矛盾ケヴァット

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【プロセカ】まだ対等でない2人と2人が向かう場所 ~Vivid BAD SQUAD~

 早くもプロセカ感想記事も4つ目となりました。このブログが元々キコニア考察の置き場として立ち上がったものであることを思うと用途が様変わりしていて驚きますが、それもこれもプロセカが面白すぎるのとキコニアPhase2がなかなか出ないせいです。ところでプロセカ経由でいらっしゃった皆様にも、キコニアのなく頃には竜騎士07は今が全盛期だと確かに感じられる大傑作なので是非プレイして頂きたいと思います。最高の相棒の物語が楽しめますよ!(ステマ

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さて、プロセカにおいて最高の相棒を取り扱った物語と言えばVivid BAD SQUAD(ビビバス)です(こんな強引な話題の転換ある!?)。小豆沢こはねと白石杏のVividsと東雲彰人と青柳冬弥のBAD DOGSが合流して生まれたユニットであると当初から明言されており、この点、同じ男女混成ユニットでも同性間の関係と異性間の関係が同等程度に扱われていたワンダショとはかなり異なる手触りがあります。

ところが「Vivid BAD SQUAD」の場合は、4人全員の視点が入れ代わりながら、物語が進んでいくんです。

だから他のユニットだと、誰かひとりが主人公的な存在というか、そういう形の構成になっているんですけど、「Vivid BAD SQUAD」の場合はある意味、全員が主人公みたいな感じで。

僕ら自身も話し合いの中で「Vivid BAD SQUADは全員が主人公かもね」みたいなことを言いながら作っていったので。

もはやいつものの風格すら出てきた例のインタビュー記事からの引用になりますが、ビビバスは4人全員が主人公という興味深い発言があります。実際、物語の構成も前半は女子2人、後半は男子2人がそれぞれ一つの壁を乗り越えるまでを描くものでした。しかし、このメインストーリーが4人全員を主人公として扱えていたかと言うと決してそうではないというのが僕の所感です。即ち、ビビバスの物語には大きなやり残しが存在しています。

メインストーリーのみである程度完結させてきた他のユニットに比べて、ビビバスのメインストーリーを読んで抱くのは率直に言って不完全燃焼感ではないかと思います。ですが、そのやり残しは間違いなく意図的に組み込まれたものであり、そしてこれ以降ビビバスが成し遂げていくものの大きさを示してもいます。本記事ではその辺りを予想も含めて記述したいと思います。

では、恒例の注意事項を。本記事はネタバレ全開でお送り致します。これまで各キャラクターのサイドストーリー(左右エピ)は記事執筆時点で読んでいませんでしたが、今回はビビバスキャラのサイドストーリー前編のみ(バーチャルシンガー除く)は入手した範囲で読んでおり、本記事にもそれを踏まえた記述が存在します。以上のことを、予めご了承下さい。

あなたに守られながら、私も強くなってみせる ~小豆沢こはねと白石杏~

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ビビバスでは4人全員が主人公と明言されましたが、それでもやはり物語の中心となってくるのは1人目の主人公であるところの小豆沢こはねです。引っ込み思案で勇気を出せずにいた小豆沢こはねが、白石杏の歌う劣等上等に圧倒されたことから物語の歯車は動き始めます。杏とVividsを組み、杏の夢であるRAD WEEKENDを共に目指すこはねでしたが、初めてのイベントで茶髪ミュージシャンくんの妨害や男子組(BAD DOGS)との衝突に直面し、その覚悟が問われることとなります。

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ミク達の後押しも受けたこはねは杏と一緒に歌いたいという“本当の想い”を見つけ、長かった髪をバッサリと切り、目に入れるのを怖がっていたコンタクトレンズを装着し、かくごのすがたへと変貌を遂げます。激しく動ける身軽なファッションに身を包み、ストリートの世界で生きていく決意をあらわにして、“本当の想い”を貫きながら新たな自分へと身も心も生まれ変わったのでした。

以上がビビバス前半のあらすじであり、これだけを書くと気弱な少女が前に進む勇気を手に入れたというありがちなシナリオに思えてしまうところなのですが、それだけでは小豆沢こはねという少女の本質である狡猾さを見落としてしまいます。彼女がそれまでの自分自身を超克する姿は確かに王道そのものと言って良いのですが、その過程で、小豆沢こはねは白石杏を明らかに一方的に利用しているのです。

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まず、こはねが杏に惹かれた要因はそのパフォーマンス力であると同時に、夢に向かって一直線に突き進む姿でした。その姿勢に自分には無い強さとカッコよさを感じたこはねは、杏と一緒にいることで自分も同じ夢を見て強さを得ようとしたわけです。その便乗的な姿勢を本人も自覚しており、冬弥の「RAD WEEKENDを超えるイベントを本気でやろうと思っているのか?」という問いには「思ってると、思いたい」という歯切れの悪い答えを出すにとどまってしまいます。

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元々緊張しがちなこはねが人前で歌う際、そこには必ず杏の強引さがありました。2人でVividsを組むことになったのも杏が強引にこはねに劣等上等を歌わせた際にその才能を見初めたからこそでしたし、そして路上での“初舞台”もやはり杏が強引な手段で突然パフォーマンスを始め、それにこはねが続くよう促したからでした。それまで未知の世界と言ってよかった路上でのライブが無事成功した辺りから、こはねの中に少しずつ杏の隣にいれば自分は安全地帯にいられるという考えが芽生えていきました。

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杏と一緒にいれば強くなれるし守られるとすら考えていたこはねにとって、最初の挫折となったのがライブハウスでの初イベントです。実は何故こはねがここで歌えなくなったのかについて根本的な解決がされていないのですが、それは次の章に譲りましょう。ともかく、己の覚悟の弱さを突きつけられたこはねは、一時は自分1人で強くなるべきなのではないかという考えにすら囚われます。作品が作品であれば、あるいはプロセカでもユニットが異なっていれば、この挫折はこはねが杏への依存から脱却するような自立の物語として描かれたでしょう。しかし、ビビバスの物語は、こはねが杏に依存したまま強くなることを是とするのです。

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他のユニットでも共通していることですが、プロセカにおいて最重要視されるのは“本当の想い”です。前述の通り、こはねにとっての“本当の想い”は、杏と一緒に歌うことなのですから、こはねがどれだけ杏に守られていたとしてもそれを曲げる必要はなく、杏と一緒にいながら強くなっていけばいいのです。必要なのはそれを受け入れる覚悟でした。

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覚醒したこはねを見て、冬弥は今一度以前と同じ質問を投げかけます。今度の答えは、以前のような弱々しいものではなく、2人揃っての力強い即答でした。個別に強くなっていくのではなく、2人で強くなっていく。それこそがこはねが杏の隣で辿り着いた答えであり、また、序盤でミクが見抜いていた彼女ら2人の本質でもあります。

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小豆沢こはねは、白石杏という恩人を最大限利用しながら自分を強くしていく主人公です。気弱そうに見えて、狡猾、強欲、豪胆。そんな、印象と実際の性質が倒置した大変魅力的なキャラクターとして、今後も物語を牽引していってくれることでしょう。

ところで、ガルパを読んでいない方からすると、この小豆沢こはねの解釈は少々突飛に思われたかもしれません。しかし、ガルパには小豆沢こはねのように臆病な自分を変えるためにバンドや生徒会といった周囲を巧みに“利用”してきた白金燐子というキャラクターがおり、彼女の成長は未踏の領域に一歩を踏み出していくという形で肯定的に描かれてきました。そんな彼女の歩みは所属バンドのRoseliaにも好影響を与え、誰よりも臆病で人見知りだった少女は、今やRoseliaをまだ見ぬ景色へと誘う先導者としての役割を担うまでに至っています。

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小豆沢こはねの成長性もまた、まだ見ぬ世界への扉を開くという形で表現されており、この点で大変似通っています。

もし叶うなら先の世界を 知りたい 行きたい

ビビバス4人の想いから生まれたReady Steadyの歌詞も、まだ見ぬ世界へと足を踏み入れていく姿がありありと描かれており、白金燐子という類似したキャラクターの歩みを思えば、“先の世界”へ向かう際に先陣を切るのは間違いなく小豆沢こはねになっていくと確信できます。

とはいえ、将来的な彼女の姿はそんな逞しさを予想できるのですが、現時点での2人の関係性は一方的に杏がこはねに強さと安全を与えているという点でかなりの不平等があるのも事実です。モモジャンがアイドルの経験値は違えどお互いがお互いを“原点”にしていたのを思うと、この2人の関係は対等とは言いがたく、敢えて露悪的な表現をすれば寄生的にさえ感じられます。勿論、杏は杏でこはねをかけがえのない存在として大事に想っているわけですが、この不均衡な関係を“最高の相棒”と言えるのか? と問われると言葉に詰まるところです。

その辺りは今後のイベストを重ねるごとに問われていく……と言いたいところなのですが、実はメインストーリーだけでも今後の展望が伺える作りにはなっており、よく読みさえすればこの関係が遠からず見直されることが分かってきます。

 

小豆沢こはねを本当に守っているもの ~小豆沢こはねと観客~

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既に述べたように、小豆沢こはねは白石杏という盾が与えてくれる安心感によってストリートの舞台へと踏み出すことに成功していったわけですが、その後、こはねが覚醒した後のMossy stoneのイベント直前の会話にて、杏自身もこはねを守ることを自分の役目と感じていることが明るみになります。守られたいこはねと、守りたい杏。一見それは互いの利害と意識が一致した、まさに相棒ならではのシンクロと言いたいところなのですが、それは本当に杏がこはねを守っているならばの話です。

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よくよく読めば分かりますが、現実に“初舞台”でこはねを支えたのは杏ではなく観客のノリの良さです。元々音楽が大好きで、音楽をする者を応援しようという気概に溢れたビビッドストリートの観客達だからこそ、突然街角で歌って踊り始めた杏とこはねに温かい声援をかけてくれたわけです。こはねをステージに引き上げたのは間違いなく杏でしたが、ステージに上ったこはねを後押ししたのは、こはねに安全地帯を作り出したのは、杏ではなくこの街の人々です。

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その考え違いが露呈したのが、ライブハウスREDでの初イベントであったと言えます。ストリートで突然歌い始めても物珍しく思って聴衆は足を止めて熱狂してくれましたが、ライブハウスという音楽があって当たり前の場所で音楽が止まってしまった今、そこはホームではなくアウェーです。場慣れしている杏はこの状況でも歌ってみせる度量を見せつけるのですが、それまで全面的に味方してくれる杏や常に温かい声援をくれる観客の前でしかパフォーマンスしてこなかったこはねが竦み上がって動けなくなってしまうのも無理ないことです。そして結局、杏が隣にいるにもかかわらず、こはねは声が出せずにイベントを終えるという最悪の結末を迎えるに至ります。本当に杏の存在がこはねを守っているのならば、絶対にあり得ない結末です。

その後、Mossy stoneのライブでは盛り上がる観客を味方につけ、こはねのリベンジは成功を収めるわけですが、この時の観客もやはりこの場で盛り上がる気のあった、最初から熱のあった観客でしょう。結局、このリベンジでもこはねは観客に守られています。大失敗に終わったREDでのイベントに対するリベンジは、あのイベント同様に熱を失っている観客の前でこはねが観客にゼロから熱を届ける形にならねば、本当の意味では果たされたとは言えません*1

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そしてこの事実は、一つの残酷な真実を指し示してもいます。こはねが安全に強くなるために本当に必要なのはこの街の温かな観客であり、杏の存在そのものが必要なわけではありません。本当は観客が与えてくれているものを、杏が与えてくれていると勘違いしているとさえ言える状態です。そしてその一方で、杏が求めているのは最高の相棒であるこはねの存在そのものです。即ち、こはねは本質的には杏を必要としていないのに、杏はこはねを絶対に必要としているという、前章で述べたのとは全く別の不均衡な関係が浮かび上がってきます。

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杏がこはねを勧誘するにあたって口にした杏が困ったらこはねが助けるというシチュエーションは、終ぞビビバスのメインストーリーでは実現することなく終わりました。どのような形になるかは分かりませんが、こはねが杏を助けられるようになる時、このこはねが杏に依存し、杏だけがこはねを必要とする関係は終わりを迎えるでしょう。その時になってようやく、対等な、本当の意味での最高の相棒になるはずです。 

何はともあれこはねが覚悟を決めたことで物語は後半、冬弥と彰人の物語に転換していきますが、この2人もやはりこはねと杏同様、一方が寄生的に相方から恩恵を享受するが、与える側だけが相手の存在を必要としているという、奇妙にねじれた関係が描かれていきます。

 

お前の隣でなら、俺は俺でいられる ~青柳冬弥と東雲彰人~

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青柳冬弥というキャラクターを考える上で、まず重要になってくるのが表情の乏しさです。詳細にその理由が語られたわけではありませんが、父親からの苛烈な教育に耐え続けてきた結果、いつしか自身の感情を表現できる機会を失っていったのが原因であろうことは容易に推察できます。この点、同じ毒親被害を受け続けてきたニーゴの朝比奈まふゆと対比すると面白いのですが、朝比奈まふゆが感情という機能自体が完全に故障している人物であるのに対して、青柳冬弥は感情そのものは他人からは分かりづらい形ではありますが人並みに備わっています。ただ、自身の感情を外界と繋ぐチャネルがあまりにも貧弱なのです。

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杏からは「表情筋が動かない」という結構キツめのdisまで貰う始末ですが、そんな無表情な冬弥の感情が彰人といる時だけは周囲にも伝わるのです。物語の開幕前から旧知の仲だった杏はまだしも、知り合ってから日の浅いこはねにすら伝わるのですから、その伝達力は冬弥本人が意図していないにしても本物でしょう。言い換えるならば、青柳冬弥にとって自分の感情を外に表出してくれるチャネルとして最良の存在が東雲彰人と言えます。ビビバスのクライマックスなどは、まさに彰人が冬弥の感情を吐き出させることで解決を見たわけであり、東雲彰人が担う役割が鮮明に打ち出されていました。

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また、東雲彰人の存在は別の意味でも無表情な青柳冬弥にとっての特別です。前述の通り、冬弥の表情は誰からも読みづらいものとして扱われているのですが、冬弥の表情から冬弥の気持ちを誰よりも汲み取れるのが彰人です。観客からの誹りを受け、内心悔しがりながら練習をしようとしたかつての冬弥の想いに彰人が気づけたのは、BAD DOGSが結成したての頃というまだ2人の関係がそれほど深くなかった時期でした。そして、彰人が冬弥の本心を理解した際には確かにMEIKOの助けこそありましたが、冬弥は全キャラクター中唯一、“本当の想い”をミク達バーチャルシンガーと出会うことなく引き出されました。それを実現したのはやはり彰人であり、彰人の存在の大きさを物語っています。

以上の描写を思うと、『彰人だけが冬弥の感情を引き出すことができ、また彰人こそが冬弥の感情を誰よりも深く理解できる』という濃すぎる関係性にクラクラきてしまうところなのですが、この解釈は大きな誤解です。冬弥の感情へのアクセス能力において彰人が人一倍優れていることは疑いの余地がないとしても、それを彰人の専売特許と捉えてしまうと大きく見誤ります。

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冬弥の表情についての知見を、別角度から与えてくれるのが冬弥の★3サイドストーリー前編になります。彰人と喧嘩別れして傷心の冬弥が、司に誘われて咲希も含めた3人でゲームセンターに赴き、天馬兄妹との触れ合いを通じて久々に楽しい時間を過ごすという内容となっており、ここで重要なのは、彰人がいないにも関わらず司が冬弥の表情から感情を汲み取れているという点にあります。「人々に笑顔を取り戻すスター」たる天馬司だけならまだしも、この前に天馬咲希からも表情の変化を読み取られている描写があり、このサイドストーリーを読むと、とてもではありませんが青柳冬弥にとっての東雲彰人に唯一性を見出すことはできません。即ち、冬弥の感情を外界と繋いでくれるものは本当は別にあります

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冬弥の感情表現の詳細については次の章に譲るとして、もう一つ、青柳冬弥にとっての東雲彰人はアイデンティティを与えてくれる存在としても描かれています。クラシック音楽家の父親からの虐待に等しいスパルタ教育を受け続けた冬弥が家から逃避して行き着いたのがストリートであり、そんな冬弥に居場所を与えてくれたのが東雲彰人です。元々クラシックでさえなければ何でも良かったという彼がストリートを己の表現の舞台に選んだのも父親が最も嫌がりそうだったからという父親の存在ありきの動機だったわけですが、そんな彼が青柳冬弥として在れる場所もまた、東雲彰人の隣という他人ありきの立場です。

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こはね同様、やはり相方に与えてもらうものの大きさが伺い知れますが、こはねの方はミクの助けもあって自らその覚悟を掴み取って今があります。その一方、どこまでも主体的になれないのが青柳冬弥です。ストリートには父親から逃げてきた、朝から晩まで練習したのも彰人に置いていかれないためだった……そういう“他人ありき”の動機を冬弥自身も自嘲的に語りますが、“他人ありき”の想いだろうとお前が想うんならそうなんだろと彰人に肯定され、周囲の影響も含めた自らの気持ちへと向き合えるようになりました。

ここまで書いてきて分かる通り、こはねと杏の関係同様、冬弥が彰人から与えられるものがあまりに大きすぎるように思えます。感情表現と自己確立という2つが彰人ありきなのだとすれば相当な依存関係にあるように思えますが、やはりこはねと杏がそうであったように、それらを青柳冬弥に本当に与えているのは東雲彰人ではありません

 

青柳冬弥を本当に青柳冬弥にしているもの ~青柳冬弥と“音”~

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そもそも、ビビバスのメインストーリー中できちんと触れられているように、青柳冬弥を本当に青柳冬弥たらしめているのは音楽です。それが長年の付き合いを経て彰人の隣でいることで冬弥自身でいられるという認識に変容していったわけで、それ自体は2人の絆を物語ってはいるのですが、正しい現状認識ではないということは留意すべきでしょう。

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冬弥にとって音楽とは物心ついた時から親に否応なしに与えられてきたものであり、自分を縛る鎖ですらあったのですから、親の支配から抜け出すためには音楽を辞めるのが最も合理的な選択であったはずです。しかしながら、どういうわけか音楽からの逃避先として音楽を選択しており、クライマックスで彰人が喝破したように、青柳冬弥という男はどこまでも音楽を愛しすぎています。無論、クラシックという親の支配の象徴であった音楽と違い、ストリートの音楽に耽溺していれば親の影響下にいない自分を見つめられたという事情はあるでしょう。その意味では冬弥がクラシックからは遠くにあるストリート音楽を愛していることにも筋が通っているように思えます。

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しかし、言うまでもないことですが、青柳冬弥はれっきとしたストリートのパフォーマーです。そして、パフォーマンスをする上で土台としているのはクラシックを通して得た、父親から授かった技術であると語っています。ここに、彰人の隣にいることで自分自身でいられたと冬弥が誤認しているという前述の考察を踏まえると、彰人の隣で自分自身を維持するために、自分を殺してきた父親の教えに縋っているという非常に難しい問題が浮かび上がってきます。

青柳冬弥を考える上でニーゴの朝比奈まふゆと対比すると分かりやすくなるので再度彼女に触れますが、彼女が親の呪縛から救われる道はある意味で非常に単純です。それまで逆らえずにいた親という支配者を、一度バッサリ否定してしまえば良いのです。そこに至るまでが苦悩の道筋になりそうですが、結末がどうなるかはとても単純明快と言えます。

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ですが、青柳冬弥にとってはそうではありません。親への否定などということは、クラシックから逃げてストリートに飛び出した瞬間に、もう済ませています。青柳冬弥の物語にこの先待ち受ける本当の過酷は、今の青柳冬弥を形成した一要因として父親の虐待的な音楽教育すらも肯定し、感謝せねばならないことです。彰人と出会うために必要だった音楽も、彰人の隣にいるために必要だった表現力も、冬弥は全て父親から与えられてきました。憎むべき父親の存在なくしては彰人との関係は成立し得ないという事実を受け止めた上で精算していくのが、今後の冬弥に立ちはだかっていくことになっていくと思われます。

父親が与えてきたものが今の冬弥と彰人の関係においてあまりにも大きすぎることは事実なのですが、その一方で父親が与えてこなかったものにも目を向ける必要があります。これは父親か彰人かという個人に対してでなく、クラシックとストリートの観客に目配せをすることで見えやすくなります。

f:id:halkenborg:20201029221004p:plainクラシックコンサートの観客と言えば、演奏中はただ静かに演者の紡ぎ出す音に耳を澄ませるものです。演奏の前後には拍手や歓声が巻き起こりますが、演奏中にはそういった大きな物音は元より、私語すらも避けるべきマナーとして、演奏そのものを楽しむのが一般的でしょう。あっ、白金燐子さんの画像は記事には直接関係ありません

一方で、ストリートにはそんなエチケットは存在しません。観客は盛り上がりたい時に盛り上がり、歓声を上げたい時に歓声を上げ、disりたければ堂々とdisり、踊りたければ客席だろうと踊ります。というか、客席とステージの境界が曖昧なのがストリートの特徴でしょう。観客だった者がいきなり演者になることすら許されるのもストリートの醍醐味です。そういった懐の深さに救われたのがまさに小豆沢こはねであり、青柳冬弥でした。

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青柳冬弥の★1サイドストーリー前編では、ゲームセンターを好む理由として音の無秩序さが挙げられます。これは冬弥がストリートを好む理由としても、そしてクラシックでは得られないものとしても通る価値観でしょう。確かに最初はクラシックからの、父親からの逃避だったかもしれません。しかし、逃げてきたストリートが冬弥を救う理由としては、確かな説得力があります。

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前章で棚上げにしたままだった、冬弥に本当に表情をもたらすものも、ここまで来れば明らかです。クラシックの静謐で整然とした音では味わえない、無秩序で熱狂的な音こそが、彼に表情を引き出しています。天馬兄妹とのサイドストーリーには彰人こそいませんでしたが、そこはゲームセンターという無秩序な音が鳴り止まない場所でした。そして、彰人と隣で歌う時、そこには観客の声援やストリートの喧騒があったはずです。

こはねを本当に守っていたのが観客であったように、冬弥に本当に表情を引き出していたのもまたこのストリートの観客です。いいえ、観客の歓声に、自分たちの歌う音楽や周囲の雑踏も含めた、総合的な意味でのストリートの“音”と表現した方が良いでしょう。そしてその“音”には音楽も含まれているわけですから、表情を引き出しているのみならず、青柳冬弥に自己を確立させているのもまた、ストリートの”音”です。その“音”こそが、家には存在しない青柳冬弥の居場所です。

冬弥にその自覚がないだけで、その“音”さえあれば、おそらくは彰人の隣でなくても自分でいられますし表情を露わにしていけるでしょう。ですが、青柳冬弥にとって無秩序で熱狂的な“音”を最も味わえるのが東雲彰人の隣であることもやはり疑いようがありません。そしてその最高の場所に、小豆沢こはねと白石杏を加え、更に無秩序で熱狂的で最高なユニットが誕生したのでした。

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Vivid BAD SQUADの物語を読み終えた時、最初に僕が感じたのはその難しさでした。キャラクターコンテンツで描かれる関係性というのは、得てして唯一の関係です。プロセカだけを見渡しても、かけがえのない幼馴染みが復縁していったレオニ、お互いをお互いの“原点”としたモモジャン、天馬司が3人に決定的な言葉を投げかけ続けたワンダショ、お互いがお互いを呪いながら救うニーゴと、そのどれもが替えの利かない関係でした。ですが、ビビバスにだけはそれを見出すことができなかったため、どこにこの2組の唯一性があるのか分からず、困惑してしまったのです。

ですが、それこそがまさにビビバスの物語でやろうとしていることです。オンリーワンではなく、ナンバーワン。たとえ他の人間でもできる“取り替え可能”な関係でも、その2人がその関係における最高であると描いていく……それがビビバスというユニットの面白さあり、最高の相棒の物語です。

 

<※2020年11月6日追記>

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鏡音リン★4[いがみ合いヒートアップ]サイドストーリー前編にて、本記事で考察してきたビビバスの関係性を裏付けるような描写がありましたので追記致します。ビビバスのユニットストーリー中、レンと喧嘩別れしていたため遂に登場することのなかったリンでしたが*2、その2人が仲直りする際に、以上のようなやり取りが交わされました。“鏡写し”であるリンとレンは、誰がどう見ても唯一無二の関係に思えます。実のところ僕自身もつい数日前まで「姉弟」だと勘違いしていたほどで、それくらい、2人の関係は密接なものなのですが、リンとレンほどの相棒関係ですらお互いの唯一性に疑問を持っているというのがこのエピソードの勘所と言えます。この2人ですら唯一性を疑うのであれば、出会ったばかりのこはねと杏や、ようやく本心をぶつけ合えたばかりの冬弥と彰人の唯一性など吹けば飛ぶようなものです。ですが、それでもお互いを最高の相棒と確認していくことこそ、今後のビビバスの物語で紡がれていくものと確信できます。

 

4人が目指す伝説 ~Vivid BAD SQUADと場所~

これまで考えてきたように、小豆沢こはねにとっては白石杏の隣が、青柳冬弥にとっては東雲彰人の隣が、それぞれ重要な場所として描かれています。そして、これはキャラクター個々人に限った話ではなくVivid BAD SQUAD全体を通して場所という概念が常に大きな主題として横たわっています。

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プロセカを語る上で欠かせない“場所”と言えば、やはりセカイでしょう。ビビバスのセカイは2年前のRAD WEEKENDが開催された当時のビビッドストリートが再現されたものとなっており、RAD WEEKENDという伝説を超えるイベントを目指す杏と彰人の想いが結実した場所として相応しい空間になっています。その一方、セカイに訪れた当初のこはねはここに自分の想いがあるようには感じられずに戸惑ってしまいますが、物語を経て杏と同じ夢を見ていくことで強くなっていく決意を果たしたわけですから、やはりこはねにとってもこのセカイは杏の夢を一緒に見たいという想いを叶えてくれる場所です。

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冬弥についてはセカイへの初訪問が19話という異例の遅さであるため、冬弥にとってのセカイというのは実のところ語られていないのですが、冬弥と彰人の関係がこはねと杏の関係のシノニムであったのと同様、冬弥にとってのセカイもこはねにとってのセカイと同様でしょう。隣にいる相棒が焦がれる、自分が見てこなかった景色を見せてくれるのがビビバスのセカイです。こうした本来あり得ない景色の共有はモモジャンでもみのりと遥を通じて行われたことなのですが、ビビバスに至ってはセカイという空間によって過去も未来も同じものを見据えられるようになるという、より大スケールかつ前衛的な舞台装置として機能しています。

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そしてもう1つ、ビビバスを語る上で欠かせない“場所”がです。こはねがその“初舞台”で救われたように、クラシックから逃げてきた冬弥が温かく迎え入れられたように、ビビッドストリートの陽気で音楽好きな人々はビビバスの4人をメインストーリーだけでも幾度となく支えてくれました。謙さんこと杏の父も、RAD WEEKENDを成功させられたのは街の力あってこそだったと述懐しています。

さて、ここで大事なのは、ビビッドストリートが渋谷の街の一角にあるということです。プロセカの舞台は宮益坂女子学園と神山高校という2つの近隣高校が所在する渋谷をモデルとした街であり、この街でキャラクター同士が交流を重ねていくことによってそれぞれが自身の問題と向き合い成長していくのは、ガルパから受け継いだ同様のフォーマットです*3。そして、音楽好きが集う街としては、ビビバスの“街”はビビッドストリートに限らず、渋谷全体を指しているとも受け取れます。

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セカイを通じて同じ夢を共有した4人は、今後伝説のイベントを超えることを目指していくわけですが、では、RAD WEEKENDがどういうイベントだったかというと、音楽ジャンルもバラバラな、けれども音楽好きな人々が集まって作り上げたイベントだと語られます。この概要を聞いて、ガルパを読んできたユーザーならばピンと来るものがあるはずです。これは、ガールズバンドパーティだ……!!

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当ブログのプロセカ感想記事はガルパユーザーでない方にこそ読まれている傾向があるため説明しますが、ゲームのタイトルにもなっているガールズバンドパーティは、ガルパのメインストーリー*4において開催された、5バンドが総出演して行われたイベントを指します。メインと銘打たれながら全くメインでも何でもないと揶揄されることが多く、はっきり言ってこのガールズバンドパーティというイベントの重要度は非常に低いものです。アニメ1期を終えたPoppin'Partyがその後の活動拠点とするCiRCLEとのファーストコンタクトとして、全く面識がなかった5つのバンドを最初に結びつけた出来事として物語上において一定の務めを果たしてくれましたが、ガールズバンドパーティというイベント自体は決してさしたるインパクトを残したものではありませんでした。

うーん、そこでじゃあ5つのユニットが集まって、ミクたちも含めた全員で何かをするというのは、予定していないですね。もともとはそういう話もあったんですけど、なんというか……あんまりピンと来なかったよね?

(中略)

結局、根幹にあるのは彼女ら、彼らの「成長」を描きたい、描くべきだということで。そうなった時にやっぱり、ひとりひとりの人物だったり、あるいはユニットごとにフォーカスしていったほうが、成長って生まれるんですよね。

それに対して、20数人が一度に集まって……みたいな話になってくると、どうしてもお祭り騒ぎというか、ちょっと楽しかったね、みたいな感覚になってしまって。それはそれで必要なコンテンツなのかもしれないですけど、それ自体がメインにはならないな、という感じですね。

なので今回に関しては、全員で何かをするというストーリーは、じつはゲームの仕様上、なくしてしまっていて。あくまでユニットごとのストーリーがメインだという見せ方にはなっています。

あまりにも引用しすぎてもはや聖書にすらなりつつある例のインタビューから再三ながら引用しますが、この辺りの記述などはまさにガールズバンドパーティの無味乾燥さを反省したものになっています。そしてきっぱりと、ガールズバンドパーティ的なものはやらないと否定されています。あれっ、じゃあRAD WEEKEND=ガールズバンドパーティじゃないのでは!?

ここからは予想の範疇になるので注意していただきたいのですが、そもそも、ガールズバンドパーティが盛り上がりに欠けた理由は最初期の時点で全員を揃えてしまったことにあります。バンド外は元より、バンド内の関係もそれほど深まっておらず、キャラクター個々もそこまでの積み重ねが何もない状態での、全員集合イベント。これではやはり山場を作りようがありませんし、登場キャラクターが多すぎるため1人1人の出番も限られます。「ちょっと楽しかったね」で終わるのも無理ないことでしょう。

ですが、ビビバスがRAD WEEKENDを超える最大のクライマックスでガールズバンドパーティ的な全員集合イベントが実現したらどうでしょうか? そこには、それまで築き上げてきたキャラクター達の強固で確かな関係性があります。それまで歩み続けてきたキャラクター達の苦難と挫折と成長に満ちた人生があります。それまで音楽と真剣に向き合い続けてきた上に作り上げてきた、自分たちの音楽があります。その全てが結実したイベントは、まさに伝説を超えたと呼ぶに相応しい最高の“場所”になるはずです

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インタビューにて全員集合のイベントは確かに否定されてしまいましたが、その一方で、プロジェクトセカイのキャッチコピーは一緒に歌おう!です。そしてステージから“誰か”を引き上げようとしている一歌の姿を見ても、ストリート特有のステージと観客の曖昧さが現れているように思えます。渋谷の街を通じて、そしてバラバラになっているセカイを通じて、20人と6人の壮大な物語が一つの到達点を迎える時、一緒に歌う伝説が実現することをどうしても期待してしまうのです。

*1:敵意のあった彰人や茶髪ミュージシャンくんをも認めさせたという意味では、一種のリベンジは果たしていると言えます。しかし、やはりこはねが観客の力に対して無自覚なまま物語が終わった点は後に引きずられると思われます。

*2:実はバーチャルシンガーのユニットストーリーには登場し、そこでビビバスメンバーとの面通しも終わっています。

*3:ガルパの場合、最近投入されたMorfonicaが所属する月ノ森女子学園は少し遠いと明言されていますし、RAISE A SUILENに至っては他県(千葉)の中学に通うキャラクターさえ存在します。ですが、フォーマットとしては2校を中心とした新宿をモデルとした街での交流が基本です。

*4:ここが大変ややこしいのですが、プロセカの各ユニットのメインストーリーに当たるものはガルパでは「バンドストーリー」と呼称され、それとは別に、5バンドが1つの物語を作り上げる「メインストーリー」が存在します。この辺りガルパユーザー的には紛らわしいため、僕もTwitterなどでは混同を避けるため各ユニットのメインストーリーは「ユニスト(ユニットストーリー)」と呼称しています。とはいえ、ブログ記事ともなると正確性を期す必要がありますし文字数の制限もないため、「〇〇のメインストーリー」と呼称するよう努めています。