矛盾ケヴァット

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心の壁が出来たからこそ ~BanG Dream! It's MyGO!!!!! 9話感想~

お世話を焼きたいママ ~長崎そよ~

9話の開幕は、遂に長崎そよのバックボーンが語られるところから始まりました。タワマン上層住まいなこと、家庭が一度壊れていること、夜の街を出歩き放題なこれまでの情報から、親の再婚があって母親が玉の輿に乗ったけど娘を構えていない家庭かなあと予想していましたが、蓋を開ければ玉の輿どころかバリキャリなママが離婚後に一代で財を築き上げたという想像だにしないパワフルさで仰天する他ありませんでした。一代どころか、そよの姓が一ノ瀬から変わったのも小5の頃で、転居の際にどの中学に入るかを相談していることから、この間僅か2年弱です。成り上がりのスピードが異常すぎない!?

まあ2年後のそよの胸の豊かさを思えば財力もそれくらい豊かになるかと納得してしまいました。結局のところ、そよは母の勧めもあって月ノ森に進学。その後は友人に懇願されて吹奏楽部に入部。そして祥子に勧誘されてCRYCHICを結成と、このママの人生は全て他人に流されて決まっています。特に月ノ森に進路を決めた経緯はそよママのママ(紛らわしい!)が月ノ森ブランドに娘を染めたいまるで自分の意志がないような戦慄を覚えてしまいますが、よく見るとそよはそよなりの理念を持っています。そよママのママや同級生から甘えられると満更でもない表情を浮かべていますし、祥子たちがカラオケボックスで戸惑うやニコニコと助け舟を出しに行きます。なるほど、他人のお世話をするのが大好きという、山吹沙綾や今井リサによく似たパーソナリティが見て取れます。

そもそも、そよの母が本当に裸一貫からここまでのサクセスを手にしたとは考えづらく、聖翔の学年主任をするなど離婚前からある程度稼いでいたと考える方が自然ではあります。となれば……それを損なって余りあるほどに、父である一ノ瀬くんが常軌を逸したダメ人間で、借金すら抱えていたような境遇だったのではないでしょうか。長崎そよ、親ガチャの大当たりと大外れを同時に引いています。そよママのママからすれば、足を引っ張りまくるダメ夫を切り捨てることは1人の女性として生きるには絶対に必要だったのでしょうが、おそらくそよにとってはそのダメ人間なパパが必要でした。お寝坊してよ! また私に、お世話焼かせてよ!! 世話焼き女房として相手に依存することで自分の価値を感じられるそよにとって、両親の離婚はその依存先を失う出来事だったのではないかと思います。ママも帰ってきてくれれば甘えてくれますが、やはりいつもは家にいてくれない吹奏楽部でも頼りにされてはいますが、おそらく事前知識もなく周囲に頼まれて引き受けたであろうコントラバスは、部に1人いるかいないかの孤独なパート。そんな空虚な中学時代を過ごしていたそよに依存先をくれたのが、カラオケボックスで珍道中を繰り広げるくらいには常に世話焼きできるポンコツ集団のCRYCHICでした。

付け加えて言えば、そよの母もちょっと依存的な傾向があります。仕事に疲れて娘のそよに甘える様子もまさにそれなのですが、根本的に2年で一財を築ける才覚を持ちながらダメ男に絆されて10年以上もボロアパート暮らしに甘んじた時点で、ちょっとこう、だめんずうぉ~か~(死語)の匂いがプンプン漂ってきます。一ノ瀬くんは間違いなくどうしようもないダメ人間だったのでしょうが、そよママのママにとっては捨て去る決断がなかなかできない人だったのでしょう。この諦めの悪さと依存性が、CRYCHICを捨て去れなかったそよに、見事に遺伝しています。尤も、母は離婚によってきちんと依存を断ち切れたので、この娘にも同じことが出来ないわけはないのですが、どれだけ孤独に懊悩し続けたのか、弄られ続けたその爪はガジガジになってしまっていました。



電車の壁とドラムの壁

そういえば今回、立希に遂に進展がありました。これまでずっと乗り越えきれなかった歩道橋。その下で車がすれ違い続ける中、その対向車線を飛び越えて、遂に燈の家のある向こう岸に……。

到達できてねーーー!!

かなり長めの溜めまで貰ったのにこの体たらく。橋の上では確かに“向こう側”まで突っ切って見せましたが、その階段の下の“向こう岸”に降りるには結局至りませんでした。何というか自宅まで招かれた愛音との差が絶大すぎて涙すら出る思いがします。残り4話の内に、立希が燈の家に上がり込む送り狼になる日は本当に来るのでしょうか。立希さん、何ていうかこう……応援しています(八幡海鈴)。

向こう岸に渡れそうで渡れなかった立希の姿を描いたこのシーンから、物語は怒涛の展開を見せてきます。翌日、そよの姿を鬼子母神駅の向こう岸で見かけるも、そよは愛音と燈の存在を無視し、そよ側の電車がやって来たことで踏切という橋が閉まります。これまで幾度も関係者以外立入禁止を突破してきた愛音でも、これでは流石にお手上げ。けれどもそよの仄暗い想いを汲み取ってしまった燈は、電車が到着した後、遮断器が上がったタイミングで駆け出します。けれどもやはり間に合わず、電車のドアが閉まることで向こう岸に渡ったのに関係者としての資格を得られないという残酷な結末を迎えました。

極めつけはそのそよの電車の行く先でした。愛音と連絡を取り合っていた立希にとって、この早稲田駅花咲川女子学園の最寄り駅。立希にとっては本当に何気なく利用する駅でしたし、ふらっと吹部の連中とカラオケに行くことを決めたそよにとっては、普段降りない駅。そして、都電荒川線の終着駅でもありました。こうした小型の終着駅では、まず乗車していた客を全て下ろしてから、新たに利用する客を反対側から乗せるのが常。結局、立希は伝書鳩になってしまった愛音に踊らされることで、そよの存在に気付くことなくすれ違って乗車することになります。

ここで本当に舌を巻きました。戸山香澄がずっと通学に利用していたこのお馴染みの早稲田駅を、戸山香澄が花女の皆と繋がるために必要だった駅を使って、ただ終着駅というだけで人と人とが自然とすれ違うに足る場所としてそのギミックを見せつけてきたことに……。そして電車と言えば、Poppin'Partyの一つのゴールであるミライトレイン。絆の物語を紡いできたポピパの集大成とも言える楽曲なのですが、そのモチーフである電車を巧妙に利用して、長崎そよは人間関係をブロックするという離れ業を見せつけてきます。この女、SNSでは絶対ブロックせずミュートでやり過ごしてきたのに、何もかも吹っ切れるとバンドリの到達点を使った拒絶をやってきています。

そして実のところ、今回歩道橋を渡れなかった立希が、このそよと同じようなブロックをやってしまっています。海鈴が事情を察して離脱し、そして愛音もそよの本心を理解して逃げ出したRiNGの練習スタジオ。ただ1人燈に寄り添うように立希だけがこの場に残っているのですが、結局燈には寄り添えずにドラムセットによる心の壁を築いてしまっています。そよを見習わんで歩道橋越えた愛音を見習えや

まあ、何だかんだでそよに利用された被害者である愛音や楽奈への同情が垣間見えることからも、心の距離は確実に縮まってきています。そよとの口論の際には愛音を心配しながら「でもお前、愛音とは……」と初めて愛音呼びをしてみせました。立希さん、ちゃんと愛音を関係者として勘定し始めている……!! けれどもRiNGの練習スタジオでそよの真意を語る際には「お前も楽奈も要らないって……」と面と向かっては名前呼びできないようでした。お前そういうとこやぞと言いたくなる、距離感が近くなると他人に壁を作ってしまう自己防衛の精神が、ラストシーンのドラムに、よりにもよって燈に対するダンゴムシの殻として現れていたと言えます。愛音ともそよとも、あの日一生バンドをすると誓い合ったみんなとバンドをしたいという燈の想いは、結局立希にはブロックされて終わるものになりました。

ところで次回、放映前に実施されるバンドリ!TV LIVEは、高松燈役の羊宮妃那さん単独での生放送となるようです。9話で高松燈が再び孤独になったところで演者も孤独に生放送!ってコトですね! ブシロードに人の心は無いのかい?

 

そよと同じ穴のMujinaたち

結局CRYCHICの解散の理由は未だに謎のまま。そよの口からは「誰も、悪くないんだよ……」かと思えば「睦ちゃんのせいだよ、あの時も、今も」と驚きの二枚舌が繰り出されている今、本当に何が原因で誰の責任なのかは全く予想もつきません。ただ、後のMyGO!!!!!となるこの名も無きバンドがここまでバラバラになったのは圧倒的に長崎そよのせいです。ではあるのですが、困ったことに全ての責任を長崎そよに帰することも出来ないという複雑さが横たわってもいます。ぶっちゃけ、みんなのせいです。

「立希ちゃんは、燈ちゃんがいればそれで良いんでしょ」

長崎そよは確かにCRYCHICしか見ていませんでしたが、椎名立希はと言えば高松燈しか見ていなかった。みんなと過ごした過去か、燈と一緒の今かという意味では立希の方が前進的ではあるものの、燈1人しか見ていない視野は、そよのそれを下回る矮小さです。その痛いところを突かれて結局そよの逃げを許してしまい……いや立希さん? それ論破されたってよりただ惚れた弱み突かれただけだからね?

そよも立希も、言ってしまえば誰かとの関係を維持するための手段としてバンドを利用してきたという点で同じ穴のムジナと言えます。Mujinaと言えばAve Mujicaに関連するワードなのですが(こちらの記事で多少触れました。良ければ)、MyGO!!!!!もMyGO!!!!!で立派に同じ穴で主義主張も違う者が似た者同士と化しています。そして、その同じ穴の墓穴を掘るかのように立希が呼んだのが八幡海鈴でした。いやまあ確かに、そよみたいなちょっとヘラってる女よりも海鈴みたいな人格者がいてくれた方がバンドそのものは安定します。海鈴への信頼があったのは確かでしょうが、結局、燈との関係を維持するために他人を利用したという点で、そよに指摘された事実を更に拡大したに過ぎない振る舞いになってしまいました。

そして、そよとの同類性を最悪の形で突きつけられたのは愛音でした。元々、クラスで目立つためだけにマスコットキャラの燈を利用したのが愛音がバンドを始めた動機。立希の激情から、そよの邪悪な意図をその聡明な記憶力で察したものの、そこから湧き上がる感情は怒りなどではなく――「あぁ……」という溜め息が吐き出されるだけの共感でした。立希はそよの策謀を唾棄すべきものとして拒絶していますが、愛音はおそらく、私も同じことやってたな……と自省するものとして受け止めてしまいました。そこから湧き上がるのは、必然的に罪悪感。「燈ちゃんはそよさんと、CRYCHICやりなよ……」と突き放すように零してこの場を去りますが、この行動はそうすることで燈を利用していた自分の罪が晴れるという一方的な贖罪でもあります。ただ、それでいてこのシーンの愛音には意地の悪さが感じられもします。その前の「私、いらないんでしょ?」というセリフは元凶であるそよの罪を糾弾しているようでもあり、このままCRYCHICが続くならば全ての罪をそよに被せられることにもなります。この点、罪の意識を感じながらもその罪を被ることからは逃げる愛音の小賢しさが感じられるものでもありました。まあ尤も、原罪を全て背負うのは聖母ではなくその子供ではあるんですけどね……。

 

たった1人の関係者 ~若葉睦~

そういえばその聖母の息子というのは死んでから蘇るという逸話が残っているのですが、やはりキリスト教圏にない我々東洋人は少し受け入れがたいもの。とは言うものの、この記事を上げた今はまさにお盆であり、伝統的に死者の霊魂が現世にふらっと帰ってくる時期とされています。我、死を恐れるなかれ。その言葉を胸に演奏する後のモーティスは、きゅうりと縁の深いキャラクターです。度々きゅうりの苗に水やりをしていますし、今回遂にスマホのホーム画面がきゅうりであることまで判明しました

4話でも覆水“盆”に返らずをやっていましたが、盆のきゅうりと言えば早く現世に帰って来いというメッセージになる早馬の形の供物が有名。「死」を屋号にするモーティスらしく、きちんと死をモチーフにした野菜を愛好していると言えますし、同時に死んだ何かを早急に蘇らせようとしているのが伺えます。前回を思うと流石にそれがCRYCHICではないと思うのですが、他に思い当たるものは確かにあります。そう、例えば、メジャーデビューして殺された三角初華の音楽性とか(詳しくは後述します)。

一方、CRYCHICでは睦が極めて特異な立ち位置にあったことも今回まろび出てきました。愛音がドン引きしていましたが、CRYCHICの面々、バンドだというのに睦を除けばほぼお互いの家を知らなかったと言うのです。そ、そんな……!! ポピパさんは1期の時点で全員の家にお互い上がっていったよ!? 立希が燈の家に上がり込めていない「非関係者」であるように、CRYCHICは結局のところほとんど全員がお互いの関係者になれもしていなかったという頭の痛い現実がここに垣間見えてきます。その唯一の例外が、出会いの時点でお互いの家に上がり込めた燈と祥子だったのでしょう。

そして睦に限り、同じ月ノ森の範囲と言えど、祥子やそよの家を知っているようでした。そよが祥子の家を知らなかったにもかかわらず。CRYCHICの中で、睦だけが各メンバーの関係者になりに行こうとしていたのがここに来て伺え始めました。Ave Mujicaの0thライブで垣間見えたモーティスの行動理念は、色々な人と「お友達になる」でもありました。どこぞの竹下を擦ったようにも思えましたが、今思うと睦はバンドを通じて友達を作ろうとしたのが本来の意図だったようにも思えます。それはやはり関係維持のためのバンドという意味でそよと同じ穴のMujinaでもあったかもしれないのですが、そのそよに最も寄り添っているのが睦というのもまた事実ではあります。ただ、どいつもこいつもダンゴムシの殻に篭もりっぱなしで、自身の住所を教えすらしないのがCRYCHICの実状でした。

 

燈の歌詞が苦手だった人への変化球

この項は次回予告からの類推にはなるのですが、流石にこれを触れずにはいられませんでした。ボーカルは……星。本家アニメ3期でレイヤを覚醒させるに至ったセリフを思い起こさせるリフレインとして、高松燈と三角初華というボーカル2人がプラネタリウムで出会うという極上のシチュエーションを実現させています。ボロボロになったバンドを再生させるのは、やはり星の鼓動なのでしょうか。

映像版の予告としても、立希がブラックコーヒーを飲むというレイヤを彷彿とさせるシチュエーションがまた実現しています。ここで海鈴がマックスコーヒーを飲もうものなら、ベーシストとドラマーとしてレイヤとマスキングの反転が綺麗に実現されます。4話で立希は自らの意志でミルクチョコを飲んでもいるので、おそらく本来は甘党なのでしょう。この点も無理してブラックコーヒーを飲んでいるレイヤを継承する要素にもなっています。レイヤがRASのフロントマンだからという理由で無理して飲んでいるのと違って、立希さんはまだ名前すらついていないMyGO!!!!!のバックなんですけどね……。

ただ、問題の本質はプラネタリウムでもブラックコーヒーでもありません。公式サイトの予告文にもある通り、「詩(うた)って伝わる気がするよね」という言葉への絶対的な信頼が、この2人の歌える詩人の間で共有される物語になることが期待されるのですが、それをぶち壊しかねない「私ね、燈ちゃんの歌詞――前から苦手だったんだ」という一撃必殺のセリフが未だ残っていることが大問題です。どう考えても詩の在り方を問う次回でこの爆弾セリフが投下されるとしか思えません。1~3話の時点では、このセリフは長崎そよが発するのだろうなと思い込んでいました。ですが今なら分かります。このセリフ、おそらく愛音のものです。

今現在、分かってる範囲でとはいえ、燈の歌詞が楽曲になったのは、にんげんになりたいうた、春日影、碧天伴走の3つのみ。にんげんになりたいうたは旧CRYCHICの面々だけ(何なら祥子と燈の間だけ)の秘密として葬り去られたと考えられるので、愛音の立場からその存在を知れるのは春日影と碧天伴走の2曲のみでしょう。そしてこの2曲、どちらも刺す対象が明確なのです。春日影はCRYCHIC――と祥子は解釈しましたが、どう考えてもこれは豊川祥子という個人に対してです。そして碧天伴走はギターを始めたてながらも努力し続ける、千早愛音という個人に対して。普通に考えれば燈からダイレクトなエールソングを貰った愛音はそのことに誉れを感じるところなのですが……おそらく、愛音からすればこれは重すぎる。元よりsumimiのような売れ線狙いの空虚な希望を愛好していた人物ですし、そもそも留学で失敗した人間なので過度な期待を重荷として感じてしまう境遇にあります。頑張ってる、だから一緒に走ってほしい。そんな燈の真っ直ぐな想いは、真っ直ぐであるからこそ愛音に響かないものになっています。だって愛音は、その燈の真っ直ぐな気持ちを利用していた罪悪感に苛まれているのですから。

一方で、詩が真っ直ぐである必要はないのもまた事実。次回燈に何かしらの金言を授けるであろう三角初華は、己の意に反してHere, the worldのような虚無を歌い上げて世間を喜ばせている人物。しかしそれはメジャーレーベルの都合に合わせているだけで、本質は後のAve Mujicaで実現するDiggy-MO'みたいな攻撃的で変化球なリリックを書く生粋のアーティストです*1。現状、燈が投げているのは直球のみ。それどころか、春日影と碧天伴走という特定の誰かにぶっ刺すビーンボールしか投げていないに等しい状況にあります。だからこそ、必要なのは変化球。いま、愛音の脳天をめがけた球しか投げられないのなら、sumimiのような緩いスローカーブを投げるくらいが、愛音のストライクゾーンを突くには最適です。ただ、不器用極まりない燈がそんな器用な投球をできるとも思えません。

立希があいつはもうダメだと言うくらいにそよは終わっていますし、愛音はそのそよと同類であることを察して自ら身を引いていきました。立希も燈ももうガタガタ……となると、今現在幸福にもその事情を知らず、バンドを続ける気があるのは楽奈ただ1人。燈が初華との語らいを通じて星に手を伸ばすおもしれー女に戻るとすれば、楽奈がバンドをやらない理由はなくなります。そして、燈に変化球をくれる女としては最適のツーシーム投げ猫軟投派女の子。ちなみにこの記事を書いている最中に5thライブのアーカイブを観ているのですが、無路矢からのTime Lapseはとても意味深なセットリストに感じました。Time Lapseは、五人の物語を重ねる歌詞の曲。そして五人の物語が始まる狼煙になるのが無路矢だとすれば、このセトリはとても大きな意味を持ってきます。陽が落ちて歌声は、星となり……。ボーカルが紡ぐことばが星になることを祝福する曲へと、煙のように柔らかながら真っ直ぐな矢を放つ曲から繋がれるのは、今のMyGO!!!!!の物語における必然性を強く感じます。

ところで煙というのは空気の流れによって不規則に上がっていく性質を持っています。そして、無路矢の火種であろう焚音打の歌詞はそれぞれの拳の中に握るものは違ったっていいんだよと、その不規則性が歌われます。そういえば、GOって不規則動詞でもありますね。だったら燈の歌詞の行き着く先、もしかするとナックルなのではないでしょうか。真っ直ぐと全く同じフォームから拳の握りで投じられるその球は、どこに行くか分からない迷子のような軌道を描きます。そしてナックルボウラーにとっては、その迷子な球を受け止められる壁役である捕手の存在が、選手生命に直結します。そして今回、そよも立希も、そして愛音も心の壁を作ってバンドがバラバラになったのでした。

今回、8月初旬から掲出された広告のセリフが全て出揃いました。1人だけ前回に発した楽奈も含めて、この広告のセリフは全て心の壁を作った瞬間に漏れ出た言葉になっています。ただ、燈の投げる歌詞が受け止め困難なものだとすると、壁でいいのだと思います。もっと言えばそんな荒れ球ならリードする必要すらもない。高松燈のような不器用なナックルボーラーに寄り添う女房役の在り方としては鉄壁ぐらいが丁度いいのかもしれません。そして音ならば壁の向こうにも響くので。……だから立希さん? 燈のこと向こう岸に後逸しちゃダメだよ?

*1:この辺り、メジャーに個性と音楽性を殺された湊友希那の父の無念が踏襲されています。