矛盾ケヴァット

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その少女は、ただBanG Dream!をしただけだった ~It's MyGO!!!!!劇場版:前編「春の陽だまり、迷い猫」感想~

It's MyGO!!!!!の放映から早1年、その総集編となる劇場版前編:春の陽だまり、迷い猫が封切りされました。

Ave Mujica編が待ち遠しい中でしたので、正直総集編やるなら新作の公開早めてくれよという思いはないではなかったのですが、蓋を開けてみるとTV版では語られなかったエピソードの数々がドカドカ湧き出してくるという、想定を遥かに上回る満足度の総集編……いやこれもうOVAとかの類じゃない!?と思ってしまうレベルの内容になっていました。とりあえずMyGO!!!!!ファンは急いで観に行った方がいいと思うよ!!

総集編と言いつつ新規エピソード盛り沢山。そりゃこんなん作ってたらAve Mujica編の放映スパン1年以上空くわと納得する出来だったわけですので、じゃあ今回の感想記事も書くかぁとなったわけです。一応、It's MyGO!!!!!の感想記事を毎回書いてたブログなので。

兎にも角にも、TV版を骨の髄までしゃぶり尽くしたようなオタクにも大満足の出来でした。それでは、以下ネタバレ満載となっておりますので、未鑑賞の方はお気をつけ下さい。

 

新規カット……ならぬ新規表情、大放出!!

アニメ作品の総集編劇場版と言えば、とりあえず気になるのはここだと思います。新規カットはどのくらいあるのっと?

結論から言えば、MyGO!!!!!劇場版前編においては新規カットはバカほどありました。その内の多くは後述する要楽奈のオリジンエピソード周りが占めるのですが、いやいや待って下さい。既存のシーンも新規カット……というよりは新規表情が満載なんですよ。

TV版と劇場版の違いとしては、そよの暗部を隠さなくて良くなったという点が一番大きいと思います。TV版では段階的に、じわりじわりと滲み出させていったそよの後ろ暗い部分が、劇場版では最初からオープンになっています。というか、上映が始まって最初に見せられるシーンは、例のなんで春日影やったの!?であり、もう隠す必要すらなくなってるんですよね。だからこそ、TV版では見られなかった色々な表情が見られるようになっています。

特に顕著だったのは、TV版2話での、RiNGで出会った愛音とそよがバンドを結成するべく(表面上では)意気投合するシーン。TV版ではそよがまだ猫を被っていたので愛音がただただ騙されるだけに終わっていたのですが、劇場版では初対面の愛音からどの程度情報を引き出せるのかという、一種の心理戦のような様相を呈しており、まるで質感の違うシーンに様変わりしていたように思います。

また、そよに関して言えば、5話で立希を煽って焚きつけるRiNG昇降階段のシーンも、新規表情が加わることによって、腹に一物を抱えている様子が強調されていました。まあ、このシーンがそよの策士ポイントの絶頂期であとは下り坂だったわけなんですが、それ故に最もゾクッとする、鋭角な表現になっていたなと思います。あと、同じように暗い画面のシーンとしては、7話でライブを観る睦の表情なんかも頬の赤みが分かりやすくなっていましたね。

そして愛音についてもかなり補足が利いていたなと思います。留学からの挫折の流れはかなり前後関係が補われていましたし、何よりも、燈がセンターになると察してからの嫉妬心!! 本当に、だいぶ嫌な感じの表情を燈に向けていて、これまでぼんやりと「そうなのかなあ」と感じていた部分がかなり分かりやすくなっていました。

他にもこまごまと挙げたいポイントはあるのですが、全体として既存部分にもTV版にはない注釈が多分に加わった総集編劇場版になっており、その点でも価値のある作品でした。この手の劇場版における要求は、十全に果たしていたと言えます。TV版を何周もした僕でも新鮮な視聴感を得られる作品でした。

 

厳格と音楽性のあいだで ~都築詩船~

まず、謝罪から入らせて下さい。

TV版It's MyGO!!!!!を視聴していた時、要楽奈のあまりの暴れん坊っぷりに対して、こんなことを考えてしまっていました。都築詩船オメェよ~、ポピパに対してあんだけ厳しかったくせに、孫に対しては猫可愛がりしまくってんじゃねーかよォと。孫と言えば何でこんなに可愛いのかよで歌い出す名曲もあるくらいですし、さしものやりきったかいババアと言えども、その魔力には抗えずに甘やかしてしまった……のだと勝手に考えていました。

蓋を開けてみると、都築詩船おばあちゃん、普通に厳しく躾けていたんですよね。特段、孫だからと特別扱いしてる素振りは全くない。ただ単純に、要楽奈のちびっこギャングぢからが範馬勇次郎クラスだったというだけで、教育側がこれ以上どうこうできる余地などなかった……。スンマセン、詩船おばあちゃんが甘やかしすぎてたんだと誤認してたのもそうですし、要楽奈という存在の暴虐性も舐めてました。そうだよなあ、要楽奈ほどのナチュラルボーンバーサーカーなら、子供時代からこれくらい暴れてたっておかしくないんだ……。

ただその一方で、本来は厳しく孫娘を導きたかった詩船おばあちゃんを黙らせてしまうくらいの音楽的才覚を持っていたというのも、バランスが取れた表現だったかなとも思います。音楽に生涯を捧げた都築詩船なのですから、音楽の前では嘘がつけない。だからこそ、入学式をバックレて“約束”のギターを弾きに来た楽奈の蛮行を……甘やかすとは言わないまでも、受容してしまったわけです。また、“約束”はバンドリにおける超重要ワードなので、それで黙らされるのも道理というものでした。

厳しく躾けていたにもかかわらず、音楽への純粋さが教育においては弱みになってしまう……。要楽奈というギターの腕以外は全て未成熟な存在が育ってきた環境として、リアリティのあるバックボーンを見せてくれたなと思います。

SPACEを閉めた理由も、ここを楽奈のゆりかごにしないためという老婆心からでした。猫のように育った孫を千尋の谷に突き落とす決意をした彼女は、やはり偉大な百獣の王でした。

 

母親になりたくて ~要唄~

まず正直に言いますが、It's MyGO!!!!!本編において、上記画像は全編通して最もドン引きしたシーンでした。ウワッ、母親であることをアイデンティティにしてる人間キモすぎ!!と。いや、マジで気持ち悪くないですか? 人間って、女として生まれてくることはあっても、母親として生まれてくることはないので。自身の存在意義を子供に依存している、ちょっとヤバい母親なんだろうなと、TV版時点では思っていました。

蓋を開けてみると大問題児の楽奈にも親身に寄り添って何とか導こうとしてくれる良き母でしたし、むしろ楽奈が問題児と分かっていながら日本での育児を嫁に丸投げしてる父親側が諸悪の根源じゃねーか?と思うような内容でした。けれども、このマッチャマッチョなパパさんも、ロンドンなら楽奈も馴染めるんじゃないかと受け入れる懐の深さは見せてくるのでやはり簡単には悪者にはできない絶妙なバランス感覚でしたし……まあ、結局楽奈という存在が暴虐すぎたのが悪いとしか言いようがないんだと思います。

ところで、唄(うたい)という名前がまた物悲しいですね。おそらくママ(詩船)は自分と同様のミュージシャンになることを願って名付けたのでしょうが、彼女は音楽とは全く無関係の、服飾の道を選びました。それが才能の欠如なのか、それとも音楽に興味を持てなかったからなのかは分かりませんが、ともあれ、生まれてきた時に願われたものとは違う道を歩んだわけです。面白い女になったね、という詩船からの称賛にはその名前に込めてしまった重荷を降ろすような、この親子の物語が詰まっていたと思います。

ところが悲しいことに、親の願いとは違う道を歩む性質だけは娘にも遺伝してしまいました。劇場版を観た後だと、11話の「私の衣装、切れてるー!!」のシーンも味わいがまるで変わってきます。いやもうおかしいんですよ、この衣装を真っ二つにした犯人、親が服飾関係の仕事してるので。どれだけ母親の仕事に無関心だったのかという話ですし、そして、おそらく幼少期にも同じような悪さをしでかしてるに違いありません。常習犯ですよこいつ!

ところで、幼少期の楽奈なのですが、おばあちゃんが弾くギターに出会う前は黒猫のぬいぐるみを引き連れていたんですよね。さて、作中で唄は仕事でチャンスに恵まれ、夫も住まうロンドンに赴任する話が舞い込むわけなんですが、それが服飾パタンナーとして声がかかったとのことです。服飾パタンナーって、早い話が型紙を作る人なんですよ。この型紙作りのスキル、あらゆる布製品に応用が利くので、ぬいぐるみ作りにも活きるんですよね。だとするとこのぬいぐるみ、唄ママの手作りだった可能性が出てきます。そして、バンドリの偉大な先輩が麺棒をスティックに持ち替えたことを思うと、楽奈はぬいぐるみをギターに持ち替えて……をやってしまったのではないかと。

でも、母親の望んだ道を捨てたのは唄ママも同様なので、それに文句が言えないのだとも思います。なので、アイコンを「母」にして、スクリーンネームをお母さんにするほど母であることに拘ったのは、そうした母親になりきれない彼女の、少しばかりの抵抗なのだろうと……は思うけどやっぱちょっとキモいなあ(それはそれ)。

ただ、楽奈が手芸部に入り浸っていることが、ある種の救いになっているようにも感じられました。母親として、ちょっとは影響を残せたみたいです。

 

直線と丸、英国と日本

この項は物語部分ではなく、映像的な技術面への感想になるんですが、都築詩船の住まい、ちょっとやりすぎなくらい直線だらけだったですよね!? まず、マンションのエントランスからして正方形の吹き抜けを含んでおり、そして室内に入ってからも壁やら扉やら防音資材やらがとにかく直線だらけ、そんな中で回転するレコードだけが丸で、そこから奏でられる音楽が楽奈にとっての安らぎの場所とでも言うべき画作りになっていました。楽奈が本来帰るべき要家は日本家屋で、丸くなれる炬燵もあるわけなのですが、炬燵よりもレコードの丸を求めた猫という表現になっていました。

そして英国に発つ娘の代わりに孫の面倒を見るべく、この直線だらけの家を捨てて娘婿の実家であろう要家に移り住みます。ところで、英国と日本って同じ島国なのに対極ですよね。ユーラシア大陸を挟んで東西にある島国という点も勿論なのですが、ユニオンジャックは直線だらけで、日の丸は純然たる丸なので。

直線だらけのあの家は、一種の牢獄のような質感すら持っていました。そこから楽奈も詩船も自由になったわけです。そして、詩船は前述のように楽奈にとってのSPACEが彼女のゆりかごになることを危惧して閉店を決意したわけですが、英国と言えばゆりかごから墓場までと謳われた手厚い福祉政策が有名です。ただ、この政策により英国は経済を含めた諸々が成長しない状態に陥ってしまいました。それを変えたのが鉄の女と呼ばれた宰相で、数々の規制緩和によって英国をゆりかご発、墓場行きの牢獄から引きずり出し、国民からの非難を散々に受けながらも成長できる国へと変えていきました*1

BanG Dream!には“成長”という言葉をこれ以上ない輝きをもって語った人物がいて、それがまさに前作主人公たる戸山香澄です。30年以上成長してない国で生まれ育った我々には、この言葉は本当に突き刺すような響きすら感じられます。そして、この言葉は杖を突かなければ歩けないほど老いた都築詩船に語られた言葉です。

無論、この『Live Beyond!!』はSPACEを閉めた遙か後の物語なのですが、孫が成長するためにSPACEを閉めた都築詩船に語られた言葉だったとすると、また重みが増してきます。SPACEを孫にとっての墓場にしないため、彼女は店を閉めました。そんな彼女にとって、森羅万象が成長できると語る戸山香澄の言葉は、本当に重かったのだろうと思います。老いた自分もまだ成長できると引っ張り上げてくれると同時に、孫に嫌われることを承知で下した非情の決断をも肯定してくれる言葉だったので。

ところで、SPACEの今の姿であるコインパーキングは割とバブル崩壊後の日本の象徴のようでもあります。地価高騰に乗せられて買ったは良いものの、その後暴落して使い道のなくなった土地を何とか有効活用しようとした結果誕生した、バブル経済の残り香なんですよね。言ってしまえば成長とは真逆の、停滞の象徴です。

ただ、これもある種の非情かなと感じました。老人にできるのは、せめて墓場を作らないことのみ。実際に成長するのはお前ら若者の務めだぞと。そして要楽奈はその願いどおりに成長を……いやまあ人間的には相変わらずちびっこギャングなのですが、この物語を受け継ぐに相応しいBanG Dreamer!へと成長してくれました。

 

純粋すぎたBanG Dreamer! ~要楽奈~

極めて露悪的な言い方をしますが、この「春の陽だまり、迷い猫」という作品はな春やに始まり、な春やに終わるフィルムです。よくネタにされるシーンに開幕も終幕も担わせる構成になっています。

とはいえこの構成になったのはただのおちゃらけでも何でもなく、「なんで春日影やったの!?」というそよの叫ぶような問いかけに対して、きちんと答えを出してきたからです。それも楽奈サイドの立場から。要楽奈がなんで春日影をやったのか。それは、

 

念願叶って組めたバンドの、めちゃくちゃ好きな曲だからです。

 

Poppin'Partyが主人公だった第1期のキャッチコピーは、「私たち、絶対ここでバンドします!」でした。そして春の陽だまり、迷い猫のキャッチコピーは「……ここで一生ギター弾く」。綺麗に継承されているようでいて、その内実には明確に異なる部分があります。ポピパには“ここ”があるけど、楽奈には“ここ”がない

もっと言えば、おもしれー女と認めた高松燈とさえ、溝があったことが描かれました。CRYCHICを通じて一度は居場所を見つけられた燈は、人間になりたいうたで「みんなみたいに友達できたけど」と歌うのですが、その裏では15年間友達ができなかった要楽奈がいたわけです。

この孤独な少女はまず「中学生になったらエレキギターを弾く」という夢を撃ち抜きました。次に少女が見た夢は、「バンドを組む」というもの。ですがその夢は、撃ち抜くべき場所を失いました。そんな中、りりちゃんが開いてくれたRiNGで音楽への情熱を取り戻していたら、そこに現れたわけです。おばあちゃんが「軽々しく口にするんじゃないよ」と言った、“一生”を軽々しく口にするおもしれー女が。そいつがしかも、バンドを組みたがっている……じゃあ、乗っかるしかないよね!!

一見して奇想天外な楽奈の行動理念は、おもしれー女とバンドを組みたいというその一点のみに集中していました。バンドをやりたい!! これ以上のBanG Dream!=撃ち抜くべき夢というのは、本来存在しないんですよ。バンドを組むことそのものが夢というのは、本作でもすれ違うように登場した朝日六花、そして全ての始まりとも言える小説版の戸山香澄にも通底する、BanG Dream!の原点とも言える初期衝動(イニシャル)です。だいぶ巨大化したプロジェクトなので見過ごしてしまいがちですが、要楽奈は、この原点に最も忠実なキャラクターとして造形されています。

そして、バンドに焦がれ続けた少女は、春日影を演奏した瞬間に夢を撃ち抜きました。要楽奈は、ただ全力でBanG Dream!をやっただけなのです。

ただ、何の因果なのか、BanG Dream!というプロジェクト名にはBanGという銃声が冠されていています。本来、銃は凶器です。夢を撃ち抜く力は、誰かの願いを粉々に打ち砕く力を持っている……。要楽奈という純粋すぎるBanG Dreamerの物語は、そういったBanGの力を残酷なまでに再認識させるものにもなっていました。

*1:フォークランド紛争に勝利して以降は高支持率に転じました。念のため。