孝行娘の親殺し ~若葉睦と長崎そよ~
前回で爆発して遂になりふり構わなくなってきたそよママ。4話では「誰も、悪くないんだよ……」としっとり語っていたはずのママでしたが、今回に至って「睦ちゃんのせいだよ、あの時も、今も」と急に睦に全ての責任を押し付け始めました。全てを優しく包み込むようなその愛情も、追い詰められて余裕を失うと我が子を自分のために利用するだけの毒牙に変わっていく……。
それにしても、そよの暴走に前回まで素っ気なく対応していたかに思えた睦が、ここに来てそよに一種の罪悪感や甲斐性のような感情を向けていることに驚きました。しかしながら、これを機に見返してみると、2話では祥子に対して「そよが心配してる」とそよに寄り添った発言をしていますし、6話では祥子をライブに誘うというそよの思惑に従った行動を取っていることも確認できました。あまりにもさり気なさすぎてスルーしがちではあるものの、よく出来た孝行娘としての行動を一貫して取っています。ずっと祥子への感情が激重なのかと思っていましたが、実のところそよを誰より労っていたという新たな若葉睦の行動理念が見えてきました。まあ、若葉睦さん。両親共に芸能活動で忙しそうだから、両親とのコミュニケーションは希薄そうだしね……。それでいてバレエやピアノと習い事で雁字搦めなので、確かにこの辺り、家では常に孤独なそよとのシンパシーを感じて然るべき共通点ではありました。そして、だからこそ楽奈や初華のような自由人に憧れるようになったのかもしれません。
そうは言っても「私はバンド、楽しいって思ったこと、一度もない」と言い放ってCRYCHIC解散の決定打を放ったのは若葉睦でした。今現在もやはりバンドを続ける意志がないことをそよに打ち明け――いや、そよお前そこ察せてなかったんかい――結局CRYCHICの再演がママの独りよがりであったと突きつけることになります。いやいや、察せてなかったどころか睦はきっぱりと1年前に意思表示していたわけなのですが、何でなのか、そよはと言えば「楽しかったあの頃の私たち」と自分の楽しさがCRYCHICの全員にも共有されていたものと、娘の発言も無視して勝手に思い込んでいました。冒頭でも立希に対して「(春日影)やらないって言ったじゃない!」と一度もされたことない発言を脳内で捏造していましたし、このママ、自分が正しいと思えば事実すらも捻じ曲げて解釈してしまうきらいがあります。恐ろしくもありますが、それでいてこのイカレっぷりは、インターネットの炎上騒動では時折見かけるリアルな光景でもあります。ちょくちょく先走った解釈をしては外しまくってるこのブログも戒めなければならないなと襟を正すところ。ああいや、外してると分かったら一応常々軌道修正はしているつもりなのですが*1。
祥子が2話で発言した「伝書鳩になってはいけませんわ」が、そよママを想う余り自意識を殺した親のメッセンジャーにはなるなという意図であったことも今回でくっきりと輪郭を帯びてきました。月ノ森でのそよの発言は特にゾッとします。「睦ちゃん、本当に思ったことそのまま言うよね。やってほしくないことばっかり。お願いしたことはやってくれないのに」……人間であるはずの睦を使えない道具扱いしているかのような糾弾であり、まだ生物扱いされているだけ伝書鳩の喩えの方がいくらかマシに思えます。睦のそよママからの扱いは、己の意のままに動いてくれる操り人形のよう。そよにとってそれは睦だけではなく、おそらくは祥子も愛音も、或いは燈や立希ですらそうであったかもしれません。けれども結局、その意図を愛する我が子たちは誰も汲み取ってくれることはなく、その糸は祥子からの鋭利な言葉の刃によって完全に断ち切られました。
ラストシーンでそよを見つめる睦の表情はやはり感情が読み取りづらく、その真意が何であるかは定かでないのですが、個人的には睦はこうなることを望んでいてようやく成就したように思いました。睦がAve Mujicaになった暁に背負う屋号はモーティス。他の誰よりも重い「死」を意味するラテン語です。我、死を恐るるなかれ。その決意を胸に演奏することになる彼女は、そよに利用されながらにして母殺しを達成してみせました。未練がましくCRYCHICに縋り付く生き恥晒した醜い果実、その亡霊を解き放つかのように。
CRYCHICが蘇らぬのなら――鳴くまで待とうとしたのが長崎そよ。殺してしまえと決断したのが若葉睦。そして、鳴らしてみせようとしたのが要楽奈ではないかと思います。春日影を鳴らしてみた楽奈と、そよ自身の一時的な死からの再生産を願った睦。2人のギタリストからその野望をBAN Dream!されて、ここに一度長崎そよという怨念は一度死に絶えることに……いや死んだかなあ?
*1:出来ていなかったらコメント欄なりでご指摘お願いします。何卒。