矛盾ケヴァット

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【プロセカ】プロジェクトセカイに見る『親としての在り方』 ~対等度と先導度~

プロジェクトセカイの勢いが止まりません

当ブログでも5ユニットの開幕を飾ったユニットストーリーの感想・考察記事は何とか形にしましたが、それ以降も弛むことなく20人のキャラクター達の群像劇をダイナミックに紡ぎ上げ、また各セカイのバーチャルシンガーもそれに呼応して増え続けながら、凄まじいスピード感で物語が展開しています。リリース前から2020年代を代表するコンテンツになることを疑ってはいませんでしたが、想像以上の強度と速度で突き進んでいると言わざるを得ません。あっ、でもね? 流石に速すぎるのでもう少しスピードを緩めてくれると僕達も追いやすくなるかなーなんて……(本当の想い)。

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2020年内の範囲で各キャラクター個人の抱える問題についてはある程度俎上に並べ終えたのか、年が明けてからは特にビビバスの箱イベント『Period of NOCTURNE』を皮切りに、20人の少年少女らの親子関係へと目線がシフトしてきたと言えます。運営スタッフ達の前作に当たるバンドリ!ガールズバンドパーティ!にはなかった切り口と言えますし*1、そしてまた、ユニットストーリーを読む限りでは問題のある親だと思えた親世代にも、親達なりの想いと事情があったことを巧みな筆致で描き上げており、この点でも僕の想像と期待を軽々と超えてきたと惜しみない喝采を贈りたい想いです。

本記事を執筆中の現在、ワンダショの箱イベント『スマイルオブドリーマー』の最中であり、当該イベントでは鳳えむの父親どころか兄や姉までもがこぞって立ち絵・ボイス付きで登場するほどに、本作における親および家族は重大テーマとして扱われています。また、このイベントをもって、プロジェクトセカイというコンテンツに通底する理想の父親・母親像とでも言うべきものが見えてきたようにも思えます。2007年頃にVOCALOIDに熱中した第1世代は既に子供を持っていてもおかしくありませんから、親子で読んで楽しめる作品に、そして親と子が共に「良き親とは何か」をプロセカを通じて語り合えるようにしようという計らいが感じられます。なおかつ、今の時代を生きる親達が教訓とするに足る、親としての在り方がそこには確かに描かれています。

 

プロセカが求める良き親の条件は、主に以下の2点に集約されます。

  • 子供を自分と対等な人間として見れていること
  • 子供の年相応な未熟さを受け止め、人生の先輩として子供を導けること

この2つの尺度を、本記事では便宜上、前者を対等度、後者を先導度として定義したいと思います。

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まず、対等度については親子問題に限ったことではなく、プロセカ全体の人間関係・コミュニケーションに常に求められている点でもあると言えます。『いつか、背中合わせのリリックを』のこはねと杏の関係が特に顕著なように、どれだけ親しく見える間柄であろうとも対等な関係を構築するのは難しいものです。他にも、穂波がクラスメイトを心の底では信用しきれていなかったことや、複雑な事情を抱える瑞希が類や杏やニーゴの面々との対等なやり取りに救われている様子など、対等な人間関係というテーマはプロセカ全体を通じて語られています。

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一方、先導度については間違いなく親子関係に特有の要件と言えます。ここが友人関係との違いであり親子関係の難しさになってくるところなのですが、親というものは子供を対等な人間と見ながらも、子供に不足しているものをきちんと見極めて先導してやらねばならないのです。対等度に求められるフラットな関係と、先導度に求められる勾配のある関係は、厳密には二律背反こそしないのですが、両立が容易でないことは間違いありません。

 

本記事では、この対等度と先導度という指標から、今一度プロセカの各家庭の親について振り返っていこうという内容になります。子供達に負けず劣らずの個性を持っている親達を見比べることで、プロセカの考える理想の“オヤ観”が見えてくるはずです。

 

 

 

Case. 1:対等度× 先導度○ ~青柳冬弥の父~

プロセカの親達がフォーカスされるに当たって、その先陣を切ったのは青柳冬弥の父(本名:青柳春道)であったわけですから、本記事もそれに倣って青柳父から触れていくことにしましょう。

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まず、青柳父の対等度は明らかに失格です。冬弥に施してきた苛烈な音楽教育は虐待同然と言って良く、自身の指導に対する冬弥からのNOという声もまるで真剣に取り合っては来ませんでした。『Period of NOCTURNE』ではそんなスパルタ教育も「音楽を通して人生を豊かにしてほしい」という親心があってこそのものと子供側から尊重されはしましたが、冬弥が己の意に反して小学生時代の子供らしい時間を奪われてきたことは親側の想いがあったというだけで許されるものではありません。

とはいえ、『Period of NOCTURNE』のラストでは、冬弥のライブにも一応はこっそり足を運ぶというスーパーツンデレ親父ムーヴを見せるなど、少しだけ歩み寄りの姿勢を見せるに至りました*2。ストリートミュージックの良さは理解できない吐き捨てるなど相変わらず壁はありますが、理解しようとはしただけに、課題の対等度は今後少しずつ改善していく兆しが見えています。

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対等度では完全に失格だった青柳父ですが、先導度は文句なしに合格点をあげて良いでしょう。冬弥と違い、苛烈な指導に音を上げずに来られた兄2人は、見事クラシック音楽の世界で羽ばたき、父の願い通り音楽で人生を豊かにすることに成功しています。逆に言えば、冬弥を対等に見れてこなかったのは兄2人の指導で成功体験があったからとも言えるかもしれません。冬弥の声を聞けなかった点は非難されて然るべきですが、青柳父が自身の指導方針に問題を感じられなかったことについては無理からぬことと言えます。もし青柳父が親ではなくコーチであったなら、おそらくは理想的とまで言える人物に違いなかったでしょう。

とはいえ、『Period of NOCTURNE』を読んだ時は、青柳父に対等さがないことは感じられたものの、先導度などという概念は思いもよりませんでした。その視点が必要だと提示してきたのは、冬弥の相棒である彰人の父親でした。

 

Case. 2:対等度○ 先導度× ~東雲絵名・彰人の父~

彰人の父として導入してしまいましたが、東雲絵名・彰人の父が大きくピックアップされたのは姉の東雲絵名の挫折を描いたニーゴの箱イベント『満たされないペイルカラー』でした。

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青柳父とは対照的に、意外にも東雲父の対等度は極めて高い次元にありました。ニーゴのユニットストーリーでは絵名の才能というデリケートな部分に無遠慮に踏み入ってくるように見えたため、同じくニーゴの朝比奈母と同等のどうしようもない親なのかと思っていたのですが……いやはや、やられました。一種の叙述トリックだったようです。

東雲家の問題は、東雲父が娘を1人の人間として的確に評価できすぎていたことに起因しています。今は画家として成功したとはいえ、売れない時期の画家の孤独を知る東雲父は、絵名の甘ったれた根性では画家として早晩立ち行かなくなることを見抜き、画家の道を諦めるよう敢えて厳しい言葉をぶつけます。ここで注意したいのは、彰人にはそういう言葉をかけるどころかむしろ絵の道を勧めていたことがこれまでのサイドストーリーからも伺える点です。東雲父にとっては不遇の日々にも耐え得る精神性こそも絵の才能の一部であり、それが絵名にはなく彰人にはあると、子供達をかつての自分と同じ画家の卵として、そして1人の人間として、正しくその人間性を見定めることができていたと言えます*3

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問題なのは、中3という未熟で当然な年齢の絵名に対し、一人前の画家に求められるレベルの成熟した精神性を要求したことと言えるでしょう。確かにいずれはぶつかる壁なのですが、その壁を乗り越えられるよう、同じ画家の先達として心構えや技術を段階的に教授することはできたはずです。娘の指導を放棄……とまで言うと語弊がありますが、決して指導に積極的でなかったことは否めないでしょう。本記事でいうところの先導度は明確に落第です。

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ところでもう1つ、東雲父については不器用さという問題を念頭に置かねばなりません。先にも述べたように、東雲父が本質的に考えている“才能”は「不遇の日々を耐え抜く精神性」も含まれたものでした。しかしそう考えているにも関わらず、絵名にかけている才能という言葉は一般的な用法通りの先天的な素質としての意味合いでしかなく、全く東雲父の考える“才能”が伝わっていません。悲しいかな、東雲父の不器用すぎる口下手おじさんっぷりが、絵名にとって最もデリケートな領域である才能というトピックで最悪のすれ違いを起こしたことも東雲家の中に溝が生まれてしまった原因と言えます。言葉を尽くさんかい、言葉を!!

そしてやはり青柳父同様に、『満たされないペイルカラー』のラストでは絵名を導く言葉をかけて、課題の先導度が多少なりとも改善されることで幕を閉じました。プロジェクトセカイは、バンドリ!ガールズバンドパーティ!から引き続き、キャラクターを限りなく人間として扱うコンテンツです。そこを追求した結果、青柳父および東雲父のように、親世代も子供と同様に成長していくべき人間として扱おうとしているという意欲が確かに感じられます。

 

Case. 3:対等度× 先導度× ~朝比奈まふゆの母~

……とはいえ、全くもって親として不適格だし、かつ人間的に成長しそうにない親というのもまた存在していて、それが朝比奈まふゆの母であろうと考えられます。

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まず、もはや言うに及ばずだと思うのですが、対等度の点では完全にアウトです。娘の言葉を聞き入れているようでいて自分の思うように捻じ曲げようとする姿勢は、到底娘を1人の人間として見るどころか、あまつさえ自分の人生の部品として扱っていると糾弾するのが相応です。作中でもそれが操り人形のようだとして印象的に描かれましたが、恐るべきことに朝比奈母はその猛毒を全くの無自覚・無悪意のまままふゆに対して注ぎ続けています。

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そして先導度ですが、自分の願いを娘の願いと履き違えているにしても、医学部に進めるための環境整備をしようとしている点を思えば、一見するとある程度の評価は下せるように思えるかもしれません。ですが、本記事で定義する先導度は「子供の年相応な未熟さを受け止め、人生の先輩として子供を導けること」であることを思い出して下さい。朝比奈まふゆの学力は同世代の他の子供と比べても数段秀でた部分であり、放っておいても伸びるであろう要素をサポートしたからと言って子供を導いたことにはならないでしょう。むしろ、子供の才覚と努力の成果を親の手柄であると横取りして誇ろうとしている点では卑劣の烙印を押すに足ります。そしてまた、朝比奈母がまふゆの未熟な部分である情緒面に目を向けようとしている様子はまるでありません

勿論、青柳父や東雲父が立ち絵やボイスを与えられて詳細が明らかになったように、朝比奈母にもそれ相応の事情が描写される可能性は期待が持てます。専業主婦と思われる朝比奈母に育児が一手に担われている様子ですし、育児に非協力的と思われる朝比奈父を勘定に入れないわけにもいかないように思えます。とはいえ、現状の描写から朝比奈母の親としての振る舞いを論ずるに当たっては対等度・先導度ともに不合格と断じざるを得ないのが実情です。

 

Case. 4:対等度○ 先導度○ ~白石杏の父~

ここまで読んで、「結局ダメ親ばかりなんじゃねぇか!!マトモな親はいねぇのかよ!!」と思われたかもしれませんが、います。我らがダンディー、WEEKEND GARAGEの店主、白石謙さんこそが、プロジェクトセカイが標榜する理想の親の在り方を体現してくれています。やっぱ、失敗例ばっかりじゃなくて成功例もなきゃね!!

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もうマジで言うことないくらいの好人物なのでぶっちゃけこういう記事で語るべきことが少ないくらいなのですが、まずは対等度から行きましょうか。杏に対しての直接的な態度で謙さんの親としての在り方が示されることは実のところ少ないのですが、ビビバスメンバー全員にとっての良き先達であり目指すべきレジェンドでもあるため、他のキャラクターに対しての接し方で間接的に杏を対等な人間として見ていることは容易に見て取れます。上記のスクショはビビバスのユニットストーリーからですが、このシーンからも一人娘の杏を「譲れないものを持っている奴」だと一個人としてリスペクトしていることが伺えます。はい、謙さんの対等度は100点です。うーん、ダンディ。

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先導度は更に輪をかけて語るのも野暮でしょう。娘の杏にRAD WEEKENDという目指すべき光景を見せつけたばかりでなく、どうやってそこに辿り着いたかという道筋まで自分の言葉で提示できています。その大きな背中が導くのは杏だけにとどまらず、前述のように男親には何かと問題の在る彰人や冬弥にとっては父親代わりのような存在として、血気盛んな年頃の男子2人の行く末を指し示してくれます。勿論、親としての立場から杏の勇みがちな姿勢を嗜めることにも余念はありません。はいはい、先導度にも花丸満点差し上げます。

 

さて、ここまで4人の親を見てきました。対等度と先導度の2つの尺度から、どちらか片方でも欠けると子供に良からぬ影響が及ぶこと、そしてその両方を満たす謙さんがとても優れた親であることが確認できたと思います。

であれば、対等度と先導度が共に備わっていれば絶対に良い親になれるのでしょうか? 確かに、“一般解”としてはそれで間違いないと思うのですが、プロセカというコンテンツの凄いところは、状況次第では決して潜在的な対等度や先導度が発揮されはしないという“特殊解”を見せつけても来るのです。これから見ていく2人の親は対等度も先導度も高い、本来的には謙さんクラスの優れた親と、その人格を高く評価できます。しかしながら、家庭自体が極めて特殊な事情を抱えているせいで親としての役目を全うすることが叶わなかった、そんな悲劇の事例と言えるものです。

 

Case. 5:優先して先導すべき存在が他にいる家庭 ~鳳えむの父~

そもそも本記事は『スマイルオブドリーマー』から着想を得て書き始めたため、当然にこの人物に触れないわけにはいかないのですが、謙さんと同等のポテンシャルを秘めながらもそれが発揮しきれていない親として、まずは鳳えむの父が挙げられます。

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初めて姿を見せたのこそ『スマイルオブドリーマー』でしたが、その存在はワンダショのユニットストーリーの時点から物語に影響を及ぼしていました。著しく老朽化し、フェニックスワンダーランドの不採算部門と化していたワンダーステージを、当初は経営者としての合理的判断から取り壊そうとしていました。しかしながら、ステージの存続を求めるえむの意志を尊重し、非常にフェアな条件付きでステージの存続を認める判断を下しています。経営者として娘の理想から経営を傾けるような甘さは見せなかったものの、えむが現実に達成できそうなラインをきちんと提示しているのです。『スマイルオブドリーマー』で登場した2人の兄達は末妹のえむのことを年端も行かぬ夢見がちな小娘と遥か格下に見ていましたが、この条件の公正さから、鳳父に限ってはきちんと娘のえむを対等に見れていると判断して良さそうです。

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一方の先導度ですが、青柳父が2人の兄達を立派に羽ばたかせたように、鳳父も社長および専務である2人の息子達を経営者として現在進行系で導いていることから、こちらも高い評価を下せます。子供を対等に見れていて、かつ子供達を導きながら、更には鳳財閥という大きすぎる家を更に発展させようとしており、本質的に鳳父は優れた父親であると称賛できます。慶介と晶介の親として、に限ればですが。

そう、現在鳳父が先導度を発揮できているのは社会人となった2人の兄達に対してのみであり、仕方ないとは言え学生の身分のひなたとえむの妹2人は後回しになっているのが現状です。決して2人の兄を贔屓しているわけではなく、おそらく妹2人にも将来的に経営者としてのノウハウを授ける用意はあるだろうということも伺えます。ワンダーステージ存続の件がまさにその証左で、この際にえむに収益の向上という経営的な条件を与えたことから、未来の鳳財閥を背負うリーダーの1人としてえむを育てるつもりがあることは見て取れます。ただ、えむが学生であるのと同時に、今はまだ慶介と晶介の2人が未熟な経営者であることから、えむには手が回らない状態なのです。一見大人としてワンダショの前に立ちはだかっているようにこそ見えますが、慶介と晶介はえむ達同様の子供側の人物として描かれていることに留意せねばなりません。

 

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ここからは予想になりますが、本作における「優れた経営者」として模範になるのはえむの祖父であろうと考えています。えむを含めた孫達の言説からは理想家でお人好しな好々爺のように扱われていますが、本来の祖父はフェニックスワンダーランドを創業した偉大な敏腕経営者です。えむ達孫世代が知るのは一線を退いて隠居していた晩節の故人なのかもしれませんが、本来的には慶介や晶介も見習うべき鳳財閥の偉大な先人なのです。そしてまた、鳳父は祖父の理念の確かな継承者でもあります。ショーには役者達を見守る“監督者”が必要という考えをえむに漏らしていましたが、その祖父の理念を経営の分野で監査役として、2人の兄に対して実践しているのが鳳父と言えます。バラバラになっている鳳家の全員が見据えるべきビジョンとして、そしてまだ親子としての関係を始めきれていないえむと鳳父が最初に分かり合う価値観として、祖父の存在は死後もなお欠かせないピースとなっていきそうです。親子はまだ始まってすらいないぜ*4

 

Case. 6:子供が対等な存在でも、先導できる存在でもない家庭 ~宵崎奏の父~

親としての素質は十分ながらもまだ始まりきれていない親子があった一方で、最悪の形で終わってしまった親子関係も存在します。詳細はこれから見ていきますが、宵崎奏の父は、本来ならばとても立派な父親になれるはずの人でした。そう、娘が作曲の天才でさえなければ――。

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中学生の娘が自分の楽曲を超えるアレンジを軽々とやってのけた際、宵崎父の口から漏れたのは純粋な賛辞の言葉でした。1人の作曲家としての立場から、目の前にいる娘が優れた作曲家であると認めることができており、本記事で言うところの対等度は申し分ない人物です。

ところが、宵崎家に限っては対等度が高いことが却って不幸を招いたとさえ言えます。ここで意固地になって奏のアレンジを「子供のお遊びだ」などと突っぱねられる面の皮の厚さがもしあれば、奏を傷つけることにはなったでしょうが宵崎父が病臥する結末だけは避けられたはずです。けれども、自分と同じ作曲家として娘を見られてしまう宵崎父は、10代半ばの娘が既に自分よりも遥かに優れた実力を有していることをしっかりと受け止めてしまいます。宵崎父にとって宵崎奏は、対等に扱うどころか見上げなければならない存在でした。

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先導度については娘の奏に家事をさせてしまっていたり、音楽的な指導は根本的にしてこなかったりという点でマイナス面もあるにはあるのが実情です。とはいえ、早くに母親を亡くした奏を少なくとも中学時代までは男手一つで育ててきたこと、そして何より「音楽で人を幸せにする」という楽家としての信念を娘に与えられたのは、上記のマイナスを十分に補えるプラス面でしょう。シングルファーザーという難しい立場でありながらも、人格形成において娘を確かに導けていたことは労をねぎらうに余りあります。

しかしながら、父と娘を最も繋ぐ音楽の部分で先導できていないという点が、宵崎家においてはあまりにも重すぎました。仕事に追われて奏に家事をさせることすらあったくらいでしたし、宵崎父は奏に対して音楽を指導してきたことはほとんどありません。宵崎奏は父の見様見真似で作曲を始め、そして見様見真似だけで他人の心を揺さぶる楽曲を制作するに至った本物の天才です。「親が何もせずとも伸びていった」という点で朝比奈まふゆの学力に近しいものがありますが、朝比奈母が厚顔無恥にも娘の功績を自分の教育の賜物と誇る気でいたのと違い、宵崎父は1人の音楽家として奏を見ることができているだけにそういった態度が取れません。奏が奏自身の努力と才覚によって確かな実力を手にしたことを、十全に理解してしまうのです。宵崎父の眼前に突きつけられたのは、自分が指導などしなくても奏は一人前の音楽家となったし、そして今後も自分の指導など必要せず奏が名曲を作り続けるだろうという、絶望的なまでの自分自身の存在の否定です。宵崎父にとって宵崎奏は、親として先導することすら叶わない圧倒的な才能でした。

 

それでは結局奏の才能が悪いのかという話になってしまいそうですが、決してそうではありません。これも今後プロジェクトセカイというコンテンツでじっくり描かれていくことだとは思うのですが、親も親である前に1人の人間です。宵崎父は、親である前に1人の作曲家でした。そして作曲家としての矜持と苦悩があるからこそ、宵崎奏という圧倒的な才能に押し潰されました。つまりは、作曲家でない親がいさえすれば宵崎家の悲劇は避けられたのです。

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宵崎家の悲劇の本質は、母親の早すぎる死です。作曲家でない立場から娘を導いてくれる親さえいたならば、そして宵崎父の古臭いかもしれない楽曲を1人のファンとして愛してくれる人が存命だったならば、父が病床に伏すことも、娘が自分自身の言葉に呪われることもあり得ませんでした。宵崎父が親たり得なかったのは、娘の才能と親のパーソナリティが接近しすぎていたためと言えます。もし、プロセカの親に求められるものが対等度と先導度の他にあるとすれば、それは子供の才能と適切な距離を置いた上で、それを尊重できること……だったりするのかもしれません。

 

Another Case. よく分からないなりに応援する親 ~小豆沢こはねの父~

……で、そういう種の親が宵崎母以外にも作中にいないのかと言えば、います。これまで見てきた6人の親、6つの家庭は、それぞれ芸術分野で秀でていたり、或いは飛び抜けて裕福だったりと、決して「普通の家庭」ではありませんでした。最後に少しだけ紹介するのは、そんな特殊な家ではない、本当にどこにでも存在していそうな家庭の、小豆沢家です。

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小豆沢こはねの父についてですが、彼についての対等度や先導度ははっきり言って判別できるほどの情報が未だありません。この尺度で何かを語れるほどキャラが立っているわけではなく、そして極めて小市民的な人物として描かれています。ごくごく一般的な感覚から治安の悪いイメージの夜のライブハウスに入り浸る娘のことを心配しますし、そしてごくごく一般的な感覚からライブハウスのステージに立つ娘のことを授業参観のような感覚で応援する、本当に何の変哲もない人物です。あまりにも一般人らしすぎて、今後小豆沢父に立ち絵やボイスが与えられたとしたら逆にビビってしまいそうです。いやまあ、パール伯爵を飼育する程度にはトンでるところもある人物ではあるのですが……。

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ですが、そんな小市民の権化だからこそ、他の家庭では描けない親の在り方を示せる人物でもあるように思えます。『Period of NOCTURNE』でライブに参戦した時、ストリートのマナーなどまるで分かってはおらずにスタッフからカメラを没収される様子すら描かれました。ストリートライブ初見の青柳父がその音楽的な楽しみ方を理解できなかったように、おそらく小豆沢父もストリート音楽の真髄などはまるで理解せずに終わったことでしょう。しかし、小豆沢父は娘が何をやっているのかを大して理解しないまま娘を全力で応援します。本当に、一見何の変哲もない微笑ましいパパの描写でしかないのですが、だからこそ、これまで見てきた他の家庭と、特に宵崎家との対比を行うとその差異が鮮明です。

宵崎父は娘の才能が如何に凄まじいかを、音楽家としての経験から肌で感じられることが出来ました。青柳父や東雲父も、子供の才能の有無を自身の芸術家経験からある程度は感じ取っている描写があります。それに引き替え、小豆沢父にはストリートを湧かせるこはねの才能を理解できるだけの素養がありません。ですが、子供の才能を理解できなくとも、親がそれを応援できない理由にはならないということを、全身全霊で示してくれている人物でもあります。

繰り返すように、小豆沢父については対等度や先導度といった指標は今のところ用をなしません。にもかかわらず、とりあえず子供のやることを全力で心配するし応援するという、あまりにも素朴な子供のサポーターとしての姿は、そんな尺度を超えた純粋な親の在り方を描き出しているように思えてなりません。

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以上、6+1つの家庭について、『スマイルオブドリーマー』までの描写から、プロセカの“オヤ観”について対照・比較しながら考察してみました。小豆沢家については記事を書き始めた当初は触れる予定もなかったのですが、宵崎家との良き対比になるように思えたので急遽書き加えた次第になります。こういう、記事を実際に書くことで得られる発見があるからブログってのはやめらんねぇぜ!

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無論、今回言及した以外の家庭にもプロセカの親世代が増えていくことは予想されるのですが、対等度と先導度という2つの尺度について述べるならこのタイミングだなと思ったため、ここで記事を発表するに至りました。今回述べた家庭以外では、瑞希の両親が子供の複雑な事情をどう受け止めているかは絶対に描かねばならないところだと思うので欲しいと思いますし、あとはやはり天馬家や日野森家といった、2人以上のメインキャラを抱えている家庭がどういう環境であったのかも純粋に気になるところです。

 

ともあれ確かなのは、今後もプロジェクトセカイというコンテンツが親世代のキャラクター達を通して様々な親子関係の在り方を見せてくるだろうということ、そして親世代も1人の人間として扱うつもりであり、親世代も子供世代と同様に未だ成長途上の人物としてその人生を描くつもりであろうということです。

「子供と大人」は、フィクションにおける永遠のテーマの1つですし、個人的に大好きなテーマでもあります。そして、Colorful Paletteの筆致でそれを味わえそうなことに、この上ないほどの期待感を抱いています。

*1:ガルパにも美竹蘭、湊友希那、チュチュなど、親との向き合いが課題となったキャラクターは勿論いるのですが、プロセカほど親子関係が深く切実に掘られたかと言えば答えはNOと断言できます。

*2:冬弥にバレないように完璧に変装を決め込んだ上でライブ終わりにはダッシュで帰って普段の部屋着で冬弥を待ち構えていたわけですから、この時の青柳父の行動は考えれば考えるほど面白味に溢れています。

*3:ただし、彰人はかなり早い時期に辞めてサッカーに打ち込むようになったことも見て取れるため、中3まで順風満帆に続けてきた絵名とは同列に扱いづらいことも留意すべきです。

*4:ところで、鳳祖父が父方なのか母方なのかが今のところはっきりしていないため、鳳祖父と鳳父が実の親子なのか義理の親子なのかが判然としません。鳳母がカンボジアにボランティアに行っているような人物であることからも、母方の可能性が高いと予想しています。