矛盾ケヴァット

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誕生前のお母さんと反抗期の迷子 ~BanG Dream! It's MyGO!!!!! 7話感想~

子供未満のお母さん ~長崎そよ~

さて、問題の7話がやってきました。

おそらく途中まではそよの計算通りのライブでした。1曲目の碧天伴走は愛音と燈の緊張でガタガタ。それでも祥子が燈の顔を厳しく睨みつけてくれることで、燈は本来の声を取り戻します。意図的ではいなさそうだったもののベースのチューニングを怠っていた描写もありましたし、ライブの終わりにはこう声を掛ける算段だったのではないでしょうか。「やっぱり私たちだけじゃダメだね~。祥子ちゃんと睦ちゃんが戻ってきてくれればなあ(チラッチラッ」と。なるほど、都会へと巣立った子供を田舎に連れ戻そうとするお母さんらしい干渉の仕方と言えます。祥子の方はしつこいおっかぁを拒絶するためにやって来たわけですが、このステージでも燈に発破をかけてくれたように面倒見の良さは折り紙付きなので、もしかすると「しょうがないですわねぇ!」と母の介護を買って出てくれた可能性はゼロではなかったかもしれません。この日この場所で、春日影の再生産が行われることさえなければ……。

本来なら祥子のピアノソロで始まるはずのその曲は、楽奈のギターソロから始まるという、開幕から豊川祥子の存在を抹消した春日影へと姿を変えました。それでいて楽奈のアレンジを取り入れることによって祥子のオリジナルよりも高められた、無情にして最上の春日影。「ねぇ、お願い。どうかこのまま離さないでいて」と歌う高松燈は、もうすっかり祥子の手から跡を濁さずに飛び立ってしまっていました。CRYCHICを濁しまくって飛び立った祥子とは雲泥とも言える差を見せつけながら……。

自分の作曲した春日影でありながら輪から外れてしまった祥子は、その目から壱雫空をティアドロップスしながらライブハウスRiNGから飛び出していきます。いずれ愛音と楽奈を爪弾きにしようとしていたはずが、自身も爪弾く春日影によって愛する我が子を勘当するというそよにとっては最悪の結末。まあ確かにバンド少女は日々進化中なので、同じ舞台も同じ春日影もないとしか言いようがないのですが、流石にここまで様変わりしてあの日の思い出を塗り替えられてしまってはそよの脳味噌が'Big-Bang!'されるくらいのダメージを受けても仕方ありません。

とはいえ、ここまで脳味噌を刺激的ピキピキにされようともずっと青信号で演奏を止めなかったことは称賛に値すべきものであると思います。The Show Must Go On。舞台が始まったら最後、そのパフォーマンスを止めることは許されないという点で、長崎そよは既に立派にステージに生きる少女ではありました。実際、愛音が緊張から足を引っ張った時にもトークで間を繋いだりと、この舞台を延命させる働きをしてくれたのは紛れもなく長崎そよだったのも事実です。ですが、バンド少女としてその姿勢は不合格。そもそもバンドの本懐は、一緒に音楽を奏でるもの。楽奈が奏で始めた春日影を一人受け入れず、みんなといるのに独りみたいな、舞台上に1人だけで立っているポジション・ゼロでは、バンド少女たり得ません。実際、他のメンバーが充実感を覚えて退場したにもかかわらず、ただ1人そよだけが舞台に残されるという最悪のポジション・ゼロまで実現しています。そしてこの時、燈が居場所にしていたはずのア・テンポノートを忘れかけるという示唆的なアクションまでしていました。まるで、祥子やCRYCHICの存在をオブリビオニスしたかのように……

ところで今回、カメラワークも非常に特徴的でした。楽屋裏でのシーンはまるで定点カメラによるモニタリングのように、第三者的な、関係者でない視点から本番前で緊張を隠せない燈たちの姿が描かれました。それがライブ本番になるとキャラクターの傍へと接近したカメラになり、臨場感が伝わる関係者の視点のカメラになっていきます。ところが、碧天伴走でも春日影でも、一番盛り上がるラスサビの箇所でバンドリ3期のミライトレインで見せたようなグルグルと縦横無尽にメンバーそれぞれの姿を映していくカメラ演出も行われたのですが、どちらの曲もそよのところだけカメラが通過して行きます(下記動画にて、当該部分を時間指定してリンクを貼っています)。

まるでそよだけこのバンドの関係者ではないとでも言いたげですが、ミライトレインとの関連を思えば、停まる地点は停車駅のメタファー。そよだけはまだ駅から降りずに列車の中にいると言えるかもしれません。列車は必ず次の駅へ! 列車といえば前回の立希も、自身の最寄り駅を度外視してまで燈を送り迎えしていた日々に終わりを告げ(いやまた送り迎えしそうですが)、列車を面影橋駅まで乗り進めることによって自分の降りるべき駅へと前進し、碧天伴走という初めての作曲を成功させました。どこで降りるにせよ、前に進むためには列車からは飛び出さねばならないのです。

大場ななは確かに1年前の第99回聖翔祭で舞台少女として誕生したのですが、バンド少女・長崎そよは未だに誕生してすらいないのではないかと思われます。自身の手のひらの上で転がしていた愛音は、前回をもって飛び出すことに成功しました。その一方でこのお母さんは、未だに子宮から飛び出しきれていないのです。

 

天才に屈服した者と立ち向かった者 ~豊川祥子と椎名立希~

堪忍袋の緒がズタズタになっているお袋は立希に向かって「何で春日影やったの!?」と怒り心頭でしたが、そもそも春日影を最初にやりだしたのは楽奈なのでマジ信じられんくらい理不尽です。どう考えてもキレ散らかすべきは楽奈ですし、立希が楽奈に乗っかって春日影を叩き始めたことを問題視したとしてもお前も演奏止めずに乗っかって春日影演奏してたやろがいという話なので、全く理の及ばないところで感情が動いています。こういう一見無茶苦茶な感情をリアリティに落とし込んでいるのがこの作品の凄いところだと思います*1

兎にも角にも今回のキーパーソンは間違いなく楽奈でした。立希から「燈のMCが終わるまでは演奏するな」と忠告されたにもかかわらず、華麗に無視して燈のMCの途中でエモーショナルなBGM演出を披露しては春日影に繋ぐなど、Groovyな才覚を発揮しています。春日影の楽譜を見ただけで自己流にアレンジしていく楽奈のやり方は、その楽曲の誕生した経緯や歌詞に込められた気持ちなどを汲み取っているものとは言い難く、ある種燈の歌詞が土台のCRYCHICの音楽性とは対極にあるものだとは5話の記事で考察したとおりです。実際、それが原因で祥子の心をズタズタに引き裂いたわけですが、燈の心情に寄り添ってBGMを奏でているところを見ると、やり方が違うだけで音楽を通して感情を吐き出そうとしているのは実は燈と一緒なのかもしれません。そしてそれこそが、楽奈の言うおもしれー女の本意なのかも……*2

とはいえ、他人の感情や過去をDigれば秘められたDelightが見つかった姉妹コンテンツとは違い、MyGO!!!!!の物語は下手にDigろうもんならDespairだとかDangomushiだとかが出土する、Dで始まる地雷原です。人と音とを繋ぐDJとは全く異なり、楽奈のギターソロは結局CRYCHICのか細い絆を、そして春日影と豊川祥子の繋がりを断ち切るものになりました。

「お願い、初華……全部、忘れさせてっ……」

楽奈が祥子との繋がりを断ち切った結果、祥子は別の女と肉体的に繋がる道を選びました。オブリビオニス(忘却)って激しい情事の隠語だったのかな?と思ってしまうくらいにこの後2人が過ごす燃え滾るような夜の営みを想起させられるものになっているのですが、初華に連絡する直前にはあまりに苛烈な憎悪の眼差しを巨大ビジョンに向けていることも、やはり捨て置くわけにはいきません。ただワンナイトラブを所望している相手に向ける視線では、どう考えてもないのですから。

ところで、今後結成の物語が描かれていくであろうAve Mujicaには、メインの作曲家が誰なのかという問題がこれまで横たわっていました。CRYCHICで作曲を務めていた豊川祥子、そしてsumimiで作詞作曲を手掛けている三角初華の2人が既に作曲を経験しており、場合によっては後のアモーリスたる祐天寺にゃむも作曲経験がある可能性があります*3。マルチ作曲家体制を採用しても面白そうではあるのですが、それでもやはり音楽性の軸になる人物がいた方がバンドものとしては立体感が出てきます。そしてここからは憶測の域なのですが、豊川祥子がこれまでの作曲経験を“忘却”したいがために三角初華に寄りかかったと見てもいいのではないかと思います。自身の作曲した楽曲は楽奈によって粉々に打ち砕かれて眩しい芸術品に変えられてしまいました。もう、作曲なんて忘れたい。そんな絶望の深淵に至った祥子が劣等感を払拭するために頼ったのが、旧知であり既にプロとして活躍している初華というのは自然な流れではあるように思います。もしかすると祥子の劣等感の根源が初華だったかもしれないとしても。

1~3話の記事でも述べましたが、豊川祥子は誰かの笑顔を大切にしたいと願い、他人の笑顔を喜べる人物でした。そんな祥子の眩しい笑顔がスマホを見て曇ったのが結局「ボーカル必死過ぎ」という心無いSNSの書き込みだったのか、それとも初華からのメッセージだったのかは結局不透明だったのですが、7話まで終えた現時点なら答えは両方だったのではないかと思えます。高松燈は「私は、必死に歌うしか出来ない!」と祥子に直談判しましたし、旧知の三角初華は空虚ながらも希望を歌い上げ、売れ線のヒットチャートに乗って大衆を笑顔にする曲を奏でられるアーティストに成り上がっています。笑顔を何より大切にする豊川祥子からすれば、それはこれ以上なく屈辱的な境遇だったかもしれません。幼馴染みが音楽で周囲を次々笑顔に出来ていくのを見せつけられながら、自分は大切な人1人として笑顔に出来なかったのですから。豊川祥子にとって、三角初華は絶対に超えられない才能だったのではないかと思います。そして、突如として自身の作曲した春日影を見事にアレンジした要楽奈もまた、豊川祥子にとっては三角初華と同列に映る人物ではあったでしょう。

この憶測が正しければ、要楽奈の編曲に屈服し、それを忘れるために三角初華に屈服したのが今回の豊川祥子の心の動きでした。けれども、その行動が間違いだったことを、豊川祥子に劣等感を覚えていた椎名立希が証明しています。前回、6話で独りよがりとしか言いようがない苦闘を演じた立希でしたが、それは要楽奈という才能に、ガムシャラに立ち向かったからこそのもの。己の無才と戦いながら、まあ愛音や燈からは逃げ出したりもしましたが、楽奈からは決して逃げ出さなかった。要楽奈という圧倒的な才能を前に立ち向かい続けたからこそ、椎名立希は初めてのオリジナル作曲である碧天伴走を作り出し、楽奈が独善的にアレンジした春日影にも意気揚々とついていきます。豊川祥子が要楽奈の才能を前に敗走して屈辱に塗れた一方、要楽奈に立ち向かった椎名立希は今回の栄光を手にすることができた。そんな立場の逆転が美しく描かれたシーンでした。

 

反抗期の迷子

ところで、今回はMyGO!!!!!の音楽性のルーツとでも言うべきものも暗に語られていました。元より、MyGO!!!!!が武器とするジャンルはメロコア。音楽ジャンルの区分に関しては偉そうに語れるほど知見がないので卑近な例で逃げようとは思いますが、バンドリ的にはパンク系と言えばAfterglowが既に通ってきた道ではあります。実際、配信がメインだった頃の歌ってみた動画こそ鬱屈したボカロ曲がメインでしたが、オリジナル曲になると迷星叫や名無声のような初期曲からしAfterglowっぽさを感じるものがありました。ライブに関しても、赤から青に変わるティアドロップスを初めとしたポピパ楽曲で主人公ポジションの継承をやりつつも、カサブタのように既にAfterglowのお手つきになる楽曲をカバーした時期もありました。そう、絆創膏が無くても自己治癒力によって傷を癒せるタイトルの名曲を……。なお、何故かライブの通し配信映像ではカサブタカバーの存在は抹消されているのですが、Youtubeカサブタ単体の映像だけは残っています*4

今回の燈が緊張に震える愛音に水をあげるその役目を果たしていたりもしたのでMyGO!!!!! ver.のカサブタの存在を無かったことにはしてほしくないところなのですが、ともかく重大なのはMyGO!!!!!のメイン作曲担当が立希ということ。今回、その言動の端々から忠犬を通り越して舎弟の如き振る舞いでAfterglowさんへの心酔を露わにしていました。そもそも立希は中3までは羽丘でしたし、その境遇ならば同じ学校にいたカリスマバンドに憧れていたことも極めて自然。MyGO!!!!!の音楽性にかなり説得力のある設定を付与してくれたなと思います。実のところそのAfterglowさんも、ボーカルがノートに吐き出してきた切実な想いを歌詞にしてきたバンドですし、境遇が似通う偉大な先達です。そして皮肉にも、今ガルパの物語上では美竹蘭がその一瞬で燃え尽きるために、バンドは解散の危機に瀕していますが……。

さて、元羽丘生が作曲を始めた結果パンクバンドになったというのは気持ち良いぐらい理路整然としているのですが、本来立希が模範とすべきだったのは月ノ森生の祥子と姉だったことを踏まえるとまた味わいが変わります。生来身近にあったのは優雅なクラシックだった境遇にもかかわらず、選び取ったのは疾走感のあるメロコアだったわけですから、この女、かなりプリミティブに反抗としてのロックンロールをやっています。「バンドもの」としては異端なくらいキラキラドキドキしていたBanG Dream!が、ここに来てロックの原点に立ち帰るCiRCLINGを実現したと言えるかもしれません。

そして春日影の再生産によって、ひとまずは立希にとって目の上のたんこぶであった祥子への反抗を成し遂げました。その一方、MyGO!!!!!の音楽性の根っこに反抗を置くならば、そよの抱える問題は極めて深刻です。このママが反抗期の子供を許さないのは元より、そもそも生まれていないのならば反抗期を迎えようもありません。卵の殻を破らねば、雛は生まれずに死んでいく。長崎そよという生まれてすらいないダンゴムシの殻は、それこそカサブタのように剥がされてアタシ再生産されないといけないのかもしれません。

 

屈服でもなく、反抗でもなく ~若葉睦~

春日影の再生産の場面では、楽奈というネコ科の猛獣に食らいついて行けた者(立希、燈、愛音)と屈服してしまった者(祥子、そよ)とで綺麗にその明暗が分かれていたのですが、ただ1人若葉睦だけはグレーゾーンにいました。いや、祥子が打ちひしがれてる横で明らかに楽しんでるよねキミ!?

あまりに口数が少ないので推測に頼るところが多かったのですが、そよを出し抜いて祥子とコンタクトを取り合うなど、祥子への激重感情が垣間見えていたキャラクターには違いありませんでした。なので、境遇としては祥子が燈に夢中なのを承知の上で、祥子と一緒の時間を過ごすためにバンドに参加したという報われない想いを抱えたキャラクターなのかなと解釈していたのですが、何か祥子そっちのけで新たな春日影に聴き入ってやがりますコイツ。祥子はあの子と星を摘みに行ったというのに……。

とはいえ中学時代から7弦ギターを弾いていた睦は、同じく7弦ギター奏者の初華と元より因縁があって然るべきもの。祥子への想いを思慕だと思っていたので初華に対しての感情が嫉妬なのかなと思っていたのですが……もしかするとその逆なのかもしれません。若葉睦、初華に憧れているのでは? いずれ結成するAve Mujicaでは初華がボーカルに加えてリードギター、睦がリズムギターを務めることが決まっているわけですから、(勿論一概にリードギターリズムギターではないにせよ)この2人の間でギターの腕には勾配が存在するのが伺えます。それこそ、目の前で演奏した要楽奈と千早愛音のように……。

顔を赤らめていたのも楽奈への憧れだったとすると自然に思えますし、祥子や立希との対比も鮮烈になります。初華に屈服し、楽奈にも屈服した祥子。祥子に反抗し、楽奈にも立ち向かった立希。そして、初華に憧れ、楽奈にも憧れた睦。初華と楽奈という2人の天才を中心にして、天才と向き合うこの3人の姿勢が三者三様にくっきりとその違いを際立たせてきています。ああいや、全部まだ憶測なんですけども。

*1:月刊NewType8月号の柿本広大監督へのインタビューではまさにこうした「本人すらも無自覚な感情の表出」が本作の根幹だと語られていました。

*2:あ、4話の記事ではそよに向けられたと誤読してしまいましたが、このタイミングで訂正・謝罪させて頂きます。

*3:立希の姉と見るなら当然にそうなりますし、そうでなくてもマルチに配信活動をしているドラマーなのでそういった方向性を見出しても不思議ではないキャラクターです。

*4:この辺り、当初はガルパへの実装予定は無かったものの、実装が決定した結果Afterglowとの衝突を避けたような経緯が感じられます。