矛盾ケヴァット

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【グルミク】6つのユニットをDigって見つかる、1つのDelight ~Poppin'Partyの継承者達~

突然ですが、2020年秋に本格始動したバンドリ!」を継承したコンテンツと言えば何でしょうか?

そうだね、D4DJだね!

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もしこの問いを受けてプロジェクトセカイと答えてしまった方がいらっしゃったとしたら、残念ながらバンドリへの理解度が低すぎると言わざるを得ません。ああ、いえ、『ガルパを継承したコンテンツ』という問いならばそれで正解だったわけなのですが、兎にも角にもガルパはバンドリの一部であってガルパ=バンドリではないという意識は常に持たねばなりません。

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そうは言ってもやはりややこしいので、バンドリの物語構造を図面化してみました。この図を見ても分かると思うのですが、バンドリの物語は、大きく分けて2つの流れを持っています。1つは、スマホゲームのバンドリ!ガールズバンドパーティ!(ガルパ)で展開されていくCraft Eggライン、もう1つは原案の小説からアニメへと通ずる中村航-綾奈ゆにこラインです。この2つのストーリーラインがお互い連携しながら高品質な物語を作り続けてきたことによって、バンドリは現在の地位を築き上げるに至りました。

大局的にはCraft Eggラインであるガルパが中心となっているのは事実なのですが、上図ピンクの破線で囲ったPoppin'Party(ポピパ)の物語はガルパだけでは全く不十分で、後者の中村航-綾奈ゆにこラインを入念に咀嚼していく必要があります。あまりに難解で根気よく向き合う必要のあるアニメ1期や、プロトタイプという位置づけにありながらポピパの根底に流れているものが明瞭に描かれている小説版といった種々の媒体に本気で当たってようやく全体像が掴めるという極めて不明瞭な仕様になっており、向き合っていく上で大変なバイタリティを要求されることは否めません。ですがその分、各種メディアを通して紡がれるポピパの物語や価値観にとてつもない深みがあることは全面的に保証できるものです。Craft Eggラインと中村航-綾奈ゆにこラインの双方をどっぷり味わってこそのバンドリです。

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先日、D4DJのスマホゲーム媒体であるD4DJ Groovy Mix(グルミク)のユニットストーリーを全て読み終えたところ、想定していたよりも遥かにそのシナリオの完成度が高いため驚きましたし、同時に、D4DJおよびグルミクの物語はバンドリにおける中村航-綾奈ゆにこラインを強く受け継いだものであると確信するに至りました*1。しかも大変面白いことに、全てのユニットが、ポピパがこれまでの長きに渡って積み上げてきたエッセンスを“下地”に置いているような継承の仕方をしており、言ってしまえば、グルミクをDigればポピパというDelightが掘り起こせるようになっています。いやあ、これはポピパオタクとしては腕が鳴りますね。ポピパの物語をじっくり追ってきた方なら絶対にハマれるコンテンツだと断言できます。さあ、Vibesを抱きしめて、飛び込んじゃおう! ぼくたちのWorld!

 

……とまあ、僕のようなポピパに狂い続けている人間にとってみれば、D4DJおよびグルミクはターンテーブルという皿に盛り付けられた文脈のフルコースとでも言うべき最高のご馳走なのですが、かと言ってポピパの物語をきちんと咀嚼してきた人間がどの程度いるのかと問われると不安になるのもまた事実です*2。グルミクのシナリオが非常に面白いことは自信を持って推薦できますし、仮にポピパの物語を一切知らないユーザーが読んでも楽しめる作りなのは間違いないのですが、それではあまりにも勿体ない。グルミクの各ユニットストーリーは、ポピパが培ってきた哲学を踏まえて読むと面白さが倍増するのです。その一方、今からポピパの物語を本気で味わおうとしても、相応の時間と根気が求められるのも確かであり……。

以上の現状を踏まえて、本記事はポピパがこれまで培ってきたものの“答え”をバンドリを読んでない方でも分かるよう洗いざらい書き出し、それがグルミクのシナリオにおいて各ユニットにどう受け継がれているのかを説明します。そして、ポピパ要素とは全く別に各ユニットストーリーの見どころがどこなのかを紹介したいと思います。

本記事は、ポピパを中心としたバンドリのキャラクターがある程度頭に入っている方であれば理解できる平易な記事に仕上げたつもりです。しかしその一方で、ポピパの物語を深く追ってきた方でも新たな発見をして頂ける、深くDigった記事にもなっていると自負しています。なんせ25000字を超えているのです。それくらいの情報量はどっさりと詰め込みました(そのため、時間的に余裕があるタイミングでお読み頂くのをお勧めします)。

そして、本記事はこれまで紡ぎ上げられてきたポピパの物語と、これから積み上げられていくD4DJというコンテンツを“繋いだ”記事でもあります。是非とも、本記事が気に入りましたら、ポピパの深甚な世界に、そしてD4DJという新世界にもDirectにDriveして頂きたいと願っています。本記事が、読者の皆様と、ポピパやD4DJを”繋ぐ”ものになりましたら望外の喜びです。

 

 

広がり、調和し、継がれる、循環 ~Happy Around!とCiRCLING~

いきなり匙を投げるようですが、Happy Around!(ハピアラ)が受け継いでいるポピパの遺伝子はあまりにも多岐にわたるため、とてもこの記事だけで全てを書き尽くすことはできません。冒頭に書いた、ポピパの積み重ねが下地にあるという所感は特にハピアラ楽曲の歌詞から強く感じられたものであり、星の鼓動(これは後述します)、世界への愛、ミライトレインと、ポピパがつい最近になって到達したものが初期楽曲から散りばめられているという点に、歌詞に触れた当初には愕然としたものです。言わばハピアラは「強くてニューゲーム」したポピパであり、その独特な主人公性はグルミクの物語にも明快に表れています。

そんなハピアラですが、ユニットストーリーでは特にCiRCLINGにそのテーマを絞り、CiRCLINGを体現した存在として描かれていたように思います。数々の独自概念が存在するポピパにおいても、このCiRCLINGは全ての土台とさえ言える最重要概念であり、これを踏まえずしてPoppin'Partyを理解するのはまず不可能です。

まず、CiRCLINGとは人と人とが繋がることで広がっていく輪です。それは5人の円陣であり、そしてライブをして生まれる演者と観客の一体感です。楽曲としてのCiRCLINGをリアルライブで披露する時、サビの「わ!」のコールと共に演者と観客が一様に腕で輪の形を作り、会場にいる全員が一体感に包まれます。ポピパが音楽を誰かに届けようとすることで、人と人とが同じ想いを共有して繋がっていき、その輪が際限なく広がっていくのです。そのポピパの輪の広がりは、いずれ世界中を包み込むものであると高らかに歌われています。ポピパに撃ち抜かれた瞬間に、僕もあなたもムカつくアイツも気になるあの子もあまねく世界中の人々も、誰もがポピパの一員です。

続いて、CiRCLINGとは5人が流動的に調和することによって完成する和です。ポピパの物語には定期的に5人の関係がすれ違う“不和”が訪れるのですが、それは得てして彼女らの誰かが1人で自分の役目を抱え込む形で発生します。そして、ポピパの物語は役割に固執することを是とはせず、5人で5人の役割を臨機応変に分かち合うことで解決を見ていきます。ポピパの和という完成形の中で、5人が他の4人の状況を見つめつつ、その場その場でそれぞれが自分の役割を当意即妙かつ流動的に変え続けることによって、他のメンバーの苦境をカバーし合えることが彼女らの強みの1つです。

そして、CiRCLINGとは受け取ったものを他の誰かに受け渡していく環です。ポピパの物語の始まりは戸山香澄がGlitter*Greenという偉大な先輩バンドのライブを観て、それが自身の追い求めていた星の鼓動と同質のものだと感じ取ったことで動き出します。後々にはGlitter*Greenから受け取った“初期衝動”を朝日六花やMorfonicaといった後輩的存在に受け渡し、彼女らにとっての“始まりの存在”となるに至っています。この継承の概念は、もう少しメタな視点にまで後退すればポピパとハピアラの関係にも援用できるものでしょう。

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最後に、CiRCLINGとは終わりのない形の円であり無限です。楽曲のCiRCLINGはフェスの最後に演奏する曲として制作されており*3、1つのライブの終わりとその次のライブの始まりを“繋ぐ”曲です。また、石田彩先生が作画を務めた小説版BanG Dream!のコミカライズでは、そのあとがきにてバンドリは循環しながら新しい場所へと向かい続ける物語であると明言されています。それを裏付けるかのように、アニメ3期では戸山香澄の原点とも言える「星の鼓動」に辿り着くことで夢を撃ち抜き、1つの円を完成させました。しかもそこはBreakthrough!すべき通過点であり、円を突き抜けることで、そしてまたその原点にもう1度戻ることで∞(ムゲンダイ)なメビウスの輪を描こうとしているのが現在のポピパです。

 

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以上に述べたCiRCLINGの全てが、ハピアラのユニットストーリーには鮮明に打ち出されていました。D4 FES.のオーディションへの参加を決めた際、締切である当日中にライブ映像が必要になってしまい、一度は諦めるのですが、彼女らを救ったのはこれまでハピアラがライブでHappyを振りまいてきた陽葉学園の生徒達です。これまでハピアラがその輪を学園中に広げてきたことによって(その輪をどう広げていくかはアニメで詳細に描写されるものと思われますが)、そして学園生らがその輪を知人に広げていくことによって、ハピアラから受け取った愛を今まさに困っているハピアラに受け渡して最初の危機を乗り越えることに成功しました。

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次に訪れた大きな危機は、映像審査にて大鳴門むにが異様なまでの完成度を追求したことによる、明石真秀との不和です。むにが尊敬するゲームクリエイターがオーディションの審査員にいると知り、自分の見せ場でもある映像審査で1人その使命を抱え込んで空回りしてしまうという、ポピパの“不和”の黄金パターンです。しかしながら、そんな彼女の野望を受け止め、真秀を始めとした3人が彼女の領分である映像作りにアイデアを出し合うことで、むに自身も納得のいく映像が完成しました。

そしてオーディションラストのライブ審査では、愛本りんくが持ち前のノリの良さでライブを盛り上げすぎてしまったが故にセトリとの不整合が生じるという予想外のアクシデントが起きますが、渡月麗が突然のアドリブで場の空気を一変させ、むにのVJや真帆のDJもまた変化した流れに即興で対応するという形で劇的に解決します。この2例の問題解決こそ、取りも直さず誰かが困った時に別のメンバーが臨機応変にその役割を請け負うという流動的な役割のもとで達成されたものです。

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麗のアドリブがレギュレーション違反に抵触したため、結局ハピアラはオーディションには落選してしまうのですが、このライブで初めてハピアラを観たという観客の心を掴むことには成功していました。その後、自己推薦枠での出場を目指すことにより再起し、冒頭と同様の口コミによるライブ実施の周知に加えてオーディションの観客にも届くようD4 FES.公式に告知を依頼するという搦め手も駆使し、2000人という動員を達成しました。観客達にとって、オーディションの時のハピアラは数ある演目の一部に過ぎませんでしたが、今回のライブではハピアラを目当てに足を運ぶまでにハートを撃ち抜かれています。観客に愛とHappyを振りまき、そしてその観客助けられ、そしてまた次なる大きな舞台でより広範に愛とHappyが多くの人に届くという、循環を続けながらハピアラの輪が拡大している姿が如実に描かれていました。

かくして動員条件を満たし、4人にとっての原点にして目指すべき到達点でもあるD4 FES.への切符を手にします。無論、D4 FES.がゴールではなく、8年前に天野愛莉と姫神紗乃から受け取った愛を、栄光の舞台で再び誰かに届けることになるでしょう。循環しながら新しい場所へと向かい続ける物語が、ここに幕を開けました。

 

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以上のように、あまりにも多面的な意味合いを持つCiRCLINGについて、その全てを余すところなく凝縮した優れた物語だったわけですが、ハピアラのユニットストーリーにおいてはもう1つ、直面する問題のレベルが高すぎるという点を特筆すべきでしょう。最初の「たった1日で応募書類を仕上げる」を皮切りにD4 FES.のオーディションの中で1つ1つ困難を乗り越えていく姿が描かれるのですが、クライマックスに至っては盛り上げすぎてしまったライブをアドリブで切り抜けるという、ゲームがリリースして最初に打ち出される物語としては到底考えられない難易度をしています*4。ハピアラが強くてニューゲームしたポピパであるとは既に述べましたが、そんな彼女らに相応しいほどの苦難を容赦なくグルミクは与えてきます。グルミクは、ハピアラを強者として描くことから一切逃げていません。そこにハピアラの物語の真髄を感じましたし、彼女らが目の前の大きすぎる困難を強靭に乗り越えていく様は、とても魅力的に描かれていました。

 

他のあらゆる可能性を凌駕する奇跡 ~Peaky P-keyと最高~

Peaky P-key(ピキピキ)はそのユニット名の通り、自分達が最高の場所に立つことを志向し、そして観客にも最高の音楽と時間を届けるユニットです。ユニットの中心である山手響子のキャストが他ならぬ愛美さんであることを思えば、ピキピキの役どころは「前作主人公」となったポピパと言ったところでしょうか。愛本りんくがDJに魅せられるきっかけとなったのはピキピキの学内ライブであり*5、また、切磋琢磨していく良きライバルしても大きな存在感を放っています。

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そんなピキピキが継承しているのは最高です。この最高というワードが出てくるのは現行のポピパよりも小説版の戸山香澄の決め台詞としてです。その自己評価の低さから幾度となく「私、最低だ……」と自虐してきた彼女が、音楽や仲間という武器を手にして高らかに観客を煽る際、「最高が欲しいんでしょ!」という言葉が飛び出します。最高を観客に届けようとするピキピキに継承されるべき概念としてこの上なく相応しい概念なわけですが、それだけに一つ留意すべきポイントがあります。ピキピキが継承する「最高」は小説版のポピパではなく現行のポピパのそれであるという点です。

小説版のポピパは、かつて存在した伝説バンド・RAZESの元メンバー達が散り散りになりながらも遺した意志をそれぞれが受け継ぎ、先人の果たせなかった再び夢を蘇らせたという、極めて運命的な関係性でした。RAZESの音楽がなければ5人が出会うこともなかったとまで言って良く、その結成は必然に導かれたものです。

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しかし、現行のポピパにそのような必然性はありません。戸山香澄が無軌道にキラキラドキドキを追い求めた果てに、ランダムスターや音楽と出会い、そしてポピパのメンバーをその夢に巻き込んでいく形でバンドが結成しました。その事実が肯定的に描かれたのがガルパのシーズン1の最後を飾ったイベントストーリー『君に伝うメッセージ』で、現行のポピパの姿は運命とは対極の、小さな偶然が重なって育った上での奇跡的な関係性だということが確認されました。小説版のポピパと現行のポピパで、関係の必然性が実は180度異なっているのです。

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『君に伝うメッセージ』は、アニメ2期のクライマックスと並行するタイミングで開催されました。アニメ2期のストーリーはガルパとは対照的に、ポピパの関係性に必然性が無いことを弱みとして突きつけてきます。主催ライブを目指すに当たって、Roselia、ハロハピ、パスパレ、Afterglowといったガルパ由来のバンドから確固たる個性を見せつけられ、ポピパも自分達がポピパたる所以が何なのかを、ポピパらしさを見つけ出す必要に迫られます。その悩みの渦中に、花園たえの元に現れたのが幼馴染みである和奏レイです。幼い頃に「大きくなったら一緒にバンドを組む」という約束をしていた2人の運命の再会であり、たえにとって一緒に音楽をする必然性が高いのはポピパよりも和奏レイでした。その結果、和奏レイが所属するRAISE A SUILEN(RAS)のサポートとポピパとの活動がどっちつかずになってしまい、ポピパにとっては記念すべき結成1周年を祝うライブを台無しにするという最悪の事態にまで陥ってしまうのですが、そうして揺れ動くたえをポピパ一本に引き戻したのが、香澄が歌うSTAR BEAT! ~ホシノコドウ~でした。

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ポピパとの出会いによって「昨日までの日々にサヨナラ」したこと、それ自体がポピパらしさです。確かに、5人の出会いは運命でも必然でもないかもしれません。しかし、その偶然の出会いを重ねて育んだ絆により、もはや5人は集まっていなくても常にポピパのことを考え、ポピパなしでの生活は考えられないほどになっています。ポピパの結成とその後の日々を共に過ごしたことによるその不可逆な自分自身の変化こそを、ポピパらしさと呼んで良いのです。

もし、あと1年早く和奏レイが花園たえの前に現れていたら、たえは後ろ髪を引かれることなく幼き日の約束を成就させていたでしょう。また、アニメ1期の段階で香澄が他に楽器の上手い人物と出会っていたら、その人物とポピパを結成することだってあり得ました。それでもなお、“もしも”じゃない“今”のポピパは、偶然の積み重ねによって出会った香澄、有咲、りみ、たえ、沙綾の5人です。そして、ポピパによって5人が不可逆に変化した今、この5人のポピパ以上のポピパを想定することはもはや不可能です。ポピパにとっての「最高」は、“今”の5人のポピパこそが他にあり得たどんな可能性よりも「最高」であるという“奇跡”によって成り立っています。その「他にあり得た可能性」には和奏レイとの“運命”も当然含まれており、“運命”という絶対的な関係をも相対化した上で自分達の関係性で凌駕してしまうのがポピパの“奇跡”です。

  

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ピキピキのユニットストーリーで描かれたのは、4人がPeaky P-keyを自分達の「最高」であると再確認するまでの過程でした。犬寄しのぶが祖父の紹介で大手レーベルから作曲の仕事を受注し、笹子・ジェニファー・由香が憧れのカメラマンとの交流を通じて自らの個展を催し、清水絵空が何やら大きなビジネスを展開する形で、Peaky P-key以外の活動を通してそれぞれの才能を羽ばたかせていきます。彼女らが「上」を目指すのならば間違いなく合理的な選択ですし、リーダーである山手響子も快く送り出しますが、練習時間の不足により、そして4人がピキピキのことを考えていた時間の不足により、満を持して出演したフェスで全く手応えのない無いライブを演じてしまいます。ここでもまた、観客は盛り上がるものの自分達は納得がいかないという、ハピアラに続いての問題設定レベルの高さが見て取れます。

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4人を元鞘に戻したのは、結局他の活動をしていてもピキピキのことを考えているという自分自身への気づきでした。1人ピキピキという場に残り続けてきた響子は元より、業務の制約から自身の楽曲に修正を余儀なくされたしのぶは尖りきった楽曲を尖りきったまま歌ってくれる響子の必要性を再認識しますし、由香も気分転換して1人出掛けた街角で4人とならこの時間をどう過ごせただろうとついつい考え、ピキピキがありのままの自分で居られる場所であると改めて実感します。絵空だけはなかなかピキピキの活動に復帰しないのですが、そもそもにして展開していたビジネスがS-hallというライブハウス事業の立ち上げであり、このハコでのライブによってピキピキの価値を再確認することで物語はクライマックスを迎えます。即ち、水面下でピキピキの再始動を画策していたのが絵空であり、響子とは全く違う形ながらピキピキをずっと想い続けてきた人物であったと言えます。

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響子がその本心を露わにして3人をきちんと引き止めてさえいれば今回の騒動は起こり得なかったことを踏まえるなら、ピキピキのユニットストーリーの全ての元凶は響子の寛容さにあったとさえ言えます。しかしその一方で、しのぶの攻めの楽曲をそのまま歌い上げ、由香のチャレンジングな演出を受け入れ、絵空の無茶苦茶な金遣いを許容するなど、他の3人を自由に活動させられるのも響子の寛容さの為せる技です。

前述したように、3人のピキピキの外での活動は、自分の才能で飛躍して行ける大チャンスでした。けれどもその上で、他の可能性と比較した上で自分を最高にしてくれるのはこの場所であると納得して3人はピキピキに戻ります。言うまでもなくこれは響子の存在あってこそであり、そして3人の意志を尊重し続けてきた響子が「この4人で最高の場所を目指したい」という自分のエゴにも似た意志を表明することで、ピキピキの4人が他のあらゆる可能性よりも「最高」の関係であることを再確認するに至りました。

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本記事を執筆中の現在、ピキピキが結成されるまでの経緯は明らかになっていないため、本当にこのユニットがポピパのように偶然の産物によって生まれたものかは定かでありません。しかし、Gonna be rightで「奇跡を起こすのは私」「運命なんて言葉は That’s right この瞬間のためにある」と、奇跡を受け止め運命を踏み台にしようとしている姿が描かれていることを思えば、ピキピキが帯びているテーマはアニメ2期のポピパと同様の奇跡による運命の超克でしょう。そして彼女らが超克すべき運命とは間違いなく、8年前のD4 FES.で同じ場所にいた4人で結成された運命の関係性のハピアラです。現在のピキピキはハピアラにとっての高い壁として君臨していますが、Gonna be rightはまた「挑戦者であれ」とも歌っており、ピキピキがハピアラに立ち向かう側になることを示唆してもいます。

 

「奇跡と運命」以外にも主人公ユニットであるハピアラとの徹底した対比が散りばめられており、そこがピキピキというユニットの最大の面白味と言えます。ハピアラがAroundをその名に冠しCiRCLINGの象徴であるを感じさせるユニットであるのに対し、ピキピキはとにかく尖ることを追求し続ける鋭利なの形を連想させる造形になっています。小説版BanG Dream!において戸山香澄は最終的に星のカリスマへと変貌を遂げたわけですが、この星のカリスマという二つ名はそのまま山手響子が名乗っても遜色はないものです。

また、香澄を除いたポピパ4人のイニシャルを並べると沙綾(S)、たえ(T)、有咲(A)、りみ(R)でSTARになるという“偶然”の一致に、ストーリー原案である中村航先生も当初驚かされたという逸話があります。その一方で、ピキピキも響子を除いた3人のイニシャルが由香(Y)、絵空(E)、しのぶ(S)でYESになります。こちらの一致は十中八九意図的なものだとは思いますし、ピキピキがイニシャルとしてのYESを継いでいるのに対してYes! BanG_Dream!をカバー曲として受け継いだのはハピアラという事実もまたあります。

その歌詞にもある通り、Yes! BanG_Dream!は「無敵で最強のうた」です。しかし、そのアンサーソングである夢を撃ち抜く瞬間に!では「無敵のうた」へと、最強が削ぎ落とされています。これにはきちんとした意味があり、“最強”は比較対象を必要とする強さである一方、“無敵”は敵さえいなければ良いので比較対象を必要としません。どう比較対象を必要としなくなるかは次のPhoton Maidenの章で詳細に述べる「星の鼓動」が重要になってくるのですが、早い話が敵味方の区別を取り払うことで無敵になったのが現在のポピパです。

ピキピキに話を戻しますが、他の可能性を吟味した上で、その全てよりも自分達が「上」であると誇示し、また絆を確かめ合ったわけですから、ピキピキの「最高」は相対的な“最強”に近い強さです。しかしその一方で無限にCiRCLINGを広げ、「ぼくんちは世界」とまで言い放つハピアラの強さは明らかに“無敵”に近い絶対的な性質のものです。「円と星」「運命と奇跡」「無敵と最強」といった、ポピパで対比的に語られてきた概念が、今ハピアラとピキピキというバチバチのOver Firendsにそれぞれ受け継がれ、よりダイナミックにぶつかり合おうとしています。

 

仲間とともに、世界と一体化する ~Photon Maidenと星の鼓動~

近未来的な神秘のイメージを全面に打ち出したユニットPhoton Maidenフォトン)が継承しているのは、CiRCLINGに並ぶ基幹概念とも言える星の鼓動です。CiRCLINGについては楽曲としてのCiRCLINGが誕生した辺りでかなり明白に描かれましたが、この星の鼓動はアニメ1期1話で戸山香澄が口にし多くの視聴者を混乱と挫折に陥れたにもかかわらず、その全容はアニメ3期が完結してようやく見えたという、ポピパの難解さの象徴のような概念です。まさに神秘を取り扱うPhoton Maidenに似合いの継承要素だとも思うわけですが、やはりCiRCLING同様に非常に多面的な意味合いを含んだキーワードとなっています。

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まず、星の鼓動とは世界との一体化です。戸山香澄がその昔訪れた山奥で見た満天の星空。その目に映る星々の明滅と、その胸を打つ鼓動とが重なって感じた、自分と世界が一体化したかのような不思議な感覚こそが、彼女の原初の星の鼓動です。そして作中でも何度も語られるように音楽には人々を1つにする力がありますGlitter*Greenのライブで会場全体が1つに、ペンライトの瞬きと、グリグリの奏でる音と、自分自身の鼓動が一体になったのを感じたことで、戸山香澄はバンドをやりたいという“初期衝動”を抱くようになりました。そしてまた同時に、ポピパは原点を到達点としてCiRCLINGしていくバンドなのですから、ポピパの音楽で世界と一体化するのが目指すべき最終目標です。

多くの東洋思想が語る究極の境地に通ずるものであり、大変イメージがしづらいとは思うのですが、オタクの皆様になら理解の近道として鋼の錬金術師6巻を読めと言えば通りが良いかと思います。エルリック兄弟がイズミ先生から叩き込まれた一は全、全は一という錬金術の基礎にして肝となる考え方がズバリ世界と自身とを同一視することであり、エルリック兄弟はこの境地に、無人島でのサバイバルを経て星空を見ながら辿り着きます。そしてこれは偶然なのか作為的なのかは分かりませんが、アニメD4DJの監督でありPhoton Maidenの音楽プロデューサーも務める水島精二氏は、2003年版アニメ鋼の錬金術師の監督でもあります

「だから何度でも、歌うんじゃないかな」
「歌は流れ、継がれる。どんな歌だって、再び歌われるときを待ってる。何年経っても、もう一度、思い出して口ずさむ」
「大切なものとは、何度だって出会えるんだよ。何度だって思いだして、何度だって乗り越えればいい。何度だって、昨日の自分にサヨナラすればいいと思うの」

続いて、星の鼓動とは記憶の底の小さな声です。星の鼓動がそのまま曲名になっているSTAR BEAT! ~ホシノコドウ~は、アニメ版でも小説版でも共に「沙綾と一緒にバンドを組みたい」という香澄の想いをありったけ込めて完成した楽曲です。小説版ではその完成を他ならぬ沙綾が後押しするのですが、この際に沙綾が語りかけた(上記に引用した)一連のセリフは想いの記録媒体としての音楽の価値が端的に示されています。楽曲に自身の想いを込めることでその想いは永遠に形に残り、また楽曲を再生する度に何度でもその想いを蘇らせることが可能です。音楽には、制作者がその折々に抱いている想いを、記録し復元する機能が備わっています

また、音楽は制作者の想いを形に留めるのみならず、時としてそれを聴く人の心の奥底にある想いに気づかせる作用も持っています。STAR BEAT! ~ホシノコドウ~は山吹沙綾の中にあった「本当はみんなと一緒にバンドがしたい」という想いを呼び起こしましたし、Peaky P-keyの章で前述したように花園たえに対してもポピパと出会ったことでポピパ以前の自分とサヨナラしたことを思い出させ、「再びポピパに戻りたい」という本当の気持ちを胸に再び走り出す最後の後押しとなりました。アニメ1期において悪い意味での語り草になっている3話のきらきら星も、自身の姉のために果敢に歌う香澄を見て、牛込りみが「臆病な自分から一歩踏み出したい」という本心に向き合っていったシーンです*6音楽には、聴き手が無自覚に閉じ込めていた“本当の想い”を呼び覚ます力を有しています飛び込んでいこう僕らのセカイへ!

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最後に、星の鼓動とは共に夢見る仲間達です。あの日の星の鼓動のようにキラキラドキドキさせてくれる存在が何なのか、アニメ3期の最終盤にて遂に戸山香澄が至った気づきが星の鼓動はみんなだった!というものです。この「みんな」とはPoppin'Partyの5人の意味であり、そしてガルパやアニメを通じて周囲に広がっていった絆でもあります。3期の最終話では、武道館に詰めかけた観客全員がポピパパピポパの掛け声を行うなど、ポピパと共に夢を見る人々の輪が武道館規模にまで広がったことを示していました。

とはいえ、ただ同じ夢を見ていれば良いというものではありません。そもそも、元来の意味での星の鼓動が世界と一体化することなのですから、バンドのメンバーが、そして周囲にいる人々が同じ気持ちで夢を見てこそ、星の鼓動と「みんな」は同一のものとなります。ポピパメンバーはこれをかなり無自覚に実践しているためポピパのストーリーからは語られづらいのですが、そこに外部からの視線を与えてくれ、また自身も衝撃を受けた人物としてRoseliaの湊友希那がいます。ガルパではこうして別のバンドの物語で他のバンドの本質的な描写をねじ込んでくるから油断ができません。ガルパのシナリオは全部読め!(決め台詞)

 

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以上の星の鼓動をきちんと踏まえると、Photon Maidenのユニットストーリーで出雲咲希が語った種々の発言が全て理解できるはずです。

咲姫がDJを志すきっかけとなったライブでかつて観たというフロア内の宇宙、それは言わずもがな、会場が一つになるほど高揚することでその場にいた全員が宇宙と一体化したものです。作中では共感覚を持つ咲姫特有の景色のように語られますが、音楽によって自分自身の存在が曖昧になりさえすれば、これは誰もが体感できる感覚に違いありません。ユニットストーリーからは話が逸れますが、Photon Maidenの最新シングルであるDiscover Universeはその星の鼓動をラディカルに表現しており、あからさまとも言えるほどに楽曲中で刻まれるクロック音が少しずつ早くなっていき聴き手の鼓動に同期する形で星の鼓動を呼び起こす楽曲として誂えられています。

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また、咲姫の共感覚は音を色として見るのみならず、音楽を聴く人の気持ちを色として見ることもできると言います。つまり、出雲咲姫の目には人々の想いと音楽がイコールとなって色彩として映るのです。その能力を活用して『観客の想いに合わせて音楽を届ける』という形で運用しているのが咲姫のDJスタイルなのですが、興味深いのはこの手法が記憶の底の小さな声としての星の鼓動とは真逆のプロセスになっていることです。ポピパの星の鼓動は楽曲によって「心の奥底にある想い」という聴き手とっても未知だったものを既知にしていくのですが、出雲咲姫のDJは観客の想いから「今どの楽曲が求められているのか」という未知を既知にしてフロアに楽曲を届けるわけですから、楽曲と人々の想いの前後関係が反転しています。無論、このあべこべの関係は後々に双方の作用を循環、即ちCiRCLINGさせていくための布石となるものでしょう。

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そして、Photon Maidenが目指すのは4人が同じものを見据えることで感じられる宇宙です。物語開始前の彼女らは姫神プロデューサーによってその全てを作り上げられた人工物でした。しかしその結果ハピアラに敗北するという挫折から物語が始まり、姫神プロデューサーの手を離れて自分達で新たなPhoton Maidenを作り上げていくことになります。絶対者たるプロデューサーから同じく絶対的存在の出雲咲姫へと依存先を変えただけのような有様が続きますが、それまで咲姫という才能の塊を見上げるだけだった新島衣舞紀、花巻乙和、福島ノアの3人が、咲姫と同じものを見ようと歩み寄り正面から対話することで4人の見据えるPhoton Maiden像が一致していき、同じ宇宙を見据える仲間へと生まれ変わりました。ユニットストーリーを終えたPhoton Maidenは、その機械的なイメージとは裏腹の、人工物ではない血の通った関係です。

 

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Photon Maidenの物語においては、そのキャストの選出故か、Pastel*Palettes(パスパレ)およびRASを踏襲した描写も多く見られました。人工物からの脱却というテーマはそれこそ事務所の都合で誕生したパスパレが格闘し続けてきたものですし、それまで自分達の楽曲を作ってくれたスタッフへの感謝などはパスパレで今後絶対やってほしいものでしかありません*7。また、RASもチュチュという絶対者が君臨し支配していた一方的な関係性から、お互いに対話と本気の感情をぶつけることで真の意味での仲間になっていったバンドです。望まずにユニットの絶対者になってしまった出雲咲姫(CV. 紡木吏佐)が対話によって絶対者の座を降りていく過程は間違いなくRASの物語をなぞったものですし、極めつけにその様子を見守っていた姫神紗乃(CV. Raychell)が「私の時もそうだった」と口にするシーンは正直なところ読んでいて変な笑いすら出てきたほど強烈な前作との重ね合わせ方でした。

ですが、Photon Maidenが目指す先はパスパレでもRASでもなく、自分達の手で作り上げるPhoton Maidenであり、その独立性は楽曲から伺い知ることができます。パスパレが事務所の人工物という立場を崩さないまま少しずつ己自身を表現していこうとしているのに対して、Photon Maidenの楽曲ではその対極にある生命や自然をテーマとした歌詞が多くなっていますし、また、RASの楽曲が世界に対する破壊や暴動を表現しているのとは対照的に、Photon Maidenが求めるのは世界をそのまま受け止めて一体化することです。バンドリと共通したキャストも多く、それを武器しているのは間違いないのですが、前作の影響元とは真逆の世界観を作り上げようとしている意欲を確かに感じられます。

 

日常と非日常のHalation ~Merm4idとParty~

パリピ集団としてアゲアゲで突っ走るMerm4idが継承しているのは、そのものズバリPartyです。Poppin'Partyのバンド名にも含まれているその単語は、イメージ通りの宴会の意味合いとはまた別に、RPGのパーティのような一行の意味も含まれています。

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まず、Partyにはみんなの気持ちを一つにするものとしての価値が見出されます。アニメ1期が終わり、ガルパにその物語のメイン展開が移行したポピパの最初の物語は、商店街のお祭りを復活させるために奔走するものでした。その過程でポピパの5人は、お祭りという特別なイベントによって人々が繋がり、絆を深め、一体感を醸成していくという営みに気づいていきます。とはいえ、この部分に関しては、先に述べた世界との一体化としての星の鼓動を格段にスケールダウンしたものでしかないのも事実です。しかし、ポピパにとってのParty=お祭りは、星の鼓動とは全く別の方向でその意味合いが強化されていきます。

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現在のポピパにとってのPartyは、いつもの日常に変化を与える“非日常”です。事あるごとに記念日を祝い、何気ない日常にサプライズをもたらすことで、逆に日常の価値を噛み締める日々を謳歌しています。ポピパがパーティを催すことで生まれる“非日常”は、「日常でないもの」という意味ではなく「特別な日常」であり、あくまでも日常の延長線上に存在するものです。この“非日常”の力は、ポピパがハロウィンを満喫するイベント『Poppin'ハロウィンパレード』にて、“非日常”をある種の言い訳にしてしまうことでどんな「なりたい自分」にだってなることができるものとして印象的に描かれました。この力は「なりたい自分」に限られるものではなく、出来ないと思い込んでいるだけで、やろうと思えば出来る潜在能力を引き出す力としても扱われています。アニメ3期3話で朝日六花をRASへと送り出す際、「本当のキミに今ならなれるはず」と語りかけて授けたそのエネルギーは、”非日常”の力と同根のものです。

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この考え方が劇的な効果をもたらしたのが、アニメ3期でのガールズバンドチャレンジへの挑戦でした。自分達で企画して日常の延長線上にあったそれまでのパーティと違い、ガールズバンドチャレンジは月島まりなが企画した他力により与えられる「非日常」です。その過程で数多のライブをこなしながら、学生の本分であるテスト勉強、そして老人ホームや幼稚園での慈善ライブといった突発的に舞い込んだ“非日常”を巧みにこなしていきます。バンドストーリー2章やアニメ2期で度々日常と非日常の両立に失敗し続けてきたポピパがそれを乗り越える術は、学業や普段のライブという日常の大きな流れの中に、ガールズバンドチャレンジという「非日常」を組み込むという、日常と非日常の間の好循環を生み出す形でした。3期OPであるイニシャルの歌詞で特に印象的なフレーズの「連続する日常と断続する非日常が触れ合って絡まってHalation」は、まさにこうした好循環によってポピパがその輝きを増していった様子を凝縮したものです。

 

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根源的な意味でのParty=フロアの一体感は、Merm4idがファーストライブで早速実感し、その後も体感し続けるものになります。Photon Maidenのそれがフロア全体を包み込むものとして描かれていた一方、Merm4idにおける一体感は周囲を強引に巻き込んでいく力としてより破天荒に描かれます。元々、Merm4idの結成は、瀬戸リカがリゾートDJを夢見たことで水島茉莉花を、ゼミのパーティーに誘うことで日高さおりを、そしてパーティー会場でブチ上がる盛り上げを見せたことで飛び入り参加の松山ダリアを巻き込んでいく形で実現しました。その勢いはとどまるところを知らず、ライブでは観客を熱狂の渦に、そしてステージ外ではSNSのバズをも味方に巻き込み、凄まじいスピードでMerm4idの影響力を広げていきます。

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また、根っからのParty Peopleである瀬戸リカと水島茉莉花に関しては、Merm4idを結成する以前からPartyという“非日常”を日常に組み込んでいる人物でもあります。彼女らとは対照的に根がド陰キャな日高さおりは、そんな2人を当初まるで別の世界の人間のように受け止めますが、そんな彼女もMerm4idを結成してからは非常事態が日常になり、騒がしい日常を過ごしていくことになります。そして物語中盤、たまたま大物DJに見初められるという幸運によって苦境を脱し、そのコネによって大きな舞台へと登り詰めて行きます。言うまでもなくこれは他力による「非日常」なのですが、その「非日常」を味方につけて実力以上のパフォーマンスを自分の中から引き出していく姿は、疑いようもなく“非日常”の力の体現でした。本来ならばあり得ない「非日常」すらも、自分達のPartyの一部として取り込んで演じてしまえば、そこは日常の延長線上です。

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とはいえ、最終的に自分達の実力不足を痛感し、それまでテキトーに生きてきた瀬戸リカにすらも確かな向上心が芽生える形でMerm4idの物語は一旦幕を閉じます。そもそも、瀬戸リカがDJユニットを組んだのはリゾートホテルのレジデントDJになって常夏気分の人生を過ごしたいという何とも向こう見ずで行きあたりばったりな動機からでした。しかし、Partyには共に冒険する一行の意味合いもあります。当然に冒険は非日常を求めるものですし、リゾートだろうと定住してしまえばそこは日常です。彼女がMerm4idというPartyで味わう冒険の果てに、本当にリゾートに根を張るような冒険のない日常に満足できるのかが、今後の物語においてアンビバレントな選択肢として迫られてくるものと思われます。

 

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Merm4idのユニットストーリーにおいて恐るべき部分は、物語の谷間がまるで無いという点です。4人の胸の谷間はスゴイのにね! 困難に陥りそうになる度に本人達の実力以上の運と人脈を味方につけて、そのままノリと勢いで20話を走り抜けてしまいます。しかしながら、彼女らがその過程で味方につけた運や人脈は、実力に見合わない誇張された尾ヒレです。そしてそれは、肥大化した尾ヒレをそのまま荒波を泳ぎ抜けるための推進力に変えていくという形で、人魚をもじったユニット名に相応しい彼女らなりに道を切り開いていく確かな武器にもなっていました。極めてキワモノでありトリッキーなサクセスストーリーでしたが、それがまたきちんと名が体を表すものになっていたことは間違いありません。

 

誰よりも幼い大人の夢 ~燐舞曲と“夢”~

ゴシックでアダルティなオーラを醸し出しながら切実な自己否定との戦いを歌い上げる燐舞曲が継承しているのは“夢”です。BanG Dream!は読んで字のごとく夢を撃ち抜く物語であり、その夢が何なのかは常に重大なテーマとして横たわっています。

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まず、戸山香澄にとっての原初の夢は星の鼓動でした。Photon Maidenの章でも触れたように、幼き日に感じた世界と一体化するような感覚を再び味わえることを夢見て突っ走ってきたのが戸山香澄であり、それは今ポピパの音楽で世界を一体化させるという新たな夢へと変貌しています。人々を巻き込む力を手にした現在であればそれは全く笑い話でも何でもない目指すべき夢なのですが、問題はPoppin'Partyを結成したての未熟な時期からそんな“夢物語”ばかりを追い求めてしまっていた点です。SPACEオーナー・都築詩船から「何にも見えてない、周りも、自分も」とその盲目さをバッサリ指摘されたことで、星の鼓動に辿り着く道筋が見えなくなり、香澄から声が失われてしまいます。

失意の香澄を救い上げたのは、それまで香澄が救ってきたPoppin'Partyの仲間達でした。5人で共に前へススメ!を歌い上げたことにより、香澄の夢が真上にあるもの(星の鼓動)から周囲にあるもの(ポピパの仲間達)へと転化し、ようやく香澄が周囲の仲間の目を見つめながら夢を見ることができるようになりました。前述したように、星の鼓動は共に夢見る「みんな」でもあるわけですが、その意味での星の鼓動=夢=仲間達という等式が成立したのはこの前へススメ!を歌った瞬間です。

あの日わたしは 少女でも大人でもなく
混じりけのない眼差しで 夢だけ見てた

アニメ3期OPのイニシャルはアニメ1期で香澄が挫折した時期(あの日)を歌った楽曲でもあります。このAメロの歌詞で、確かに眼差しには一切の混じりけなく夢を見つめているのですが、見つめられる“夢”には「少女の夢」と「大人の夢」が混在しています。「少女の夢」は、まだ幼かった戸山香澄が夜空を見上げて感じた星の鼓動です。そして、「大人の夢」は前へススメ!以来共に夢を見続けているポピパや、その周囲に広がっていった仲間達の存在そのものです。そして少女でも大人でもなかった“わたし”は、今や「少女の夢」であった世界との一体化に近づいていき、「大人の夢」である仲間達の存在によって孤独を感じることはなくなっています。

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そして、BanG Dream!とは、偉大なる先人の夢を自分達の夢として撃ち抜くことです。小説版のPoppin'Partyは、かつて新宿で活動していた伝説のバンドRAZESがあと一歩のところで届かなかった夢を掘り起こし、自分達の夢として蘇らせていきました。このRAZESが夢を撃ち抜く際に歌われるはずだった楽曲のタイトルがその名もBanG Dream!だったのですが、Poppin'Partyが結成していくまでの過程でオリジナルの歌詞を宛てがい、曲名もYes! BanG_Dream!というオリジナルの楽曲へと変質させていきました。

また、アニメ1期で絶大な存在感を放っていたSPACEオーナー・都築詩船の夢は「ライブハウスの敷居を下げ、ガールズバンドがもっと広く親しまれる」というものでした。その夢をやりきったと感じてSPACEを畳む決断を下したわけですが、アニメ3期になるとライブハウスがどこも予約でいっぱいという大ガールズバンド時代が訪れ、そしてSPACEで最後に見初めたPoppin'Partyが武道館にまで輪を広げて“やりきった”演奏をする光景をその目に焼き付けます。都築詩船の夢もまた、Poppin'Partyが夢を撃ち抜くと同時に撃ち抜かれたものです。

 

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燐舞曲のユニットストーリーは、まさしく巨大な天上の“夢”を地上にいる仲間達へと降ろしていった物語です。ユニットを結成した当初、燐舞曲はそれまで孤独だった青柳椿にとっての温かな居場所となりました。過去のトラウマから失っていたアイデンティティを三宅葵依から新たに与えられて生まれた己の在り処であり、それ自体は大変ドラマティックなのですが、その一方で燐舞曲は老舗クラブハウスALTER-EGOの看板DJユニットという顔もあります。4人で、或いはALTER-EGO内で歌っている間は居心地良く歌っていれば良かったものの、対外イベントに参戦した際に己の背負うALTER-EGOの代表という使命の大きさを客観視せざるを得なくなったことで、ステージ上で声が出せなくなってしまいます。歌えなくなっちゃった!

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あからさまにバンドリ1期の前へススメ!をなぞった展開なだけに、その解決も同様に青柳椿の夢を燐舞曲の4人そのものに集中させることで達成されます。香澄が星の鼓動という遠大すぎる夢から周囲にいる仲間達へとその目線をスライドさせていったように、椿の頭上からALTER-EGOという看板が取り払われたことにより、燐舞曲という自分の居場所を見つめることで自分なりの夢を追うことが可能になった格好です。

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また、これは青柳椿のみならず、その看板を取り払う役目を担った三宅葵依についても言えることです。もとを正せば、燐舞曲はALTER-EGOの次期専属DJである三宅葵依のために用意されたユニットでした。当初からクラブでVJを務めていた矢野緋彩に、ゼネラルマネージャーの真咲が用意したボーカルである佐倉由貴を含めた3人で発足する予定だったものの、最終的に葵依自ら選び取った月見山渚と青柳椿の2名を勧誘し、ALTER-EGOから用意された存在である佐倉由貴を排することで、三宅葵依が自らの意思で作り上げた燐舞曲として出発していきます。葵依にとってもまた、ALTER-EGOという看板は己の上にのしかかる分不相応な重荷であり、自分が見つけた仲間と作り上げた燐舞曲こそが三宅葵依が自分らしく見据えられる等身大の夢です。こうした燐舞曲の他力を徹底的に拒絶する点は、他力をどこまでも自分達の力として巻き込んでいったMerm4idとの鮮やかな対比でもあります。

結局のところ、燐舞曲がALTER-EGOという看板に決別したことは4人の中で内密に行われたことであり、一見すれば自分達を信じてくれているクラブに対しての裏切りとすら言って良い行いです。ですが、先代ユニットが遺したALTER-EGOの象徴とも言えるprayerをprayer[s]という燐舞曲なりの夢へと作り変えることで結実した再出発は、先代を知る真咲の目から見ても燐舞曲が先代の夢を受け継ぐ存在として頼もしさを感じさせる姿として映りました。自分達で見据えた夢を撃ち抜かんとするからこそ先代に与えられた夢すらも撃ち抜けるという、BanG Dream!の原点がそこには垣間見えます。

 

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燐舞曲の物語において独特とも言えるのは、主人公である青柳椿の極端なまでの幼さです。ユニットストーリー全編を通して、パートナーである三宅葵依に全てを与えてもらうだけの受動的な態度を崩すことはありませんでしたし、葵依に誘われて最初にクラブに来た時には事情もろくに知ろうともせず別のボーカルに子供じみた嫉妬心を露わにする始末でした。言動や風貌だけなら一見幼い月見山渚からも、第一印象として後輩に見られていたりと、徹頭徹尾大人びているだけの少女として描かれています。上記のスクリーンショットでは凛々しい表情で「私は私が必要とされる場所に行くの」とその決意を語っているようですが、実のところ、この場面は三宅葵依が自分を迎えに来てくれるのを待っているだけのシチュエーションでしかありません。なーにが「行くの」じゃ、足を動かせ、自分の足を!

とはいえ、燐舞曲のユニットストーリーで語られた夢は、ユニットを組む仲間達こそが夢そのものであるという「大人の夢」のみでした。ユニットストーリーを終えてなお、月見山渚と矢野緋彩の2人は自身の持つ秘密を抱えたままとなっており、メンバー全員の見ている景色を一致させる必要がある「少女の夢」=世界との一体化からは程遠い状態です。“夢”を継承していながら燐舞曲がポピパと決定的に異なっているのは「少女の夢」である世界との一体化を一切感じることなく「大人の夢」だけを見てしまった点にです。これは言い換えれば、少女を経ずに大人になってしまったのが燐舞曲であり、とりわけ青柳椿という依存心の塊のような主人公にそれが強く投影されています。

「少女の夢」である世界との一体化は、自分自身を世界そのものと溶け合わせていくという意味ではかなり依存的な概念でもあるわけですが、この先の燐舞曲の物語では、その依存的な「少女の夢」を体得しながら青柳椿が自立心を獲得していくことになるでしょう。誰よりも大人びた雰囲気を持ちながら、本質的に誰よりも幼い彼女は、「少女の夢」と「大人の夢」を混在させて本当の“夢”に変えていく物語の主役としてこの上なく相応しい存在です。

 

何かが始まる予感はどこにだってある ~Lyrical Lilyとキラキラドキドキ~

お嬢様学校で結成された深窓の令嬢達による異色のユニットLyrical Lily(リリリリ)が継承しているのはキラキラドキドキです。星の鼓動とキラキラドキドキは同じ概念なのではないかと思われるかもしれませんが、共通項こそあれども明確に線引き可能な別個の概念です。というか、この際なので種明かししますが、後半3ユニットが受け継いでいるPartyと“夢”とキラキラドキドキは、星の鼓動の1要素をそれぞれCiRCLING概念を加えながら独自に膨らませたものです。

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まず、キラキラドキドキとは何かが始まる予感です。ガルパの『二重の虹』戸山香澄★4[星空を見上げて]のエピソード「ずっと一緒に」という嫌がらせのようにアクセスが悪いテキストにて、それが決定的に明文化されています。また、当該エピソードではそのキラキラドキドキは当初は自分が感じていれば良かったものの、今ではポピパやその周囲のみんなもキラキラドキドキしていないと感じられない性質のものへと変わってきたとも語られており、キラキラドキドキが前述の星の鼓動や“夢”と共通する概念であることがこのエピソードからも理解できます。早い話が、キラキラだとか夢だとか=Sing Girlsです。

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また、キラキラドキドキとはどこにでもあるものです。これはRoseliaの今井リサから作詞の方法を聞かれた際に戸山香澄が答えたもので、具体的にキラキラドキドキを感じられるものとして、「朝起きて窓の外から聞こえる小鳥の囀り」や、「朝食を食べに階段を降りる際に漂うパンが焼ける匂い」が挙げられます。香澄らしい突拍子もない発言に聞こえますが、この2例はどちらも新たな1日の始まりを告げるものであり、日常の中の何かが始まる予感として、先に説明したキラキラドキドキと完全に一貫しているものです。意識して周囲を見渡せば何かが始まる予感はどこにでも転がっているものであり、現に、ポピパを結成するきっかけとなったのは戸山香澄が下を向いて歩いている時に見つけた星のシールというほんのささやかなキラキラドキドキでした。

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どこにでも存在している一方で、きちんと意識を向けなければ見失ってしまうのがキラキラドキドキの厄介な性質です。その視界からキラキラドキドキが枯渇したらどうなってしまうのかを実際に体験した人物として、ライブハウスCiRCLEの実質的な管理者である月島まりながいます。かつてはプロデビューを夢見てバンドを組んでいた彼女でしたが、その夢に固執し、また夢が全く実現しないことに焦れるあまり、バンドメンバーと過ごす時間すらもギクシャクしたキラキラドキドキしないものになっていきました。何かが始まる予感が一切無い日々は終わりなき退屈です。結局そのバンドは解散に至りますが、活動の最後にHOPEというそれまでの鬱屈した日々からは生み出せない楽曲を作ることで月島まりなは新たな人生の船出へと漕ぎ出しており、このHOPEこそ彼女にとっての何かが始まる予感になりました。キラキラだとか夢だとか希望だとかドキドキだとかでこの世界はまわり続けているのです。

Merm4idの章でも触れましたが、現在のポピパは日常の中にサプライズを与え続けることで日常の延長線上に“非日常”を作り出しています。そしてまた、月島まりなの結末を踏まえるならば、サプライズは日常にキラキラドキドキを感じ続けるための有効なマンネリ予防策でもあり、ポピパはパーティやドッキリをお互いに仕掛け合うことで、始まりの予兆を見逃すことなく走り続けることに成功しています。

 

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DJ文化が人々の日常の一部と言えるほど浸透しているD4DJの世界観にありながら、厳格な規律が支配する有栖川学院という箱庭に生きるリリリリの4人はDJとは全く無縁の日々を過ごしていました。そんな4人にとっての最初のキラキラドキドキは、体育倉庫で発見したアナログのレコードプレイヤーです。学院での日々に薄っすらとした退屈を感じていた桜田美夢が、本来ならそのまま廃棄されるはずだったビンテージ品からそれまでの日常を打開してくれる予感を覚え、4人の秘密の地下活動としてDJという新たな世界に踏み出していきます。

とはいえ、レコードプレイヤーはあくまでもきっかけに過ぎません。いくら世間知らずな彼女らでもこの世界で大流行しているDJを一切知らなかったわけではなく、「他校の子達がやってるアレ」程度にはその存在を把握していました。ただ、学院の規律に縛られ保護される生活を送っていたために、自分達とは全く無縁の世界のものという認識であっただけなのです。その豊富な資金力でDJ機材を揃えさえすれば、レコードプレイヤーに出会わずともいつだってDJを始められたはずです(隠れオーディオマニアだった春日春奈は特に)。DJという活動自体、リリリリにとってはそれまで意識を向けずにいたキラキラドキドキに相違ありません。

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当初は4人だけの地下活動として始まった「DJの集い」でしたが、クラスメイトにバレたことを契機にその参加者が増え始めます。貞淑さを強要される学院生活に退屈している女学生達からすれば、DJなどという新しいことを始めてワクワクしているリリリリの4人そのものがキラキラドキドキに映り、あとはお馴染みのCiRCLING概念でその輪が広がっていきます。陽葉学園のようなDJ活動を推進している学校であればそれで問題なかったのですが、ここはシスターらの管理で雁字搦めの有栖川学院であり、リリリリの輪の拡大は彼女らを縛り付ける学院の規律と衝突することになります。言うなれば、有栖川学院という舞台自体が、キラキラドキドキが見失われた終わりなき退屈になってしまっていました。

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しかしその傍ら、彼女らの“新しい始まり”となってきたのは、ビンテージのレコードプレイヤーであり、地下書庫の遺構であり、レコードショップで買い漁った古いレコードであり、図書室から取り出した偉大な文学という既存のレガシーでした。ここが非常に重要なのですが、キラキラドキドキは失われるのではなく見失わるものです。伝統と戒めに縛られた有栖川学院であろうともその目を凝らしさえすれば何か新しいことを始めるのは不可能ではなく、現に彼女らは先人の遺産を巧みに組み上げて自分達にとっての新しい冒険を繰り広げていきます。何かが始まる予感は、どこにだってどんな古いものにだって存在しているのです。

 

ここまでは、ポピパで語られてきた馴染みのあるキラキラドキドキの概念でした。しかしながら、Lyrical Lilyの物語の圧巻とも言えるところは、ポピパから継承したそれを更に発展させ、全く新しいキラキラドキドキをも見せつけてくるところです。それがまた、ミッションスクールを舞台としたリリリリならではの、キリスト教というレガシーを土台にして説かれていきます。

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学院長という権力者の後ろ盾も味方につけたとはいえ、美夢達の活動は「みんなに音楽による喜びを届けたい」という規律以前の学院の理念である奉仕の精神に適ったものと認められ、その活動が学院に公認されることとなります。この奉仕の精神を最も体現したのが、誰よりも学院の規律に背き続けてきた白鳥胡桃です。「DJの集い」が明るみに出てしまった際に、彼女はみいこと共に全員の罪を全て引き受けて退学になろうという、十字架を背負って贖罪を遂げたイエス・キリストそのものとも言える行動を取ります。

また、白鳥胡桃は竹下みいこと共に頻繁に校則違反といたずらを繰り返すトラブルメーカーでもあり、当初から学院の規範の破壊者でもありました。ですが、そもそもにしてイエス・キリストが生前に行ってきた人々への救済も生活様式まで規定するユダヤ教の律法主義に背いて行われていたものだったことを思えば、人々への奉仕が既存のルールを破壊することを伴うのはむしろ当然です。常に規範を破壊してきた彼女の自己犠牲的な奉仕の精神が学院長の心を動かす決定打となり、それまで学院生達の枷となってきた規則が大々的に破壊されることになりました。

そして、胡桃とみいこのいたずらは、退屈を打破するサプライズとしてのキラキラドキドキの実践としての側面あります。物語の開幕当初から桜田美夢がその賑やかさに救われていた様子も描かれていますし、そして何より、レコードプレイヤーという原初のキラキラドキドキに辿り着いたのは胡桃とみいこのいたずらの罰として体育倉庫の整理を命じられたのがきっかけでした。2人のサプライズは、リリリリが新たに物語を始めるための福音でもあったのです。

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キリスト教における福音にはイエス・キリストによって説かれた教えという意味の他に喜ばしい知らせという意味もあるわけですから、福音もまた新しいことが始まる予感を知らせるキラキラドキドキです*8。リリリリにおいて福音としてのキラキラドキドキを特に受け持つのが、白鳥胡桃のいたずら仲間である竹下みいこです。底抜けに明るく、誰とでも打ち解けられる性格の彼女は、物語中盤にて「DJの集い」に及び腰だった少女の手を取り、新しい世界へと誘う活躍を見せました。そして、クライマックスである親睦会では、それまでクラシックコンサートしか知らずにいた上流階級のオーディエンスを今までの音楽に対する常識から解き放つという決定的な働きを演じ、静まり返っていた会場を熱狂の渦に巻き込む立役者となります。

リリリリのキラキラドキドキは、既存の固定観念を破壊する福音です。6ユニットの中で唯一DJ文化との出会いから始まったユニットであるだけに、DJに対しての先入観を自他共に取り払っていきながら、その音楽で人々に“はじまり”を告げていきます。破戒の罰から始まり、その罪を背負うことで精算しようとした不自由な物語は、その場にいる誰もに自由の翼を与える最高の結末を迎えました

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2つのCiRCLINGを繋いで見えるもの ~D4DJとBanG Dream!

バンドリ!プロジェクトの初期に中村航先生が著した小説版BanG Dream!は、市ヶ谷有咲役の伊藤彩沙さんをしてバンドリの聖書と言わしめた傑作です。それをパロディして、コロコロアニキで連載中のニャロメロン先生のギャグ漫画「バンバンドリドリ」はバンドリの辞書という体裁で、シュールレアリスムの極致のような一冊に仕上げてきました。

本記事は、それらを受けてバンドリの取説となることを目指して書き上げました。これからポピパの物語を読んでみようという方や、D4DJ・グルミクの物語をこれから追いかける方が、本記事を手元に置いて参照するような使い方も想定しており、そしてそれに堪えるだけのものは詰め込めたと自負しています。

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これは僕の予想に過ぎないのですが、D4DJはバンドリと並び立つコンテンツとしてデザインされているように感じています。グルミクのゲームシステム全般に触れてまず感じたのはそのあまりの負担の軽さでしたし、明らかにガルパの“サブ”として遊べるように設計されています。また、本記事で長々と語ってきたように、D4DJがバンドリ、とりわけポピパから多大な影響を受けて作られたことはもはや自明なのですが、他方、今後はD4DJの側がバンドリに影響を与えてくることも予想されます。その一つの例が、ガルパで最近開催されたMorfonicaの箱イベント『新たな旅立ちのアインザッツ』です。このイベントストーリーでは、驚くべきことにグルミクで6ユニットそれぞれで行われたようなPoppin'Partyの継承をMorfonicaたった1ユニットでこれでもかと実現したものになっています。Craft EggとDonutsの間で綿密なやり取りが行われたとは流石に思わないものの、双方を統括するブシモの戦略としてこうした相乗効果を目論んだことは想像に難くありません。

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Happy Around!の章でも述べましたが、ポピパの物語はアニメ3期をもって一つのCiRCLINGを完成させ、それを通過点とすることで新たな地平へと歩み始めています。そして、D4DJはポピパがその1つ目のCiRCLINGに至るまでに培われたものを全面的に受け継いだコンテンツです。2つのCiRCLINGが相互作用を及ぼしながら生まれる図形は、終わりのない形のムゲンダイです。この2つのコンテンツは、並行して味わうことで途方もなく大きな景色を見られるものになっていると見込むことができます。

 

恐縮ながらも、この長い長い記事を全て読んだ方であれば、その2つのCiRCLINGの“繋がり”が相当程度明瞭になったものと信じています。さあ、この2大コンテンツを共に追いかけ、CiRCLINGを超えたムゲンダイを感じていきましょう。

次はキミの番だよ!

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*1:プロセカが言わずもがなCraft Eggラインの継承者であることを思うと、バンドリを支えてきた2つの流れがそれぞれ独立したコンテンツとして立ち上がったのがD4DJとプロセカであるように感じられます。

*2:ガルパのバンドの中でも人気は不動の最下位と言う外なく、また、アニメ1期の難解さや小説版に当たるまでのハードルもあり、ポピパに深く触れられているバンドリファンというのはおそらくほんの一握りです。

*3:出典:https://news.livedoor.com/article/detail/16433970/

*4:勿論、アニメの後の時系列なので、アニメでの出来事を乗り越えた段階ということは念頭に置くべきです。ただ、それを加味しても問題レベルが高かったように思います。

*5:ポピパにおけるGlitter*Green(グリグリ)の立ち位置に相当します。グリグリの声優陣がミルキィホームズであったことを思えば、前作主人公のキャストに現主人公の憧れの存在を担当させるのが慣例化してきたと言えます。

*6:アニメを通して綾奈ゆにこ先生はモノローグを徹底的に使用しないというこだわりを持っており、それが独特の味を生み出していることに疑いの余地は無いのですが、きらきら星のシーンに限ってはそれが非常に悪い形で作用してしまいました。この際にりみの心情に何が起きていたのかは柏原麻実先生が手掛けたコミカライズ版が大変見事に補間しているため、是非手に取ってその疑問を氷解して頂ければと思います。

*7:パスパレはガルパ7バンドの中で唯一自分達で楽曲を制作していないバンドです。そんな彼女らが楽曲の制作者をどう思っているかは長らく注目されているトピックでもあります。

*8:実は、ポピパ楽曲でもHappy Happy Party♪の「光あれ」という聖書の引用として、この福音としてのキラキラドキドキは既に語られていたことです。

【プロセカ】まだ対等でない2人と2人が向かう場所 ~Vivid BAD SQUAD~

 早くもプロセカ感想記事も4つ目となりました。このブログが元々キコニア考察の置き場として立ち上がったものであることを思うと用途が様変わりしていて驚きますが、それもこれもプロセカが面白すぎるのとキコニアPhase2がなかなか出ないせいです。ところでプロセカ経由でいらっしゃった皆様にも、キコニアのなく頃には竜騎士07は今が全盛期だと確かに感じられる大傑作なので是非プレイして頂きたいと思います。最高の相棒の物語が楽しめますよ!(ステマ

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さて、プロセカにおいて最高の相棒を取り扱った物語と言えばVivid BAD SQUAD(ビビバス)です(こんな強引な話題の転換ある!?)。小豆沢こはねと白石杏のVividsと東雲彰人と青柳冬弥のBAD DOGSが合流して生まれたユニットであると当初から明言されており、この点、同じ男女混成ユニットでも同性間の関係と異性間の関係が同等程度に扱われていたワンダショとはかなり異なる手触りがあります。

ところが「Vivid BAD SQUAD」の場合は、4人全員の視点が入れ代わりながら、物語が進んでいくんです。

だから他のユニットだと、誰かひとりが主人公的な存在というか、そういう形の構成になっているんですけど、「Vivid BAD SQUAD」の場合はある意味、全員が主人公みたいな感じで。

僕ら自身も話し合いの中で「Vivid BAD SQUADは全員が主人公かもね」みたいなことを言いながら作っていったので。

もはやいつものの風格すら出てきた例のインタビュー記事からの引用になりますが、ビビバスは4人全員が主人公という興味深い発言があります。実際、物語の構成も前半は女子2人、後半は男子2人がそれぞれ一つの壁を乗り越えるまでを描くものでした。しかし、このメインストーリーが4人全員を主人公として扱えていたかと言うと決してそうではないというのが僕の所感です。即ち、ビビバスの物語には大きなやり残しが存在しています。

メインストーリーのみである程度完結させてきた他のユニットに比べて、ビビバスのメインストーリーを読んで抱くのは率直に言って不完全燃焼感ではないかと思います。ですが、そのやり残しは間違いなく意図的に組み込まれたものであり、そしてこれ以降ビビバスが成し遂げていくものの大きさを示してもいます。本記事ではその辺りを予想も含めて記述したいと思います。

では、恒例の注意事項を。本記事はネタバレ全開でお送り致します。これまで各キャラクターのサイドストーリー(左右エピ)は記事執筆時点で読んでいませんでしたが、今回はビビバスキャラのサイドストーリー前編のみ(バーチャルシンガー除く)は入手した範囲で読んでおり、本記事にもそれを踏まえた記述が存在します。以上のことを、予めご了承下さい。

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【プロセカ】あなたは私にとっての“原点”だから ~MORE MORE JUMP!~

2020年10月8日、歴史が以下略

ユニットランク上げも緩和され、最後に残った課題と言って良かったキャラクター育成のゲームバランスも遂に大幅改善が決定しました。練習用スコア(初球)の効果の弱さ自体は据え置きのようですが、代わりに練習用スコア(中級)が入手しやすくなることにより、★2や★1のサイドストーリー後編(右エピ)すら読めないという状態からは完全に脱却できそうです*1。これで2020年代を代表するコンテンツがいよいよ完全体へと変貌しました。あっ、でも、1つのイベントに★4を3人投入するは流石に勘弁して下さい!!(カードが少ない初期だけだと願いたい)

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レオニ記事からはかなり時間が空いてしまいましたが、今回はMORE MORE JUMP!(モモジャン)の感想記事となります。実を言うとVivid BAD SQUAD(ビビバス)を先に読み終え、そちらの感想記事を先に上げる予定だったのですが、その記事を白紙撤回せざるを得ない事情が発生し、その後読んだモモジャンから先に書き上げた次第になります。

アイドルという設定からも、そして中心となる花里みのりと桐谷遥の関係性からも、否応なしにガルパのPastel*Palettes(パスパレ)を想起させて来ますが、結論から言えば、パスパレの物語の長所を全て継承しつつ、パスパレからはあらゆる面で絶妙にズラしてきたストーリーであったと思います。

では、恒例の注意事項を。本記事はネタバレ全開でお送り致します。また、今回も各キャラクターのサイドストーリー(左右エピ)は記事執筆時点で基本的には読んでおらず、サイドストーリーと食い違う部分があれば後に修正するつもりです。以上のことを、予めご了承下さい。

*1:いやまあサイドストーリー前編(左エピ)はレベル1でも読めるのですが、前後編と題されているからには一気に読んでしまいたいというのが人情でして……。

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【プロセカ】初音ミクに憧れた少女は、初音ミクのように想いを歌う ~Leo/need~

2020年10月8日、歴史が動いた――(天丼)

前回のワンダショ記事でも書いたように、プロセカの致命的な欠点の1つであったユニットランク上げの過酷さが、かなりの程度緩和されるアップデートが決定しました。リリース開始から1週間、血眼で走り続けた人間にとっては些かの徒労感も無くはないのですが、このユニットランク上げの辛さによってストーリーを読むことなくユーザーが離れていくことが最も危惧されていたので、これは本当に喜ばしいアップデートです。あとは育成ゲーム面のバランス(練習と特訓のしづらさ)が改善されれば、名実ともに2020年代を代表するコンテンツに押し上がるでしょう。さあ、及び腰になっていたあなたも、今こそプロジェクトセカイを始めましょう! 飛び込んでいこう僕らのセカイへ!

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さて、前回に引き続いてのプロセカ感想記事になります。今回のユニットはLeo/need(レオニ)。かつては仲が良かったのに疎遠になってしまった幼馴染みが再びバンドを結成していくという、如何にもガルパのAfterglowを連想させるあらすじですし、度々舞台装置として登場する星空にはPoppin'Partyのエッセンスも感じられます。しかし、いざ読んでみるとその内容は到底ガルパでは実現できない陰険さを孕んでおり、けれども同時にやはり等身大の女子高校生がありありと描かれた秀逸な物語でした。

前回同様、本記事はネタバレ全開でお送り致します。また、今回も各キャラクターのサイドストーリー(左右エピ)は記事執筆時点で読んでおらず、サイドストーリーと食い違う部分があれば後に修正するつもりです。また、記事執筆中に開催されたイベント『雨上がりの一番星』は読んでおり、少しですが当該イベントストーリーにも言及しております。以上のことを、予めご了承下さい。

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【プロセカ】笑顔を取り戻したスターの歌 ~ワンダーランズ×ショウタイム~

2020年9月30日、歴史が動いた――。

バンドリ!ガールズバンドパーティ!で緻密かつドラマチックな物語を紡ぎ上げ続けているCraft Eggによる*1初音ミクを中心としたボーカロイドが題材の新作リズム&アドベンチャーゲームプロジェクトセカイ(プロセカ)がリリースされました。13年の長きを経て積み重ねられてきたボカロ楽曲を遊べるリズムゲームパートと、初音ミクボーカロイドバーチャルシンガーとして本作オリジナルキャラクターの20人と青春群像劇を繰り広げるアドベンチャーパートに分かれており、ガルパのストーリーにここ数年狂い続けている僕としてはプロジェクト発表の瞬間からリリースを心待ちにしてきました*2。5ユニットがそれぞれのテーマを持ちながらユニット間の”越境”し交流することで、ユニット内では触れられない考えに影響されながらキャラクターが人間的に成長・変化・転換していくというキャラクター構成は、まさにガルパで培われたフォーマットそのもの*3。開発元が同じというだけではなく、間違いなくガルパのエッセンスを凝縮し、下手すれば更なる進化をしていることさえ予感させる手触りに、これは全力で追いかけるしかないコンテンツだと早くから確信していました。

蓋を開けると、劣悪すぎるキャラクター育成のゲームバランス過酷すぎるユニットランク上げに苦しむことになり*4、なかなかそのストーリーを読むことが許されないという状態が続くことになりました。こうして他のコンテンツに触れてみると、改めて、ガルパがどれだけストーリーに当たりやすく作られているかが分かりますね。ところでガルパの物語は全てのイベストを読んでこそ意味が生まれますしそこからが本当のスタートなのでガルパのイベストは全て読みましょう(威圧)。

<※10/8追記>

ユニットランク上げに関しては、10月中旬のアップデートにより大幅に緩和されることが決定しました。

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とはいえ、リリース直後にユニットランク経験値2倍期間が設けられ、僕の労働時間と大半丸被りのため睡眠時間を削ってフラフラになりながら音ゲーを走りまくったところ、何とかある程度はユニットランクを上げられました。そんな僕が最初に読破したのはワンダーランズ×ショウタイム(ワンダショ)。ガルパのハロー、ハッピーワールド!(ハロハピ)の要素を散りばめたようなユニットで、実際ハロハピ同様笑顔が重要なテーマになってくるのですが、ワンダショはその物語においてハロハピとはまた違った笑顔の価値を語ってきたのです。

当然ながらネタバレ全開ですので、ワンダショをまだ全話読めていない方はこの場で引き返すことをお勧めします。なお、本記事を書くにあたって、いわゆる左右エピを筆者は読破しておりません*5。もし左右エピと食い違う記述が本記事にありましたら後に訂正は致しますが、予めご了承下さい。

*1:正確にはCraft Eggが子会社として設立したColorful Palletesですが。

*2:その一方、ボーカロイドの造詣はほとんどありません。5ユニットの感想記事を書いた後で、そういう僕から見た初音ミクらバーチャルシンガーについて語る記事も書こうと考えています。

*3:ガルパの方は最近MorfonicaとRAISE A SUILENが加わり7ユニットになりました

*4:特に練習用スコアの効果が弱すぎることと、特訓に必要なミラクルジェムがドロップしづらい割に必要数があまりにも多い点が大変辛いです。今後の改善が望まれます。

*5:ガルパにおいては得てしてイベントストーリーやバンドストーリーの”注釈”として機能します。

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【ガルパ】『凛と薫る風の調べ』から見えた、八潮瑠唯の現在地

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『凛と薫る風の調べ』イベントが開催されました。その1ヶ月ほど前に開催されたMorfonicaの箱イベント『羽ばたきのためのエチュード』の正統続編とも言うべきイベントストーリーで、桐ヶ谷透子がMorfonicaというバンドの中で活動していく内に直面した壁に、バンド外の人々と交流していくことで解決の糸口が見つかっていくという、まさにバンドリ!ガールズバンドパーティ!の魅力が凝縮されたかのようなシナリオでした。

これは僕がTwitterで定期的かつ声高に叫んでいることなのですが、ガルパは箱イベントという縦糸と混合イベントという横糸が織り合わさって1つの巨大な名画を形作っていく、世界史のような構造をしていると思っています*1。今回のイベントは、ガルパという史記においてはさしずめ”新大陸”とでも言うべきMorfonicaが、その緻密で精妙な物語に最高の熱量で組み込まれていったことが実感できるイベントでした。既存の5バンドで織り成す物語があまりにも完成されていただけに、Morfonicaという新要素が”異物感”を帯びてしまわないかということは実装当初から心配だったのですが、今回のイベントでその憂いは完全に払拭されたと言って良いでしょう。

いま、Morfonicaの物語はその縦糸と横糸を他5バンドの物語と完全に不可分のものとして縫合され、もはやMorfonicaの物語を読まなければ他のバンドの物語も完全には理解できず、また他のバンドの物語を読まなければMorfonicaの物語も完全には理解できない段階に至りました。悪いことは言いません。さあ、ガルパのイベントストーリーは、全て読もう!!*2

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ガルパのイベントストーリーを全て読んでほしいという気持ちが逸りすぎて前置きが長くなりましたが、今イベントの源流となる『羽ばたきのためのエチュード』以来、僕はとうるい、桐ヶ谷透子と八潮瑠唯のカップリングにハマりつつあります。論理性を持たない桐ヶ谷透子、衝動性を持たない八潮瑠唯、己に無いものを相手に見つつ、しかしやはり自分と対極の性格のため激しくぶつかり合う――そんなケンカップルとも言うべき2人の関係性に大変に惹かれています*3。本記事はこのカップリングにハマりつつある僕の視点から、『凛と薫る風の調べ』イベントを考察したものになります。このイベントを通じて桐ヶ谷透子が輝かしい一歩を踏み出した一方、それによって八潮瑠唯には影が落とされた格好になりました。八潮瑠唯が今どんな立ち位置にいて、そしてそこからどう歩んでいくのか――そういったところまで予想と妄想を入り交えながらまとめ上げた記事になっています。

 

桐ヶ谷透子の弱みと強みを同時に鍛える梁山泊

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『凛と薫る風の調べ』で行われたことは、端的に表現するならば桐ヶ谷透子専用の梁山泊が形成されたようなものでした。上記画像にもあるように*4、『羽ばたきのためのエチュード』で瑠唯が毎日10時間の練習を当たり前にこなしていると知り、自分の練習不足を痛感してもなお、基礎練習にかったるさを感じていた割と浅いところでギターを舐め腐ってる透子でしたが、その透子の基礎力を底上げしたのは基礎力モンスターと呼んで差し支えない氷川紗夜でした。あろうことかあの氷川紗夜に対し、ファーストフード店で偶然に出会った透子が軽々しくも指導を乞うことで、異色の師弟コンビが実現したのです。2人を繋いだポテトに感謝!

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とはいえ、最近は丸くなってきたものの本質的に合理と禁欲の鬼である紗夜単体では、瑠唯と同様に透子とは衝突するだけで終わったかもしれません。今回、その正反対の2人の橋渡し役を務めたのが花園たえです。「ギターは弾きたい人が弾く」がモットーであることからも透子の衝動性に寄り添える上、ポピパに加入するまでは長らく1人でギターを弾き続けていたことからも紗夜に比肩する基礎力の持ち主であるたえは、本来ならばすれ違いが起きてしまう2人を結びつける存在としてうってつけの人材と言えます。

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しかしながら、紗夜とたえの指導は早々に行き詰まりを迎えます。紗夜もたえも地道な練習をコツコツ重ねてきたタイプの努力家なのですが、それはゴール無きマラソンをひたすら続けていくような、ある種のストイシズムがあってこそ為せる業です。そもそもギターというパートを選んだのも目立ちたいからという単純極まりない動機であった透子にそんなストイシズムが備わっているわけもなく、もっと透子の気質に合った指導ができる人物が必要でした。

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そこで登場したのが瀬田薫です。透子が目指す目立つギターとして最良のお手本でもある薫の指導により、観る者を魅了する派手なパフォーマンスを身につけ、更には演奏技術そのものも向上するという思わぬ副作用がもたらされました。また、薫の指導はステージ上で誰より目立てる自分の姿を想像しながら練習できるため、紗夜とたえの指導には欠けていた”理想像”を透子に与えてくれるものでもあります。薫という最後のピースによって透子は目指すべき己の姿を見定めることができるようになり、紗夜とたえは”理想像”に合わせて透子に足りない基礎力を鍛えていけるようにもなったのです*5紗夜とたえからは「やりたくないけどやらなければいけないこと」を、薫からは「やりたいこと」を同時に学び取れる、まさに理想の指導環境が整いました。

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3人(と薫の通訳を務めた美咲)の指導を受けた史上最強の弟子は、ライブ本番で師匠達の胸をも打つ最高のパフォーマンスを披露して見せました。『羽ばたきのためのエチュード』から『凛と薫る風の調べ』を経て、桐ヶ谷透子という1人のキャラクターがまさに大きく羽ばたくに至ったのです*6

 

桐ヶ谷透子の成長に対する、違和感だらけの八潮瑠唯の受け止め方

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以上が今イベント本編の顛末であり、非常に素晴らしいイベントであったことに疑いの余地はないのですが、こうなってくると、本編では出番のなかった八潮瑠唯のことが気にかかります。『羽ばたきのためのエチュード』でも、瑠唯は透子の演奏が何故向上していったのか理解できませんでした。その原因は当該イベントでも語られていた通り何故現実を見ずに感情に従った行動で結果が出せたのか分からないというものでしたが、今回は更に瑠唯が理解に苦しむであろう要素が加わっています。

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誰あろう、透子のパフォーマンス力を向上させる立役者となった瀬田薫の存在です。上記のカード名は[未知との遭遇]というあまりにもあんまりなタイトルが付けられてしまっていますが、瑠唯にとって瀬田薫が理解しがたい人物であることは間違いないでしょう。『花明かりのシンフォニー』での瑠唯と薫の会話はかなり短く、深い交流があったとは言い難いのですが、その会話の噛み合わなさは短い描写だけでも汲み取れるものでした。

即ち、今イベントに瑠唯の視点を導入すると、瑠唯が理解不可能な桐ヶ谷透子が、同じく理解困難な瀬田薫の影響で大きくパフォーマンス力を向上させたという、瑠唯を迷路に陥れるには十分すぎる事態が起きているのです。これは、瑠唯の反応が楽しみだぜ!!

そして幸いにも、それは今イベント中できちんと回収されました。前述の通りイベントストーリー本編に瑠唯は登場していませんが、透子の報酬★3[荒削りなメロディ]の左エピソードにて透子の成長を垣間見たMorfonicaメンバーの反応が描写されており、当然瑠唯の反応も窺い知ることが出来ます。さあ、大幅な成長を遂げた透子に対する、瑠唯の受け止め方や如何に!?

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……思っていたよりもあっさりしていました。まあ、『羽ばたきのためのエチュード』では「とても披露できるクオリティではないわね」と述べていたわけですから、それに比して「良くも悪くもない」というのは格段に評価が向上しているとも言えます。当該エピソードが「一方通行な関係?」というタイトルであることからも、塩対応を続ける瑠唯に噛みつき続ける透子の関係性を描いたものとして受け止めるのが妥当であると結論づけて終わらせても良いのかもしれません。このコンテンツがバンドリ!ガールズバンドパーティ!でさえなければ

……そう、この作品においては、こういったちょっとした違和感がキャラクターの重大な課題を浮き彫りにしていることがあまりにも多く、ここは注意深く読む必要があります。

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そもそも、透子が自身の演奏・パフォーマンス向上のエビデンスに求めたのは観客の反応でした。前章ラストの画像にも引用した通り、師匠たる薫も観客の反応から透子の成長を称賛しており、今イベントで語られた内容を受けるならば透子の主張は全面的に正しいと言うべきものです。であれば、間違っているのは瑠唯の方でしょう。瑠唯の反応として引用した2つの画像のセリフを読めば分かるのですが、ライブであるにもかかわらず、透子の評価に際して瑠唯は透子の演奏だけにしか目を向けていません。もっと言えば、瑠唯は観客のことなど一瞥もくれていないのです。

これはとてつもない事実を示唆しています。今イベントの桐ヶ谷透子の成長を理解するには「観客への意識」を持っている必要があり、本編に登場した透子や師匠達や美咲は当然にそれを持ち合わせていたので透子の確かな成長に胸動かされることになりました。ところが、八潮瑠唯はその大前提レベルの「観客への意識」を持っていないため、透子の成長を本当の意味で受け止めることができないのです。当該左エピソードのタイトルが「一方通行な関係?」と題されているのは、本当にとんでもないミスリードでしかありません。透子が瑠唯を噛みつきながら追いかけているようでいて、追いかけられる側のはずの瑠唯は今イベントにて透子に決定的に置いていかれたとさえ言えます。本当に追いかける側にならなければいけないのは、八潮瑠唯の方でしょう。

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更に、Morfonicaの物語を遡るならば、前身であるツキノモリ(仮)時代に初めて披露したライブでの観客の反応が他のどのバンドよりも悪かったことが最初の挫折となり、一時は倉田ましろがバンドを脱退するまでの騒ぎに至りました。その挫折を乗り越えたからこそ今のMorfonicaがある……と言いたいところなのですが、あの場に、八潮瑠唯はいませんでした。透子のみならず、あの日の無念を味わったましろ、つくし、七深には当然大小なりとも「観客への意識」は芽生えているはずなのですが、最初の挫折を味わわなかった瑠唯だけはそれを獲得していないという決定的な隔絶が横たわっているのです*7。確かに瑠唯は音楽面でMorfonicaを引っ張る存在ではありますが、「観客への意識」という一点において、そしてバンドリ!ガールズバンドパーティ!が何よりも大切にしているキャラクターの人間的な成長という側面において、八潮瑠唯の現在地は今、誰よりも最後尾にあります。

 

八潮瑠唯の道標となるRoselia、チュチュ、そして……

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八潮瑠唯にとって幸いなのは、同じ課題に今まさに直面している先輩がいることでしょう。アニメ3期7話について、僕は今でも納得がいっていないのですが、Roseliaが今後向き合うべき対象がオーディエンスであるという点については全面的に首肯できるものです。FWFで頂点に立つという大きな目標を達成した今後のRoseliaの進む道としては、”音楽を売るための場所”として湊友希那がかつては忌み嫌っていたメジャーシーンへと殴り込むような展開になると思われますし、その際にはどうしても観客を意識した演奏ができるようにならなければなりません。これまで自分達の音楽を高めようとしているだけだったRoseliaにとってはまた、1つ大きな壁が立ちはだかってくるものと思われます。

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その点を踏まえると、今イベントはRoseliaにとっても氷川紗夜が瀬田薫に師事するという大きな進展もありました。これは重要な点なのですが、”ギタリスト”としての瀬田薫はガルパギターメンバーの中では下から数えた方が早い程度の存在です*8ハロー、ハッピーワールド!歴=ギター歴であるからにはそれは仕方ないのですが、これがパフォーマー”としての瀬田薫となると演奏技術では上位クラスの氷川紗夜すらも一目置く存在となるわけです*9。音楽を技術だけで一元的に捉えない、ガルパの多面的な筆致が際立った描写でもあったと思います。

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感慨深いのは、Roselia 1章2話、Roselia加入前に元いたバンドと喧嘩別れした時点での紗夜がパフォーマンスを誤魔化しの技術と蔑んですらいた事実です。Roseliaでの活動を経て、あの日”誤魔化し”とまで表現したパフォーマンス力を、自分のものにしようとするまでになりました。そしてかつての氷川紗夜の姿は、そのまま現在の八潮瑠唯の姿そのものでしょう。桐ヶ谷透子が手にしたパフォーマンスとしての演奏を”雑音”程度のものとして切って捨てている八潮瑠唯がいて、一方、桐ヶ谷透子の基礎力の向上に貢献し、更には自分もパフォーマンスを磨こうとしている氷川紗夜がいます。基礎力の部分は当然瑠唯も理解できる範疇のものでしょうから、氷川紗夜は八潮瑠唯が理解できる形でパフォーマンスの価値を語ることが出来る人物です。他、瑠唯は既に友希那とも懇意にしつつあり、更には燐子との過去も伏線として控えています。Roseliaメンバーが瑠唯に与えるものは非常に大きなものとなりそうです。

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ところで、「観客への意識」についてはともかく、瑠唯が他人からの評価をどう思っているかという点についてはMorfonica 1章にてヒントとなる描写があります。「トップになれなければ意味がない」という思想は親の影響が強いと思われますが、では何をもってトップと見做すのかという価値基準は、幼少期に度々受けていたコンクールであったと明言されています。さて、コンクールで評価を下すのは審査員という権威です。コンクールというのは、どれだけ観客を熱狂させるかではなく、教科書的な演奏が求められる場です。実は幼少期の八潮瑠唯は観客には高く評価されていたがコンクール向きの演奏ではなかったために芳しい評価を得られず、そして審査員の評価を気にしてしまう性格と家柄であったために挫折してしまったのではないか……僕はそう睨んでいます*10

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そして、バンドリ!には、それこそ審査員という権威から偽りの称賛を与えられ続ける屈辱を味わった人物がいます。その人物は、当時の挫折を乗り越えて今、どんなバンドよりも観客を熱狂させる音楽をプロデュースしており、そしておそらくは次のイベントにて本格参戦を遂げ、Morfonicaと同様、新たなるバンドリ!ガールズバンドパーティ!の一員となっていくことが約束されています。きっと、八潮瑠唯が受け続けた審査員からの謂れなき評価を、ブッ潰してくれるはずです。理不尽なオーダーなど、従う必要などないさ。終わらせようかこの茶番★ 今すぐホラ。

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そして、八潮瑠唯に欠けているものを何よりも大切にしているのがハロー、ハッピーワールド!です。今そこにいる他人を笑顔にしていき、やがて世界全体を笑顔にすることを至上目的とするハロハピの理念は、間違いなく瑠唯の嫌う現実離れそのものですし、今の瑠唯が理解することは難しいものでしょう。しかし、このバンドの物語はドラムに挫折した松原花音が弦巻こころと出会い*11他人の評価からしか自分の技量を知ることなどできないと諭されたことで始まるものです。それは審査員の評価を真に受けた瑠唯の過去を肯定するものでもありますが、同時に観客の評価を度外視している瑠唯の現在を否定するものでもあります。そして、ハロハピが求めている他人の評価とは、後者の観客の評価なのです。

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そして、『花明かりのシンフォニー』において、八潮瑠唯に足りないものを(間違いなく無自覚とはいえ)北沢はぐみが端的に指摘したワンシーンがあります。自分自身がバンドを楽しむこと、そして観客も巻き込んだ楽しいライブにすること。今の八潮瑠唯にとってはそのどれもがあまりにも遠いものですが、Roseliaからも、RASからも得られない、しかして八潮瑠唯に不可欠なものを、おそらくはハロハピから吸収していくことになると思われます。

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Morfonicaの物語の当面の目標はCiRCLEでライブをし*12、そしてガールズバンドパーティの一員になっていくことです。メインストーリー1章のクライマックスにおいて、戸山香澄がその場にいる全員の高揚感を感じ取り、クインティプル☆すまいるの最後の歌詞を「ドキドキで楽しいっ!!」で埋めて完成させるという一幕がありました。であれば、Morfonicaもライブを通じて「ドキドキで楽しいっ!!」という同じ気持ちを感じられることがガールズバンドパーティの一員になる資格として求められてくるのですが、それはつまり、ライブという同じ時を共有する観客を度外視している今の八潮瑠唯がいる以上、Morfonicaにガールズバンドパーティの一員たる資格が無いとも言えるわけです。

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Morfonicaの物語は、現状最も立ち遅れている八潮瑠唯が、どれだけ己の殻を破っていけるかに委ねられています。メンバーに笑顔を見せていけるようになり、観客を意識できるようになり、ライブを楽しいと思えるようになっていけるまで、どれだけの時間がかかるかは分かりませんが、今回大きく羽ばたいた桐ヶ谷透子のように、彼女にもいずれ飛躍の時が来るのでしょう。ただ、今回のイベントは、それがとてもとても遠い未来になることを予感させるほど、八潮瑠唯の現在地が極めて後ろにあることを感じさせるものでもありました……。

*1:月刊Newtype2020年3月号のインタビュー記事にて、ブシロード木谷高明会長は「バンドリ!は終わらない大河ドラマ」と表現しています。全面的に信頼することは難しい人物でもありますが、この辺りの解釈については心の底から頷けるものです。

*2:ガルパの物語はキャラクターやバンドの関係性が有機的に絡み合い、35人のキャラクターが双方向的に大きな影響を与え合うため、全てのイベントストーリーを読むことでようやくその大河的で巨大な名画を一望できる性質を持っています。なので本当に、全てのイベントストーリーを読む必要がありますし、そしてその価値が大いにあるのです。

*3:何気にここまで真っ向から激突するケンカップルはガルパでは初と言っていいものでした。近しいのは蘭と友希那でしたが、友希那の方が悠然と構えすぎていてどうしてもお互いが感情をぶつけ合うような関係にはなりませんでしたし。

*4:出典は桐ヶ谷透子★3[悔しさの先に]左エピソードです

*5:本編で紗夜は「薫のクセが透子のクセを上書きした」と自己解決していましたが、これは見当違いでありミスリードでしょう。紗夜とたえが提示できない透子の”理想像”を薫が提示できたことが決定的であると考えるべきです。

*6:flame of hopeも「エチュード(練習曲)」から「風の調べ」へと姿を変えたと言えます。その”風”とは言うまでもなく桐ヶ谷透子の羽ばたきから生じるものでしょう。

*7:まあ、ツキノモリ(仮)に瑠唯がいれば、他の4人もその挫折は味わわずに済んだかもしれません。その意味で、構造的なレベルで瑠唯だけが味わうことができない挫折を、他の4人は味わうことができたという強烈な皮肉がここに存在しています。

*8:まず日菜、紗夜、たえ、六花よりは確実に技術的に劣るでしょうし、モカも演奏技術の面が作中で称賛される描写も多いことから、単純なギタースキルで薫が上回れるのはギターボーカルの香澄と蘭、そして今回指導にあたった透子くらいであると思われます。蘭に関しても中2からギターを始めているため、薫が上回れるかは怪しいところです。

*9:パフォーマンス力で薫を上回れるのは、全パート見渡しても同じバンドのこころとミッシェル、あとはRASメンバーくらいでしょう。アイドルであるパスパレメンバーでも厳しいと言わざるを得ません。

*10:この辺りの概念は「ピアノの森」という漫画を読んでいるとスッと入ってきます。主人公の一ノ瀬海は観客を誰よりも熱狂させる「コンサート」的な演奏ができるのですが、一方で「コンクール」からは嫌われ不遇な評価を受けます。一ノ瀬海はそれでも自分のピアノを貫ける強さを持っていましたが、もしそういった人物がコンクールの評価を気にしてしまう性分だったなら……? 八潮瑠唯がそんなキャラクターであるような気がしてなりません。

*11:松原花音がドラムを始めてから挫折するまでの経緯をそろそろ明かしてほしいものです。

*12:アニメ1期のキャッチコピー、「私たち、絶対ここでライブします!」を受け継いだもので、1期ポピパのSPACEに当たるものがMorfonicaにとってのCiRCLEになっています。

【キコニア】駒やめますか? そしたら、思考やめますか?

まーたまたまたキコニア記事が久々になってしまいました。キコニア記事どころか、どうやらブログ記事自体がかなり久々みたいです。知らなかったんですが、はてなブログって1ヶ月更新しないと登録メールアドレスに催促のメールが届くんですね。はてなくん、こんなことする子だったの? 幻滅しちゃったな……。

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本記事はその催促に応じたからというとそんなわけでもなく、きっちりと記事を上げるに足る閃きを得てのものになります。というのも、かねてから僕を悩ませていた駒の定義について、ようやく筋の通った仮説を思いつくに至りました。えっ、延期してなければPhase2が発売していたような時期に!? 悠長だな……。本来ならこうだったさ。思いついた時にはもう、発売している。

 

そもそも、駒とは何か?

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なく頃にシリーズの前作「うみねこのなく頃に」と同様、キコニアの作中でも頻出するワード、“駒”。あまりにも自然に飛び出してくるので「そういうもの」として受け取ってしまう危険性があるのですが、少なくともキコニアPhase1において、この駒という概念が定義されたことはありません

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うみねこでは「下位世界にいる人物」が自動的に駒であったため、わざわざ赤で宣言するまでもなく駒の定義は自明でした。ところが、キコニアでは藤治郎の元嫁という「駒でなくなっている人物」が存在する上に、うみねこのようなメタと下位の分かりやすい境界線が引かれていません。そう、我々はまず、駒と、駒でない人物を区分するところから始めないといけないのです。キコニアに比べると今ではうみねこが物凄く親切な作品であったかのようにさえ思えます。

とはいえ、巨大サーバーへの移住や脳髄ぶっこ抜き工場後の<天国>が実現すればメタと下位の線引きまでは可能なのも事実です。うみねこ的なゲーム盤構造を援用するならば、サーバー内の住民が駒、サーバーの管理者がGMであり、サーバーを取り囲んで何かのゲームを企画すればサーバーを取り囲む第三者はプレイヤーになるでしょう。この想定で言えば、駒であるかないかの違いは肉体の有無ということになります。脳髄をぶっこ抜かれた者は最早駒でしかなく、肉体を存続させている何者かに延々玩具にされ続けるわけです。当初は僕もこうした想定でいました。

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ですが、その考えは登場人物達の駒としての苦しみに寄り添えてないと言わざるを得ません。過熱する世論の見世物にされていた子供達、クリスマスパーティで引き起こされた惨劇、はたまた藤治郎が報道将校として感じていた駒としての苦悩に共通するものは、自分の意志に反した行動を取らされることへの無力感でした。巨大サーバーへの移住や脳髄ぶっこ抜き工場後の<天国>はまさにそういった無力感からの解放として夢想されているものであり、言ってしまえば駒の立場から逃避できるからこそ魅力的なものとして、時折都雄達を誘惑してきたわけです。ここに、うみねことキコニアの間で、”駒”という概念へのねじれが生じます。うみねこ式ゲーム盤を想定すると肉体を捨てたら駒になってしまうのに、キコニアの人物達に寄り添うと肉体を捨てれば駒を脱却できる(ように錯覚する)わけです。以上のことから、うみねこ的なゲーム盤構造でキコニアの駒を規定することは出来ないと考えた方が良さそうです。

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ですが、同じ”駒”という概念を扱った前作として、うみねこが何一つ考察の役に立たないわけではありません。構造こそキコニアとは似て非なるものと断じざるを得ませんが、駒に与えられる制限は、うみねこもキコニアと同様と考えて良いでしょう。うみねこの駒はGMやプレイヤーが望みさえすれば盤上で与えられた役割の範囲内でなら当人の行動様式に反する行動をさせられるものでした。であればこそ本来なら倫理的に躊躇する大量殺人にも加担し、人の命を弄ぶかのようなグロテスクな死に様をも彩ってもいたわけです。手を汚すことへの葛藤が一切描かれなかっただけで

うみねことキコニアの”駒”の共通点はここに見出だせるのではないかと考えます。即ち、自分の意志に反した行動をさせられてしまう存在=駒であると。ああ、いえ、”意志”ではやむを得ない決定もまたその範疇に含まれる表現になってしまうので、より正確を期すならばこう改めるべきでしょうか。自分の感情にそぐわない行動をさせられてしまう存在こそが駒である、と。

 

脳髄不要論 ~地下研究所の実態~

駒が上記のように定義できたということは、裏を返せば自分の感情の赴くままに行動できる人物は駒ではないとも言えます。それを踏まえた上で、駒でないことが明言されている「藤治郎の元嫁」として最有力であるフィーア・ドライツィヒと、彼女が所属する地下研究所(聖櫃騎士団)を考察すると、かなりおぞましい実態が見えてきます*1

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象徴的なのが当初は三人の王のスパイとして送り込まれた博士でしょう。頭部が水平に切り取られた、異形の存在へと成り果てています。どうやって生命活動を維持しているかはさて置き、彼の脳は抜き取られたか、切り取られたかされているわけです。彼を“駒”でなくするために

脳髄ぶっこ抜き工場の描写で肉体が廃棄される描写があったため、A3Wには脳だけを生かす技術がおそらくあるのでしょう。ですが、だったらその全く逆があってもいいのでは? 即ち、脳を捨てて肉体だけの状態で生き永らえさせる技術。言わば、肉体不要論ならぬ、脳髄不要論――。この技術により研究所で活動している面々は脳味噌という理性のブレーキを捨て去り、ただ本能だけで叡智の翻訳をしていると考えられます。そしてそれは、己の感情を否定しながら行動しなければいけない駒という立場からは、確かに一線を画した存在でもあるのです。

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無論、フィーアがマリオを指して語るとおり、もはやそんな存在を人間とは呼べないでしょう*2。人類最高の頭脳であった彼女らは、もはや頭脳を、そして思考を放棄した存在でしかありません。フィーア達のやり方を取るならば、駒を辞めることは人間を辞めることと同義なのです。

フィーア達は物理的に脳を切除するという極端な手段で駒からの脱却を達成しましたが、問題の本質は脳の有無ではなく思考を放棄しているかどうかです。むしろ、フィーア達の場合は世界最高峰の頭脳であったが故に思考を放棄することが難しく、脳の切除という大胆極まりない手段に出た可能性すらあります。

青都雄が都雄にそうさせようと目論んでいるように、思考を辞めた時、その人物は駒と人間を同時に辞めることになります。ただの人間ならばそれで済むのですが、ガントレットナイトが自分の頭で考えるのを辞めてしまった場合、もう1つ特殊な現象が起こると考えられます。

 

思考を放棄したガントレットナイトが、黄金ガントレットを扱える

前回のアイシャをスパイと割り出した記事にて、ガントレットが国家に管理されているから都雄達が身動きできないが、黄金ガントレットのようにその限りでないガントレットもある……という事実を根拠に、都雄達が独立国を作っていくことになるだろうという旨の主張をしました。この「国家に管理されていない」というのは、言い方を変えれば駒ではないとも表現できます。国家に感情を抑圧されずにガントレットの能力を自由に使える……本記事の駒の定義とも重なる部分です。

ですが、ここまで議論してきたように、駒を辞めるということは感情に身を任せて思考を放棄するということでもあります。つまり、思考を放棄してしまったガントレットナイトだけが使えるのが黄金ガントレットである……そんな呪われた装備のような想定も可能になってくるわけです*3。そして、現に、作中で登場した黄金ガントレットの使い手は、思考の放棄をしているかまではともかく、感情に支配された人物ばかりでした。

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激情に駆られて我を忘れてしまった鈴姫。

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盲目的な恋心ゆえに暴走してしまったと思しきジェイデン。

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そして都雄を止めるという使命感から自らを「プログラム」とさえ言い放つ青都雄です。

特に青都雄の場合は思考を放棄しているとは言い難い面もあるため、この説が微妙に通らないところもあると思うのですが、彼(?)の目的は都雄の思考を放棄させようとしている(=駒から脱却させようとしている)ことにあり、動機と行動が綺麗に一致します。もっと言えば、青都雄とケロポヨ達の奥様=都雄の母親=マザーコンピューターは反目する関係にあり、都雄の母親は都雄を駒にするために生んだと発言してもいます。この二者の対立関係的にも、青都雄が駒を辞めた状態にあるという本記事の説は、かなり収まりが良いのです。

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Phase1を通して、駒という存在にはネガティブな描写がされ続けてきましたが、駒が自分の感情を押し殺して行動できるのは、きちんと脳と理性を駆使して感情を制御しているからです*4。駒を辞めようと思えばそれは思考の放棄に陥り、そしておそらくは現実に、Phase2で鈴姫やジェイデンがその落とし穴にハマってしまうことになるのではないかと思われます。

以上のことから、キコニアのなく頃には、駒であることを否定するのではなく、駒であることを受け入れた上で思考の限りを尽くして戦い抜く物語になっていくではないかと思われます。思考を辞めたら、その時点で人間ではなく、ノミと同類なのですから。

人間讃歌は思考の讃歌ッ!! 人間の素晴らしさは思考の素晴らしさッ!!

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*1:藤治郎の元嫁=フィーア自体ミスリード臭くはあるのですが、フィーアの関係者(クローンとか)には違いないでしょうし、藤治郎の元嫁であるか如何に関わらずフィーアが駒を辞めている可能性は高いと考えています。

*2:フィーアの初登場時、研究所が「人ならざる者の世界」と表現されてもいます。

*3:敢えて言及する必要もないとは思いますが、黄金ガントレットを装着した少女達と地下研究所には密接な関係があるはずです。

*4:うみねこの駒はこの点が異なりますが、少なくともキコニアの駒はそうです。