であることは間違いない事実なのですが、どこまで行ってもやはり借り物は借り物です。どれだけLOUDERがFWFと強固に結びついた楽曲であるとしても、Roseliaの活動を通じて自らへの誇りと他者への尊重を積み上げてきた彼女らの集大成を飾るのが果たして“カバー曲”で良いのかには疑問の余地があります。

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もう一つ問題なのは、LOUDERが非常に初期の、まだ精神的に未熟だった頃のRoseliaがカバーした曲であるという点です。『ホープフルセッション』においてHOPEをカバーする際、スタジオミュージシャンとしての癖からついつい自分を押し殺して原曲を”なぞる”ような演奏をする大和麻弥を湊友希那が叱責するシーンがありました。一見何気ないシーンに見えますが、このイベントにおいてHOPEとLOUDERが重ねられて描かれていたことを意識すると、また違った味わいが生まれてきます。機械のように正確な演奏しか出来ないことに悩んだ氷川紗夜が、LOUDERをカバーする際も原曲の音源通りに演奏しなかったわけがないのです。

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現在でこそ友希那は他のメンバーの音にしっかりと耳を傾け、そして受け止められるリーダーへと成長しています。しかし、これは物語を通じて段階的に手にしていった強さであり、『思い繋ぐ、未完成な歌』という最初期の時点においては到底そんな余裕を持ち合わせてはいませんでした*2。当時から妥協なく音楽を追求する人物ではあったものの、それは主として技術面に対してのものであり、メンバーの個性にまではまだまだ目を向けられてはいなかったはずです。

この点を踏まえて想像してほしいのですが、当時の紗夜が音源通りにLOUDERを演奏するのを、今の友希那が聴いたらどうなるでしょうか? 『ホープフルセッション』で麻弥にそうしたように、紗夜にもダメ出しをした可能性は否定できないと思われます。昔の友希那であれば気づけなかった「個性を殺す演奏」に、今の友希那ならば気づくことができるのです*3

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無論、『思い繋ぐ、未完成な歌』はそういった未熟な部分さえも今の自分たちの音楽を形作るものだという趣旨のシナリオでしたし、LOUDERもその未熟さを肯定した上でカバーしたからこそ輝きを放っている楽曲です。しかし、逆に言えばLOUDERは初期Roseliaの未熟さの象徴ですらあります。であればこそ、精神的に円熟し気高き薔薇として咲き誇りつつある“今のRoselia”としてFWFで見せつける曲がLOUDERで良いのかは大きな疑問になってくるのです。

 

そしてLOUDESTへ

とはいえ、以上までの考察は別に今後リアルバンドのRoseliaがLOUDERを披露しなくなる理由には何一つとしてなっていません。LOUDERがもはや今のRoseliaにとってFWFで演奏するに相応しくないのであればFWFで演奏しなければ良いだけの話であり、別に他のライブではいくらでも演奏できるでしょう。次元を1つ跨いでいるリアルバンドならば尚更で、今まで通り気兼ねなく演奏し続ければ良いはずです。LOUDERが今後も存在し続ける楽曲ならばの話ですが

ここまで一つ本題を隠してきたことを謝罪しましょう。僕はLOUDERが封印されるよりも遥かに大きな変化が起こると考えています。LOUDERそのものが別の楽曲に“転生”する、そう予想しているのです。

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『ノーブル・ローズ -晦冥の導き手-』ラストでの、FWFに向けた湊友希那の決意のシーンは、それを示唆したものになっています。やはりLOUDERは父の思いを継いだ特別な意味を持つ曲ではありますが、FWFという父が見られなかった景色を見られる舞台に立つ以上、LOUDERのその先へと向かうような楽曲が必要なのです。それもLOUDERをきちんと受け継ぎ、その上で踏み越えるような楽曲が……。

ここからは些か憶測の領域になってくるのですが、僕は友希那の言う「どう歩くか」は、LOUDERを今のRoseliaの円熟に合わせてセルフアレンジしたものに変えてFWFに挑むのではないかと考えています。父の思いをきちんと受け継いでFWFの舞台に立つこと、そして今のRoseliaの姿を聴衆に刻みつけることを両立するには、これしかないのではないでしょうか。

そして、その際に曲名もLOUDESTに変わるのではないかとも予想されます。比較級のLOUDERを受け継ぎ超えたものとして、そして頂点に立つ確固たる意志の表れとして、LOUDERが生まれ変わる上でこれ以上相応しい単語は他に存在しないでしょう。曲名が変わることによって、父の思いを継いだ曲をカバー曲ではなくオリジナル曲にすることもできるのです。

 

ここまでの考察を踏まえて頂ければ、相羽あいなさんの「この曲は私達にとって大切な曲でした」という発言も、きちんとした物語上の意味が込められたものなのがお分かり頂けるかと思います。それが家虎という”雑音”によって不要な意味合いが与えられてしまったこと、そしておそらく最後のLOUDERだった先日の演奏に水が差されてしまったことが、本当に残念でなりません。

目前に迫ったノーブル・ローズ第三部にて、LOUDERを過去のものにする必然性があったことが確かな物語とともに提示されることになるでしょう。その時には、こうした”雑音”のような邪魔するものを振り落として、Roseliaの色が取り戻されていることを願ってやみません。

“雑音”を掻き消すことが出来るのは、よりラウドで淀みなく澄んだ音のみであると、そしてそれをRoselia自身が奏でてくれると、僕は固く信じています。

*1:そもそも、パスパレ版Y.O.L.O!!!!!はつい最近まで存在は知られていながら誰もそれを聴いたことがない伝説上の楽曲のようなものでした。「まんまるお山に彩りスペシャル」で披露されたことで、2年以上かけてようやく実体化したことになります。

*2:決定的に今のリーダー像になったのはやはり『Neo-Aspect』が契機です。

*3:とはいえ、紗夜の「自分の音」は一見無個性な正確すぎる演奏すらも個性だと受け止める形で進展していくとは思います。そのため、今の紗夜の正確な演奏を今の友希那が聴いても、「紗夜らしい音」と受け入れるでしょう。