矛盾ケヴァット

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途切れても続く物語 ~BanG Dream! It's MyGO!!!!! 11話感想~

共感と産声の涙

10話の詩超絆にて遂に想いを一つに……は出来てないにしても、共感の涙を流し合うことはできた高松燈たち。このブログはちょくちょく誤答をやらかしてますし、音楽が声にならない想いを届けた物語を言葉にするのも野暮だと思って、代わりに26000字のバンドリ新規向けガイド記事を書く狂気に及んだわけなのですが、今回冒頭のやり取りにてその涙の意味がきちんと語られて、こちらとしても安心しました。

そよも愛音も、そして最初に泣いた立希ですら、自分が泣いた理由を口々に「分からない」と零しますが、最後の最後に泣いた燈だけはその言葉が出さなかったのが一つの答えだったと思います(そもそも泣いてない楽奈は数えないものとして)。詩超絆の歌詞が語る通り、燈がこの詩(うた)を通して伝えたかった想いは、一緒に泣きたいし一緒に笑いたいその気持ちがそよにも皆にも届いてほしい。その燈の言葉と想いを最初に受け止めた立希が共感して泣き、その立希の涙に共感した愛音が次に泣き、立て続けにそよの目にも涙が浮かびます。

ただ、そよの涙に限ればまだ2人に共感したわけではなく、立希と愛音の間に挟まれる立ち位置のそよが雰囲気に流されただけという感じでした。ただ、そこから紡がれる燈の言葉が怒涛のように押し寄せ続けることで、既にヒビが入っていた涙腺のダムは決壊し、燈の気持ちに心の底から共感した涙が滂沱のように流れ出すに至りました。それは自分の中には本来無かった、けれども寄り添える気持ちではあったからこそ、呼び覚まされた無自覚な感情でした。

同時に、ずっと離婚や引っ越しなど大人の都合に振り回されて自分を心の声を押し殺していた少女が、ようやく上げられた産声でもあります。子供になれなかったママは、ライブハウスに聴衆として現れることで……おそらくは祥子がしたのと同じように途中で逃げ出す算段で「終わらせに来た」はずなのですが、高松燈がモーセのように人の海を帝王切開することでその計画は破綻します。10話は大変感動的な内容でもあるのですが、この回を最初に観た瞬間の率直な感想としては、「泣ける!」よりもカタルシスやっべ!!」の方が適切でした。ただ、長崎そよからすればようやく誕生して酸素を吸えたに等しい境遇だったのですから、誕生の喜びを感じてドーパミンを大量放出するのも、視聴者サイドからすれば一種の共感の在り方なのではないかと思います。僕としても、10話を3周目ぐらいした辺りからようやく、快感よりも嬉し涙の方が出てくるようになりました。

なお、11話冒頭では、詩超絆のパフォーマンスを追えた後の観客の拍手がまばらだったのが大変示唆的でした。それこそポピパさんなどは3期最終話で武道館でライブした際に、会場全体で「ポピパ!ピポパ!ポピパパピポパ~!」を叫ぶくらいの一体感に包まれていただけに、10話のあの詩超絆のパフォーマンス後に対するリアクションとしてはあまりに薄すぎるようにすら感じてしまいます。ただ、それこそがMyGO!!!!!のテーマを際立たせていました。このライブを目撃する観客の中には、泣きじゃくりすぎて拍手どころではない者、またその勇姿に感嘆して素直に拍手する者、そして何が起きたか分からず一切共感できてない者など、受け止め方はあまりにも多種多様でしたが、それでいいのです。そもそも、バンドの中ですら要楽奈という全く燈の歌詞に共感していない奴がいるのですから。

すなわち、このライブで起きた出来事に、共感しすぎた者と共感できなかった者は拍手ができなかったのです。そして、半端に共感した者だけが拍手をした。それがあのまばらな拍手の正体でした。その点では初見では興奮の気持ちが強く、3周目くらいでようやく涙できた僕は、このライブを目撃したならば迷わず拍手をした立場の半端な共感者です。ただ、根っこから共感できた者は、おそらく拍手ができなかったでしょう。拍手が全ての誉れではない。むしろ拍手されないことさえ時に誉れという、演者と観客の在り方の難しさを巧みに表現したライブ後の光景になっていました。

 

胡蝶の夢を撃ち抜くために

10話の感想記事をやらなかったために補足的に拾い上げた部分はここまでになりますが、客席からそよを引き上げてゴールラインに立たせたにもかかわらず、この物語はまだ3話残っています。「燈ちゃんの歌詞、前から苦手だったんだ」がまだ残っていることからも(11話でもまだ回収されなかったよ!?)*1ゴールラインを割ってもまだ転がり続けるボールの行方は分かりません。ふざけたロスタイムですねぇ!

さて、これまでダンゴムシのように1人で丸まる姿というのは得てしてCiRCLINGのなり損ねとして描かれてきました。11話の授業中に居眠りする高松燈の姿は6話の椎名立希とほぼ同じ姿勢。これだけならまたダンゴムシかと思うところなのですが、この授業中に講釈されているのは荘子胡蝶の夢。つまりは、詩超絆で一つ殻を破ったダンゴムシは、今や夢見る胡蝶になっています。現実と仮想が同期するバンドらしいですし、後のMyGO!!!!!が撃ち抜くべき夢(BanG Dream!)は荘子のそれなのでしょうか。夢なのか現実なのか、その境界線が混濁してくる感じの……。

そよりんも辞めんなよ~!」

いや、マジでそうかもしれません。愛音がそよさん呼びを辞めて「そよりん」呼びし始めた瞬間、流石に心臓飛び出すかと思いました。しかもその後は燈と愛音の間の呼称が「ともりん」「あのちゃん」に変わってる始末……。こ、こんなMyGO!!!!!知らない……!! 知ってる女たちが、全く知らない女のように振る舞っている……!!

YouTubeにアップされているMyGO!!!!!メンバーの日常や迷子集会は、これまでIt's MyGO!!!!!の物語を経て結成した後のMyGO!!!!!の姿が描かれていると思い込まされていたのですが、よくよく考えるとそんなことを公式がアナウンスしたことは一度もありません。我々が「まあ結局はここに着地するんだしな~」と高を括っていたのを嘲笑うかのように、ここに来てMyGO!!!!!チャンネル自体が胡蝶の夢の如き幻想だった可能性が出てきました。そ、そんな……!! 甘々ママの長崎そよや、立希ちゃんにチョコを貰って顔が綻ぶ燈も全て大嘘かもしれないってこと!?

実際今回のそよは子供らしい拗ねた態度を繰り出しつつチクチクお小言で刺してくる意地悪カーチャンみたいになっており、詩超絆で解き放たれた姿がこれだとすると、元の甘々ママに戻るのは困難に思えます。あったかもしれない未来のこと、なかったかもしれない過去のこと。RASに入ったかもしれない未来、ポピパと出会わなかったかもしれない過去に思いを馳せた花園たえの歌詞がReturnsでは歌われますが、こちらは結局どちらも存在しない仮想の話でしかありません。結局花園たえはその幻影を捨て去って、今自分の近くに存在しているポピパの元へと回帰します。11話でも印象的に登場した花園たえは、過去と未来の仮想を捨て去って今ある現実を掴み取ったMyGO!!!!!のコンセプトのアンチテーゼにあたる存在です。MyGO!!!!!において、仮想と現実はシンクロするものなので……。

だったら答えは簡単です。11話のMyGO!!!!!と、YouTubeチャンネルのMyGO!!!!!、どちらも正しく、どちらも不完全ということです。It's MyGO!!!!!が過去で、MyGO!!!!!チャンネルが未来というような、直線上の関係と見做すのがそもそも間違いで、正しくはIt's MyGO!!!!!とMyGO!!!!!チャンネルの姿が最終的に同期し混在することでようやく完成に至る、お互い不完全でパラレルな関係にあるのではないかと思います。これなどは、先に書いた新規向け記事で特に白鷺千聖を通して語った他者イメージと本来の自己の合一に近いものを感じます。他方、これまでのバンドリやガルパと違うのは、そのキャラクターに手前勝手なイメージを抱く“他者”が我々視聴者だということ。そしてその結果キャラクターの二極化した個性が混ざり合いきれずに共存するというのも、やはり当ブログで考察したバンドリ性と反バンドリ性の太極図の表れなのでもあるかなと感じます。

そして、羽丘での国語の授業のシーンで、後半の題材になったのは清少納言枕草子春はあけぼのというあまりにも有名な一節を教師が読み聞かせていますが、ともりんもあのちゃんももう夏服です。だったらもう、暁を覚えずにいられる季節は、終わりを迎えようとしています。胡蝶の夢からはもう、覚めなければいけない。この漢詩において荘周は、夢から覚めたことで自分が人間だか蝶だか分からなくなったのですから、そろそろ人間である自己と虫である自己を統合する時です。そしてまた荘周は、今まだ微睡む高松燈のように、夢から覚めるまでは自分が虫であることを疑ってもいませんでした。

 

Ave Mujica胎動編

ちなみに枕草子における夏は夜。その後は月のころはさらなりと続きます。夢から覚めた高松燈は、夏の暑さの中で三日月状の歯車のエンブレムを抱いたバンドと顔を突き合わせなければならないのかもしれません。つまりはAve Mujicaと。

MyGO!!!!!がようやく打ち解けていく一方で、何か初華と海鈴が一緒に練習の約束してるなど、あからさますぎる胎動を感じさせてきていました。まあ柿本広大監督の2クールアニメなら前半が胎動編で後半が波瀾編だと相場が決まっているわけなのですし*2、分割2クールの後半で波瀾を巻き起こす準備は順調で安心するところでもあります。8話で祥子から懇願されたのがバンドメンバーの結集だとするなら初華の方から海鈴に声をかけたのだとは思いますが、バンド経験者を集めたいのならば立希に声を掛けなかったのは何かしらの配慮を感じさせます。まあでも、初華が「椎名さんはどう?」と聞いても海鈴ならこう答えるかもしれません。「立希さんには“元鞘”がありますので」*3

ところで衝撃的だったのはにゃむちでした。5話以来久々の登場をしたかと思えば、何とこれからドラムを始める初心者だったことが判明。0thライブではあんなゴリッゴリのドラムプレイしてたのに!? そしてそれ以上に、バンドの中で唯一の初心者というかつての今井リサのポジションにすっぽり収まってきたことも驚愕でした。いや、初心者連れてきて大丈夫なんでしょうか。このバンド、メンバーが7弦ギター使い×2とか5弦ベース使いとかキーボードとオルガンの同時弾きとかの魑魅魍魎しかいないんですけど……。

ところで祐天寺にゃむについてはこれまで椎名立希の姉(椎名マキ)ではないかと憶測を立てていたのですが、扉の意匠の違いからその説は完全消滅しました。そもそも9話の扉のネームプレートから、吹奏楽部出身でもパーカッションではなくトランペッターなのが濃厚になっており、この時点でだいぶ怪しかったのも事実。それでも妹の立希ちゃんがドラム頑張ってるなら私も!みたいなねっとりした姉の線は捨てきれていなかったのですが、建築的な矛盾からこの線はもう考えられなくなったと言わざるを得ません。

結局にゃむちはドラムに関しては流石に初心者っぽいのですが、音楽初心者かどうかはまだ疑いの余地があります。CRYCHICの場合、基本的には祥子の周辺人物を巻き込んで結成されたわけですが、立希だけは椎名マキのツテを頼ったという経緯があります。立希に限り祥子が知り合うにはかなり距離があったという点は、今現在誰の関係者かも分からない祐天寺にゃむと、状況を一にしているように思います。となれば、祐天寺にゃむも椎名マキの関係者である可能性は捨てなくてもいいのかもしれません。例えば、月ノ森吹奏楽部OGで椎名マキと同級生のパーカッションだったとかなら、ドラムを始める流れとしては自然かなと。

もう一つ別の説も考えつきます。こちらの説の場合は既に関係者だった方向性になるのですが、美容動画の配信者ならば、やはり美容系の仕事が本職と見るのが自然かとは思います。そうなると考えたくなってくるのは三角初華のメイク担当という線。つまりはsumimiのメイク担当ということになるのですが……これが現実化するとあまりに最悪の物語が想定されます。純田まなからすると、相方とスタッフが共に裏切って自分のもとを去って行くことになるわけですから……。私、いらないんでしょ?

 

 吾輩は猫である。居場所はもうない ~要楽奈~

というわけで大方の予想通り、楽奈のお婆ちゃんは都築詩船でした。いやまあ熟練のギタリストの愛機が一つでないことくらいは理解していたのですが、1期で演奏用に愛用していた、いわゆる相棒ではないギターを受け継いだ理由については何か理由付けがほしいとも思っていました。幸いにも、放送後に監督から大変微笑ましいエピソードも語られ、その辺りは万全にケアされました。立希にライブをねだる様子があったことからも、幼き日の楽奈が家でギターを弾くお婆ちゃんに「ねーねーもう1回弾いて」と何度もおねだりした、そんな情景さえ思い浮かびます。きっとお婆ちゃんは目尻を垂れ下げて、そのアンコールに何度も応え続けたことでしょう。そんな孫への溺愛が詰まったギターを、楽奈は確かに継承――いやぶんどったんじゃねぇかお前。まあお婆ちゃんは大事にするんだよとか笑って済ませてそうですけど。

8話の記事でも少し考察しましたが、やはり楽奈は燈の「一生」の部分に最も共鳴していました。永遠にあると思っていたSPACEという居場所が、無くなってしまった過去。真次凛々子が立派にRiNGを切り盛りできているので彼女に継がせてSPACE自体を続ける選択肢もあったはずなのですが、やりきったからにはそれ以上続けないというのはおそらく都築詩船なりの美学なのでしょう。一生バンドしたいと語る燈やCRYCHICを再演したかったそよとは対立する考えですし、また現在ガルパで展開しているAfterglowの物語などはこの都築詩船に近い燃え尽きによる終わりを目指そうとしています。「終わり」に対する考え方は、今後のバンドリにおいて貫かれるテーマになってきています。

ところで、駐車場にするくらいなら建物自体取り壊して収容台数増やさん?とは思うのですが、ツタが生い茂っても取り壊していないのは、もしかすると「壊さないで」という孫のワガママに応えたからかもしれません。ただ、やはりお婆ちゃんはこの建物自体にもはや未練が無いのか、店舗募集の貼り紙がされていることも気になります。もしどこかの金持ちが手を挙げれば、このSPACEの残骸すらも別のものへと様変わりしてしまう運命にあります。それこそ、Ave Mujicaの根城になるとかで。楽奈が春日影をそうしたように、祥子がSPACEを再生産することでその意趣返しが起きれば非常に熱いバトルアニメになるなとも思いますし、本気でその路線は期待してしまうところです。俺達は、女と女が感情を剥き出しにする復讐バトルアニメが観たい!!

ここまでずっとエキセントリックな行動で振り回し続けていた野良猫も、何だかんだ言って、過去に囚われていた女、の子でした。なので現状、春日影勝手にやられたり衣装真っ二つにされたりと散々振り回されているものの、そよりんとは好相性なキャラクターに映るところ。YouTubeの方では一番楽奈と絡み多いですしね。ただ、ショートアニメやWebラジオでの姿と違い、甘やかすのは散々お婆ちゃんがやってきました。なので胡蝶の夢を合一させた後のそよママに求められるのは、猫可愛がりする甘々ママなどではなく優しいお小言をくれる教育ママなのではないかと思います。現状その務めを果たしているのは立希には見えますが。

無惨にも真っ二つになった布は今後きちんとそよの衣装になりますし、もう半分は責任を取って楽奈の衣装にもなるようです(だいぶアレンジ入るようですけど)。ここで責任を取らせる辺りにお婆ちゃんが放棄してきた楽奈の躾の第一歩を見て取れます(頑張れ教育ママ!)。そして元々は愛音や楽奈を捨て石にするつもりだったことを思えば、布の半分すらも捨てずに使おうとするのは長崎そよの大きな進歩……いやもうライブ当日だししょうがなく使うだけか

 

捨てられない少女が捨て去るべきもの

そしてまた、この捨てないが今回のキーワードだったように感じています。5話でともりんから貰ったあのグチャグチャのアンケートの裏紙を、あのちゃんは捨てずに大事に引き出しに保管してくれていました。楽奈もそのヴィンテージのギターを大切に使い続けているわけですし、また同時に現状詩船お婆ちゃんはSPACEの建物を取り壊さずに残してくれています。そもそもにして、8話の自室の様子からも燈は拾った石などを整理整頓して大切に保管している、捨てることを考えられないキャラクターです。

その点において、前に進もうという想いがあったにせよ、燈が大切にしていたそよとの約束を捨てようとしていた立希は、やはり燈の求めていたバンドの在り方とは少し距離があったのかなと思います。ただ、今回何だかんだで立希も愛音やそよに寄り添う姿勢を見せ、少しは燈本人以外にも、燈が大切にしている他人にも目線を向けられるようになりました。あとは、未だに面と向かって「愛音」呼びをしていないのを何とかしてほしいところですね。立希においてはそこが、YouTubeで描かれる胡蝶の夢と合一出来ていない最大のポイントです。

その一方で、捨てるべきものがあることも次回で描かれるようではあります。予告の映像にて、少なくともリハでは後生大事にされているあのア・テンポノートが、途中何があったのか本番ではステージに持ち込まれないという劇的なビフォーアフターを迎えています。確かに、あのノートはダンゴムシの殻の象徴。高松燈が自分の世界に篭る、防御的姿勢の権化でした。そんな彼女が次回では何より大切な拠り所を捨ててでもステージで剥き出しの自分を曝け出しているのならば、この「迷子のバンド」が新たな燈の殻に、安全地帯になった証拠かもしれません。そもそも、蝶って蛹の殻を捨てて飛び立つものですしね。

 

途切れても続く物語

さて、今回また新たに未知の新曲が生まれようとしています。確かに言うほどアニメ前から公開されていた既存曲を擦らないのはブシロードコンテンツの伝統。バンドリ1期でもSTAR BEAT!、D4DJでも気分上々↑↑カバーくらいなもので他は新曲ばかりのサプライズを仕掛けてきたのも事実ですが*4、それにしたって既存曲の絡む余地がゼロなのには驚きます。迷星叫や影色舞や音一会すらも、やはりやがて合一するべき胡蝶の夢なのでしょうか。

ところで難読っぷりに定評のあるMyGO!!!!!の曲名ですが、この「迷路日々」だけはその読み方が即座にピンと来ました。メロディーズでしょう(めいろ+デイズ)。なるほど、流石に迷子集会でガールズラジオデイズのリスペクトをやっているコンテンツだけあって、日々=デイズへのこだわりが感じられます*5。同時に、この曲名が複数形を取っていることに大きな意味を感じられました。ぶっちゃけ、迷路日(メロディー)であってもMyGO!!!!!らしい曲名だと受け止められたと思います。けれども、11話においてはMyGO!!!!!の音楽が単一であってはならないことが確かに描かれもいました。MyGO!!!!!における音楽はとてもじゃないですが1曲では頼りないのです。だって、すぐぶつ切りになるので

この11話では、繰り返しBGMがぶつ切りになる演出が用いられていました。そよが入室した時、立希・愛音・楽奈が退室してそよと燈が2人きりになった時、立希が凛々子から週末ライブの予約があると聞かされた時、にゃむち動画の誘惑を振り切って愛音がファッション誌に向き合った時、「衣装手伝って~!」と愛音が情けないSOSを出した時、そしてそよが真っ二つにされた自身の衣装を見つけた時……。

得てしてこの演出はそれまでの勢いをズッコケさせるボケとしてコミカルに用いられていたわけですが、同時に音が途切れることすら武器にするMyGO!!!!!の強さを表してもいました。普通、バンドが音を途切れさせたのならバンド失格の烙印を押されるものですが(7話のライブ冒頭はまさにそれでした)、ポエトリーリーディングを用いる詩超絆や潜在表明に代表されるように、MyGO!!!!!に限っては音楽が途切れても感情が途切れることはないのです。そしてCRYCHICの終焉や愛音の留学失敗から始まり、9話で一度完全に終わりかけたように、MyGO!!!!!の道のりも途切れ途切れになりながら続いてきた物語です。MyGO!!!!!のビジュアルにはよく信号とともに横断歩道が使用されるのですが、これもまさしく白線が途切れ途切れになっていても皆が道として認めているものです。白線が一つ=迷路日(メロディー)だったなら、それはただの停止線。止まることを強要するものにしかなりません。進むべき道になるためには、白線=メロディーは複数でなければならないのです。

また、迷路日々(メロディーズ)は、詩超絆とも綺麗に対比された曲名です。ことば=歌詞とメロディー=楽曲の価値をそれぞれ歌い上げていると受け止められるのもそうですし、10話がそうであったように詩超絆は一撃必殺。そのたった一度のパフォーマンスでそよの共感を呼び覚ましたのに対し、迷路日々は複数形を冠したその曲名からも積み重ねによるボディーブローのような攻撃を仕掛けてきているのをつぶさに感じられます。それが特に感じられるのが歌詞ノートにもある「ちいさな一瞬あつめたい」という一節。「ちいさな一瞬」自体がバンドリ12thライブのMyGO!!!!!のライブタイトルになっていることからもその重要度は折り紙付きなのですが、個人的にはその後のあつめたいの方に注目しました。

小さな偶然が、集まり育ったら、『奇跡』になる。ポピパさんが『キミに伝うメッセージ』およびそのイベント楽曲SAKURA MEMORIESで語ったことですし、それは同時期にアニメ2期で展開されていた運命と奇跡の対立の優れた補足にもなっていました。花園たえに対して絶対的な運命を握っていたはずのレイヤが、何故偶然の連続で結成されただけのポピパに敗れたのか。それは、ポピパの偶然の積み重ね(=奇跡)がレイヤの単一な運命を遥かに上回ったからです。そして偶然が積み重なって生まれる奇跡を歌ったSAKURA MEMORIESの曲名もやはり複数形です。ちいさな一瞬とは、MyGO!!!!!なりの偶然の翻案なのだと受け止めました。

 

最後になりますが、この11話で最もカッコいい姿を見せたのは真次凛々子だったと思っています。恥をかくことを恐れる立希に、「そんなの自分次第だよ~」と大人の目線から挑戦できる子供の強さを優しく語りかけてくれました。いずれ対立するAve Mujicaが仮面でその顔を隠す、恥を恐れる姿になるわけですから、恥を晒せる強さを尊重してくれる真次凛々子は、本当に頼りがいのある大人として映りました。

やってみなくちゃ分からない!分からなかったらやってみよう!という青木陽菜さんの座右の銘ともなったその言葉は、今やキャラクターを替えて椎名立希に、そしてMyGO!!!!!全体に受け継がれています。

*1:なお、9話の記事では愛音のセリフかと考察しましたが、その後再度1話から見返して、やはりそよのセリフと考えを改めています。ここに訂正しておきます。

*2:刀使ノ巫女も名作なので是非観て下さい。

*3:10話で燈の顔に気付いていたことから、初華としては立希が祥子と昔バンドを組んでいたことはずっと知っていたとは思います。

*4:この点、アルゴナビスはかなり既存曲を多分にリソースとして活用していた作風だったと思います。

*5:敢えて多くは語りません。とりあえず、チーム岡崎の2nd第1回を聴いて頂ければ、このコンテンツが如何に尖ったことをやろうとしていたかが理解頂けるはずです。僕も本当に大好きな作品です。