矛盾ケヴァット

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不完全な迷い星 ~BanG Dream! It's MyGO!!!!! 12話感想~

利用されるだけの駒 ~祐天寺にゃむ~

敢えてMyGO!!!!!の話は後回しにするとして、今回最大の衝撃を帯びていたのは遂に物語に本格参戦してきた祐天寺にゃむでした。ただ己の名声欲のためだけにバンドに参加するという、剥き出しのエゴで行動する小悪党。なお、当ブログで予想してきた立希の姉だとかsumimiのメイクさんだとかの想定は見事に空振りしましたが、一番期待していた紫煙を燻らせてくれそうなキャラクター性なので結果オーライと言ったところ。これこれ! こういうゲスい大人が見たかったんだよ!!

ただ、現状のにゃむは祥子に利用されるだけの駒でしかありません。祥子はにゃむちの動画に目をつけた理由を顔と数字と言い放ちますが、後に顔も名前も伏せるバンドになるのですから、結局は顔も数字も無意味です。最短でデビューすると豪語してにゃむを説き伏せるわけですが、その末に祐天寺にゃむの顔も名前も世間に轟くことはないでしょう。結局欲しかったのは、両利きでトリッキーな演奏ができる、その純粋な音楽性のみ。祐天寺にゃむの“人間性”は一切必要とされていないわけです。かつてRAISE A SUILENのチュチュが自分の手足代わりに音楽を奏でるメンバーを集めたのと同種のものを感じもしますが、チュチュはメンバーに今まで抑圧されていた欲望を音楽にぶつけることを要求してもいたものです。それを思うと、同じようにスカウティングをしていながらもにゃむの名声欲を覆面で押さえつけることになる豊川祥子は、チュチュとは正反対の抑圧側の存在ということになります。尤も、三角初華などはそれによって救われるようなので、キャラクターによりけりという面はあるようですが……。

ところで私欲のために他人を利用しようとした奴と言えば既に長崎そよが存在するわけですが、8話でそよの真意を易々と理解したのも、やはり同族の匂いを感じ取ったからなのかとも思います。にゃむとの交渉の際には親友の初華の名前を撒き餌にしてでもこの未完の天才ドラマーを獲得しようとしたわけですから、悪辣さと強かさにおいては長崎そよの遥か上を行っています。

また、7話の記事では初華の才能に全面的に寄りかかったように考察してしまいましたが、にゃむの両利きという才能を見抜いた描写から、その可能性は無いと考えを改めました。明らかに豊川祥子も、椎名立希が劣等感を覚えるのも無理ないほどの音楽的な天才です。Ave Mujicaの作詞は三角初華としても、こうなってくると作曲は豊川祥子と考えるのが筋かと思います。7話で初華に向けていた鬼気迫るような目線も、憎悪や嫉妬などではなく、親友を利用してでものし上がると決めた、左道に堕ちた修羅のそれだと今ならば分かります。かつて、花にも命があるとまで語ったロマンチストの姿は、今やもう見る影もありません。

衝撃的だったのは、初華の事務所にはもう話をつけていると明言されたことでした。純田まなどうすんの!? ただ、事務所公認で初華を引き抜けたとするならば、Ave Mujicaが覆面バンドになることも頷けます。初華の事務所を納得させるには、初華とは別人として活動する必要があった。そこで覆面を被った謎の集団として活動することで事務所を納得させた……こういうストーリーが浮かんでくるわけです。やっぱり覆面レスラーじゃないか……。

つまりは、Ave Mujicaは覆面で活動することが端から宿命づけられていた……わけなのですが、そうなるとにゃむがその条件を飲んだのは不思議にも思います。なので、祥子はこう囁いたのではないでしょうか。覆面を被るのは最初だけ、いずれは拭い去るつもりですわ、と。言ってしまえばサギなのです。あ、最近触れてませんでしたがこれも豊川祥子の「鳥」ですね。

小悪党としての振る舞いが目立つ祐天寺にゃむですが、現状置かれている立場は祥子に騙されているだけの被害者。そしてこの点で、にゃむ以上の被害者が周辺にいるのもまた事実。にゃむとしては自身のチャンネルという武器があるのですから、自分が騙されていると分かった段階で、純田まなと共謀して祥子に反逆する展開さえ予想されます。そう、例えば、「まなちゃん裏切られてたんだよ~! 可愛そうだよね~!」と自身のチャンネルで祥子を告発する動画を上げる感じで。

それにしても、チュチュの流れを汲むのならば、祥子がAve Mujicaにおける名付け親になるのが自然のはずなのですが、今回明かされた祐天寺にゃむのキャラクター性からアモーリス(愛)の欠片も感じないのも気になります。果たして祥子が何を思って祐天寺にゃむというチョロい手駒に愛を名乗らせたのか……。ところで、祥子の周囲には、愛音という名のウザい奴がチョロチョロしているわけですが、まさかあいつが由来なんてことは……。

 

 

変身前のグレーテ・ザムザ ~豊川祥子~

豊川祥子が本当にお嬢様なのか、というのはこれまで常々疑問ではありました。月ノ森を去って特待生制度のある羽丘に進学していること*1。8話で豪邸を後にするシーンはありながらも自宅で過ごすシーンは描かれないこと。高校進学後、吹奏楽部の活動前にピアノを弾くという形見の狭い音楽活動をしていること。そしてCRYCHICを脱退した経緯から、何か家庭の事情が絡んでいそうではあること。これらの事実が歴然と転がっていたのですが、いまいち決め手には欠くので断定はしかねたところでした。ただ、今回にゃむが祥子の服装を睨めて「こんな場所指定して無理させちゃった?」と発言したことで、ほぼ豊川家が没落していることが確定的になりました。同じファッションチェックでも、Afterglowの先輩達がそよの半分になった衣装をロックだと認めたのと比べると、その対比はあまりにも残酷です。

祐天寺にゃむの欲するものが名声であるように、祥子にとってのそれは。燈たちが迷子という在り方を見つけた一方で、祥子が欲したのは最短でした。本当に喫緊に、大量のお金が必要になっている境遇にあることが伺えますし、同時に残りの人生全てを要求していることからも、まとまったお金が継続的に必要になっているようでもあります。果たしてあれほど裕福そうだった豊川家に何が起きているのか、現状アニメに描かれている情報からだけでは何もその実像が見えては来ません。

羽丘の音楽室でせせこましくピアノの練習をしている様子からも、生家のグランドピアノを初めとした家財道具は大半差し押さえられたと見るべきです。ただ、何故かこの大豪邸という最大の資産は売り払っていないのが引っかかりますし、また、最大のヒントだと思いました。そしてこれは完全に憶測になるのですが、豊川家が没落したのは、一家最大の稼ぎ頭であった兄が難病か何かになって収入が途絶え、しかもその莫大な治療費を稼ぐ必要が出てきているのではないかと思います。は? いきなり何言ってんのお前?

……ああ、いや、薄弱ながらも根拠ならばあるのです。豊川祥子は後に仮面をつけたダークヒーローに変身することになるわけですが、仮面ライダーがヒーローの姿になる際に叫ぶ「変身!」という決め台詞の元ネタが、何を隠そうフランツ・カフカの「変身」*2。虫に変身する不幸に見舞われるのは主人公のグレゴール・ザムザなのですが、豊川祥子の境遇に近いのは妹のグレーテ・ザムザです。裕福だったはずの家は兄の変身によって没落し*3、兄の世話をするのに必要なため広すぎる家だけが残り、また、ヴァイオリンの演奏が何より好きだった音楽少女でもあります。いるかどうかも分からない兄の存在を度外視すれば、極めて共通点の多い、祥子の元ネタとして疑える古典小説です。いや、兄がいなきゃこの予測最初から破綻してない?というのはまあ僕自身思うところなのですが、豊川祥子を演じる高尾奏音さんには、プロピアニストとして第一線で活躍する兄が実在します*4仮想と現実の同期の形として、一考する余地はあるかと思います。

何より、「ただの学生でしかない貴女が、他人の人生を抱えきれますの?」と長崎そよを突き放した、あの意味深ながらも重すぎる言葉は、自身も他人の人生を背負おうとしたからこそ出てきた切実な同族嫌悪だったと考えるのが自然に思えます。It's MyGO!!!!!の最大の特徴として、5~6話の立希と愛音、そして10話の愛音とそよに代表されるように、同族に対する言葉ほどクリティカルに響くように描かれているものなので……。

ただ、グレーテ・ザムザと決定的に違うのは、豊川祥子は自らが変身するというところ。かぶと虫が大好きだった少女は、自ら仮面のヒーローになろうとしています。ところで、カフカの「変身」にて、終盤になって登場する老いた大柄な女中から、衰弱気味のグレゴール・ザムザはこんなあだ名を付けられます。「かぶと虫のじいさん」と。

 

俯瞰的な関係者 ~若葉睦~

そもそも何で急に文学の話を持ち出したかと言うと、同じバンドのメンバーにLyrical Lilyがいるからです。洋の東西を問わず様々な文学を題材にして、トリッキーながらども確かに可愛らしさのある楽曲を数々打ち出してくる、D4DJでもとりわけ個性の光るユニット。特に「ねむり姫」のなのラップの際などは本番の度に手に汗握って後方腕組み保護者ヅラしていたわけなのですが、まさかその彼女が7弦ギターを使いこなすようになるとは夢にも思いませんでした。立派に成長したねぇ……(誰目線?)。

話が逸れかけましたが、これまで散々きゅうりの園芸をしていた若葉睦らしく、そよママのお祝いの品として大量のきゅうりを差し入れする粋な計らいをしてくれました。フォンダンショコラのとろペコ問題を解決するためか高級チョコレートの袋に入れてくれたのは、お笑い芸人の娘らしい洒落たユーモアを感じさせてもくれますね*5。まあ、習い事で雁字搦めなことからも、睦の親との関係はかなり冷え切っていそうではありますが。

そもそも祥子が金銭面で苦心しているのならば、立希の姉のツテを頼って立希というドラマーを見つけたように、月ノ森のコネクションを頼っても良さそうなもの。まあ長崎そよを頼ったら一生それを弱みに付き纏われそうなので嫌がったのは無理ないのですが、幼馴染みで依然裕福な若葉睦は、祥子が頼るべき絶好の相手としか思えません。なのにその家柄に縋れないとするならば、睦の両親には問題がありすぎると見るのが当然かなと思います。祐天寺にゃむや羽丘の学生にも顔が知られていたことからも、若葉睦は以前から両親の付属物として公共の電波を通してその私生活を覗き見られていたらしき境遇にあります。芸人と女優の両親が「うちの家庭は円満なんですよ~」とアピールするだけのために、娘の睦をテレビに出演させて人気取りをしていたような、そんなグロテスクな家庭事情が伺えてきます。実態は習い事で適当に娘の教育をしたつもりになっていたとしても。

そんな睦からすれば、たとえ依存的でも本物の母親のように接しようとしてくれる長崎そよは救いだったのでしょう。ただ、そよママからすれば今の睦は、CRYCHICの解散を止められたのに止めなかった罪を負った愛憎入り交じる相手として映っています。それでも、8話で祥子からは最後通告を突きつけられますが睦との関係まで清算したわけではないので、「ライブ、どうだった?」という問いかけには、睦ちゃんを裏切っちゃったよね? ごめんね? くらいの後ろめたさもあったでしょう。だから、そよママが欲しかった答えは、今の睦とそよの関係がどうなのかが伝わる言葉でした。その睦から紡がれた言葉は、「良かったね」でした。愛音の「衣装作って良かったでしょ?」に対してそよも「良かったね」と答えたように、その言葉は勝手にやってればくらいの意味さえ含むもの。そよからすれば、あまりにも残酷な突き放しにすら捉えてしまう言葉でした。

ただ、それでも睦からすれば、祥子と突き合わせたり燈と立希への伝書鳩をしたりと暗躍してそよを過去の呪縛から解き放った達成感すらあったでしょうから、その「良かったね」には万感の思いすらあったはずです。居場所が見つかって、第二の人生を歩めて良かったねと。CRYCHIC時代から唯一メンバーの家に踏み込もうとしていたくらいですし、若葉睦の対人関係は基本的に俯瞰的な関係者であろうとするものでした。なので睦なりにそよの歩みを俯瞰して、時には干渉もした立派な関係者としての言葉ではあるのですが……あまりにも言葉の選び方が下手すぎました。そよからすれば、上からではなく正面からの言葉が欲しかったわけなのですから。水平線上しか見ていないそよの視界からは、天上から語られる睦の言葉は絶対に胸に届きません。詩超絆の歌詞では、燈はそよとの関係が平行線かもしれないということを恐れながらも一緒にいたいという想いを伝えましたが、睦とそよの関係は平行線以上に交わりえないねじれの位置にありました。

ところでこれはTwitter(かっこえっくす)で流れてきて自分も初めて知ったのですが、江戸時代の制度として久離(きゅうり)というものがあったそう。失踪した子供の罪を親が着せられるのを防ぐため親子の縁を解消する制度らしく、まさしくこれから覆面を被って“若葉睦”の名を捨てることになるそよむつ母子の行く末を暗示しているようでもあります。まあ、睦がそういう意図できゅうりを差し入れたわけではないとは思いますが。

そして、ここで文学の話をしましょう。きゅうりからは当然にそれを好物とする河童が連想されますが、芥川龍之介の「河童」には、親子の罪についての興味深いシーンがあります。子供のためをと思って犯した親の罪が、子供が死ぬことで帳消しになるのです。我、死を恐れるなかれ! 若葉睦との関連を疑って本作を読みましたが、この12章を読んだ時には戦慄する思いがしました。若葉睦の死=モーティスの動機として、あまりにも説得力がありすぎる……。なお、同作には子供が生まれたくなければ胎児の時点で誕生を拒否できるという反出生主義的な描写もあり、こちらは芸人と女優の両親の方に関連しそうなところかと思います。

そしてこちらは言葉遊びになりますが、河童は合羽ともかかるもので、事実、芥川龍之介も遺作の「歯車」でレエン・コオトの幽霊を登場させてもいました。Ave Mujicaが月と歯車のエンブレムを抱くことから、こちらの作品の関連を疑ってもいいと思っています*6MyGO!!!!!の傘に対してAve Mujicaが合羽なら、雨具同士でその対比がパリッと決まるところです。そして合羽と言えば濡れ衣でもあるわけですが*7、そうすると未だ事情の見えないCRYCHICの解散について一つ仮説が浮かびます。長崎そよは睦が悪いように糾弾していますが、睦は他の誰かの罪を被っているだけなのではないかというもの。それが河童に関連するとしたら……その罪の主は親、つまりそよママが濃厚です。そして若葉睦の「死」によって、その母の罪過が晴れる形になります。あと、これは流石にこじつけの極みなのですが……。

竹下みいこ、合羽着てます

 

ダンゴムシの殻を脱ぎ捨てた雛鳥 ~高松燈~

Ave Mujicaさんサイドがラスト5分で全部持っていったのでつい6000字に渡って書いてしまいましたが、今回遂にMyGO!!!!!も結成されました。「いつも迷子」からIt's my go!と、愛音がその短い留学中に覚えたであろうスラングが元となっており、愛音の留学経験が無駄ではなかったという救いにもなっていました。出番の訳語がturnではなくgoなのが、過去を振り返らないと決めた証左にもなっていて、特にそよの姿勢の変化としても鮮明です。Goという単語には、去るという意味合いも強く含まれますし、睦とのやり取りを通じてもそこは示唆されていたかと思います。盆のきゅうりは、ご先祖様が早く戻ってくること(turn)を願うものでもあり、きゅうりの拒絶はそよと睦、互いの復帰の拒絶(gone)になってもいました。自家栽培にもかかわらず、睦が育てたきゅうりは売り物のようにまっすぐで、turnしていませんでした。

ともりんがMyGOと名付けたのはあのちゃんの言葉に感化されたからですし、そして末尾に!!!!!を付けたのもやはり愛音。結局MyGO!!!!!のネーミングの大半が愛音要素になっているわけですから、ある意味でANON TOKYOの野望は果たされたと言えるかもしれません。いや、だからなんですよ。祥子の命名するアモーリス=愛が、愛音由来になる気がしているのは。各種のあだ名付けといい、ゴッドマザーとでも言うべき力が千早愛音にはあります。そよママとは全く違う方向性での母性……というよりはMother性です。ところで!!!!!に渋い顔をしていた立希でしたが、憧れのAfterglowさんの曲にY.O.L.O!!!!!があるので無理からぬことかもしれません。このカスみたいなセンスの奴がAfterglowさんのそれに近づいちゃったわけですから。み、認めたくねぇ~、こんな奴!!

ところで燈がリハーサル中に後生大事に抱えていたア・テンポノートは、ライブ会場では姿を消していました。10話のライブの時点でノートの切れ端はともかくノート自体は持ち込まずに済んでいたわけで、何故今になってまたノートが必要なのかは些か疑問だったのですが、よくよく考えると10話のライブは燈自身がダンゴムシの殻=絆創膏となってそよの自己治癒力を呼び覚ましたもの。居場所にしていたノートは無くても、まだ燈の心は殻に覆われていました。今回改めてノートが復活して行われたのは、ダンゴムシの殻の完全なる放棄のためでした。

とはいえ注意深く映像を見ていてもいつの間にかノートが燈の手元から消えているので、どこでその放棄が完了したかは3周目をする頃にようやく分かる、本当にさりげないものになっていました。そしてその答えを握っていたのは前作主人公。迷子のバンドを「マイゴ~!」と初めて正式名称で呼んで先鞭をつけてくれた偉大なる星のカリスマは、ただ優しく、燈の防御的な姿勢の権化であるノートを預かりながら、マイクというバトンを託してくれていたのです。戸山香澄には綿棒をスティックに持ち替えた親友がいたように、ノートをマイクに持ち替えさせることで後輩の高松燈を生まれ変わらせました。……まあ、おしゃもじをマイクに持ち替えたその元ネタのそのまた元祖は、実はマスカレードという名の仮面を被ったアイドルだったので、この辺祥子と交錯していて複雑な気持ちでもありますが*8

迷路日々(メロディー)は前回行った予想に反して複数形ではありませんでしたが、音が度々途切れながらもステップを踏むリズムなのは納得の仕上がり。「この手をほどかない」「一生離れない」という歌詞は明らかにティアドロップスの「この手を離さない」の継承で、10話でようやく涙を流せた燈が、本当に殻を破ったことがありありと伺えました。ただ、その意味合いは相反するものかと思います。ティアドロップスの「この手を離さない――」は音楽が止まった瞬間に香澄がその手を拾い上げて再び音楽が奏でられる構成なのに対して、迷路日々では燈が手を取る言葉をかけた瞬間に無音になる形となっています。つまり迷路日々では、差し出されたその手が拒絶される可能性を暗に予感させるものになっています。ただ、この曲の一番の無音区間=絶望の時間は、間奏の直後。その後の歌詞は「迷子のまま曲がりくねった道でも 諦めなかった僕らのしるしだから」と続くわけで、無音=拒絶が歩みを止める理由にはならないことが力強く歌われてもいました。

ラスサビの歌詞はその言葉が羽を生やし、羽ばたこうとしていることを歌い上げました。前回で胡蝶の夢を見ていたように、自分をダンゴムシだと思い込んでいた雛鳥は、立派に空へ羽ばたこうとしています。その一方で震えるいびつな文字に羽をくれた豊川祥子が虫のヒーローになろうとしているのが皮肉でもあり、今まさに燈と祥子の間で「虫」と「鳥」の交換が行われようとしているのを感じます。さて、ここで文学の話をしましょう(またかよ!)。

詩超絆で燈たちは北極星の目印ともなるカシオペア座になったわけですが、カシオペア座の近くには、青白く燃え続ける星が存在します。その星の名は、よだかの星。自分が飛行する際にかぶと虫を飲み込んでしまうことにさえ心を痛める優しい鳥は、その生命を燃やして天に輝く星になりました。ダンゴムシの殻だと思っていたものは、実は雛鳥が生まれるための卵の殻だったのです。

 

迷星叫の再生産

いや、よだかの星なんて宮沢賢治の創作であって星座早見表にはそんな星ねぇだろと思われるかもしれませんが、だったら惑星なんじゃない? 今回Ave Mujica以上の衝撃だったのは、迷路日々のついでみたいな感じで迷星叫が完成し、あっさりお披露目されたことでした。流石にここは純粋に違和感を覚えました。最初期曲をこんな雑な使い方する!? とはいえ前回考察したように、アニメ前のMyGO!!!!!=胡蝶の夢との合一の第一歩ではあったのも事実。徐々にながら、こうしてYouTubeで見られたような旧来のMyGO!!!!!の姿も滲み出てくるのかもしれません。今回立希もようやく「愛音」「楽奈」呼びしましたしね。以前から呼んでいた「燈」や「そよ」のついでなのがこう……距離感詰めるのヘッタクソで可愛いね……。

次回Ave Mujicaがその産声を上げる際に披露されるのが黒のバースデイであることが濃厚ですし(いや未知の新曲で殴ってもきそうですが)、当該楽曲には消えゆく惑星(ほし)という歌詞もあるわけで、惑星のMyGO!!!!! VS 衛星のAve Mujicaという対決構造を成立させるにはこの段階で迷星叫が必要だったのは頷けます。ちなみに黒のバースデイの歌詞の惑星は宇宙(そら)のリスクであり真実を歪めているらしいので、よだかの星のような架空の星を指していると読むことも可能かと思います。よだかの星なんか現実に存在するわけねぇんだしさ(掌返し)

それにしても驚くべきは立希の作曲能力。まあバンドリの楽曲というのは割とインスタントに出来がちな伝統があるのですが、たった3日で2曲完成させるのはDTM初心者としては離れ業にもほどがあります。しかし、迷星叫は本当に完成したのでしょうか。ライブで披露された迷星叫は紛れもなく我々がよく知るそれだったのですが、愛音もしきりにあれで完成なのかと疑問を抱いており、立希自身もそれに対する回答は結局保留のまま。

いやまあ迷いながらも進むバンドなので、迷星叫をやる際にはずっと迷っているのもそれはそれで一つの形だとは思うのですが、同じ立場にあるはずの迷路日々にその疑問が呈されないことには大きな引っかかりを覚えます。そしてまた、これまで楽曲が誕生する度に燈が詞に込めた思いが丹念に描かれてきたにもかかわらず、迷星叫にはそれがないことも疑問です。迷星叫の扱いだけが不自然すぎるほどに雑すぎます。

だとするなら一つ思い至るのが、迷星叫はまだ未完成で、いずれ迷星叫の再生産が行われるのではないかということ。それこそ春日影が、楽奈の手によってまるで別の曲へと再生産されたように……。ところで、迷い星である惑星がどうやって生まれるのかというと、まず大量の塵が超新星爆発によって恒星の周辺に誕生し、そこから衝突と合体を繰り返していくつかの惑星へと巨大化していきます。その営みを繰り返し続けて長い年月をかけて万有引力の釣り合いが取れるまでに公転軌道が安定し、現在の太陽系のような姿に至るわけです。立希も口にしていましたが、「こういうのは何度も音合わせて、それで分かる」もの。衝突と合体を繰り返せずに生まれた現在の迷星叫は、惑星として未だ不完全と言わざるを得ないのです。天文学的にはまだ微惑星でしょう。それこそ、一生くらいの時間をかけてでも衝突と合体を繰り返すことが、迷星叫の完成には本当に必要になるのです。それでも足りるかどうか分からないほどに。

 

 

番外:英雄の凱旋

そして最後になりますが、本記事を執筆中に、泣き叫ぶほど嬉しいニュースが飛び込んできました。前島亜美さんの、丸山彩役としての復帰BanG Dream!というコンテンツを語る上で、Poppin'Partyと並んで欠かせない大恩人が凱旋してくれたのです。

キャラクターとリアルライブがリンクするというスローガンを掲げて始まったコンテンツにおいて、その志を最大限に体現してくれていたのは、どう考えても前島亜美さんを置いて他にはいませんでした。Poppin'PartyやRoseliaと違って、リアルバンドが活動していないにも関わらずです。不器用極まりないながら不断の努力を続ける丸山彩のキャラクターを本当に大切にしてくれていましたし、バンドリ関連のメディアに出る度に常に丸山彩を横に置いてくれたその姿はもはや「丸山彩を演じた」のではなく、『丸山彩を生きた』とさえ表現できるものでした。これほどまでに常にキャラクターを近くに存在させてくれた演者というのは、後にも先にも前島亜美さん以上の人を挙げることはできません。そしてリアルバンドを持たないにもかかわらず、その不断の努力からTITLE DREAMでパスパレキャスト勢ぞろいの本物のリアルライブを実現させた前島亜美さんは、この世で最もBanG Dreamer(夢を撃ち抜く者)の肩書きを背負うに相応しい御仁でした。

声優というのは難しい職業です。状況に応じて、時には役者であることを、時にはパフォーマーであることを、時にはトーク上手な芸人のようであることを、はたまた時には疑似恋愛の対象であることを要求されます。そして、僕個人について言えば、声優に対して求めているのは英雄像だということが、前島亜美さんの姿を通じてはっきりと理解させられました。僕にとって、丸山彩をその人生を通じて顕現してくれる前島亜美ほどの英雄は、この世には他に存在しなかったのです。決して本職が声優でなかったにもかかわらず、その生き様は声優としての理想形そのものでした。そして2022年11月、その英雄は我々の前から忽然と姿を消しました。

降板が告知された際、後任人事は絶対に難航するだろうと思いました。「丸山彩を演じられる人」なら、それこそ掃いて捨てるほどいるでしょう。失礼ながらも、前島亜美さんよりも演技が上手くて、そして声質が合うであろう人も、僕の中でさえ数人リストアップできました。ただ、丸山彩を生きられる人前島亜美以外にいたかと言えば、誰1人脳裏には浮かび上がりません。それほど不可分に前島亜美という英雄は丸山彩を生きた。だから、もし前島亜美さんが完全に再起不能ならば、夢ノ結唱の丸山彩モデルが後任としては最適解だろうとさえ思っていたくらいです。夢ノ結唱ならばまだ、丸山彩の人生から生まれた存在という言い訳が立ったのですから。それほどまでに、丸山彩というキャラクターを作り上げる上で、前島亜美という人間は不可欠な存在でした。そして夢ノ結唱を使うという最終手段が杞憂に終わったことも、本当に嬉しく思います。

言っておきますが、僕はディグラーでもあるのでD4DJの新島衣舞紀の降板が哀しくないわけではありません。ただ、そのキャラクターの人生を生きたかで言えば、丸山彩と前島亜美ほどの例は他に類を見ないので、この関係を特別視しているだけに過ぎません。本当に、他にこれ以上のキャラクターと演者の一心同体性を見たことはないのです。そして声優がキャラクターの生き様を体現する英雄であるならば、新島衣舞紀の後任を引き受けてくれた七木奏音さんも、僕の中では英雄に数えられる存在です。難しい状況の中、本当に自然に前任者が作り上げてきた新島衣舞紀を引き継いで広げてくれましたし、七木奏音さんの尽力あってこその前島亜美さんの復帰だったとも思っています。七木奏音という隠れた英雄にも、この場を借りて最大限の感謝と労いの言葉を贈りたいと思います。

前島亜美さんが降板して以降もガルパの物語は続いており、そのことに胸を痛めたりもしましたが、その中には丸山彩だけがパスパレのボーカルという、力強い言葉を語るイベントストーリーもありました。今はまだ声がついていませんが、今回の続投決定は、このセリフが前島亜美の喉とハートから放たれるのが決まったことをも意味します。勿論本人の体調が最優先なので無理はしないでほしいところですが、このセリフにボイスが付くことを、本当に今から心待ちにしています。

ちょっとくらい休憩したって、誰にも叱られはしないから。再び立ち上がってくれた前島亜美さんには、栞のこの歌詞を贈りたくなるところです。It's MyGO!!!!!の物語ではようやく夏が始まった頃ですが、今年の9月1日は、ちょっとだけ長い夏休みが終わりを告げました。

*1:この制度は岐阜から上京して苦学生をやりながら勉学に励む朝日六花も利用しています。

*2:ソースはウィキペディア

*3:なお、ザムザ家は父の事業が失敗していたのを兄の働きぶりでやり過ごしていた、元から没落寸前の家庭ではありました。

*4:高尾奏之介 - Wikipedia

*5:きゅうりの花言葉が「洒落」ではあります

*6:RAISE A SUILENの舞台でも「蜘蛛の糸」がモチーフにされたことから、バンドリ的には芥川龍之介の借用は立派に前例があります。なおこの舞台の脚本は誰あろう綾奈ゆにこ氏です。

*7:上述のレエン・コオトの幽霊は、放火の嫌疑を着せられた芥川の義兄がモデルです。芥川も彼の悪事を疑ってはいたようですが、義兄へのせめてもの手向けとして濡れ衣を着せたのが伺えます。

*8:綾奈ゆにこ氏が各話脚本として参加している作品でもあります。