矛盾ケヴァット

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【グルミク】6つのユニットをDigって見つかる、1つのDelight ~Poppin'Partyの継承者達~

突然ですが、2020年秋に本格始動したバンドリ!」を継承したコンテンツと言えば何でしょうか?

そうだね、D4DJだね!

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もしこの問いを受けてプロジェクトセカイと答えてしまった方がいらっしゃったとしたら、残念ながらバンドリへの理解度が低すぎると言わざるを得ません。ああ、いえ、『ガルパを継承したコンテンツ』という問いならばそれで正解だったわけなのですが、兎にも角にもガルパはバンドリの一部であってガルパ=バンドリではないという意識は常に持たねばなりません。

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そうは言ってもやはりややこしいので、バンドリの物語構造を図面化してみました。この図を見ても分かると思うのですが、バンドリの物語は、大きく分けて2つの流れを持っています。1つは、スマホゲームのバンドリ!ガールズバンドパーティ!(ガルパ)で展開されていくCraft Eggライン、もう1つは原案の小説からアニメへと通ずる中村航-綾奈ゆにこラインです*1。この2つのストーリーラインがお互い連携しながら高品質な物語を作り続けてきたことによって、バンドリは現在の地位を築き上げるに至りました。

大局的にはCraft Eggラインであるガルパが中心となっているのは事実なのですが、上図ピンクの破線で囲ったPoppin'Party(ポピパ)の物語はガルパだけでは全く不十分で、後者の中村航-綾奈ゆにこラインを入念に咀嚼していく必要があります。あまりに難解で根気よく向き合う必要のあるアニメ1期や、プロトタイプという位置づけにありながらポピパの根底に流れているものが明瞭に描かれている小説版といった種々の媒体に本気で当たってようやく全体像が掴めるという極めて不明瞭な仕様になっており、向き合っていく上で大変なバイタリティを要求されることは否めません。ですがその分、各種メディアを通して紡がれるポピパの物語や価値観にとてつもない深みがあることは全面的に保証できるものです。Craft Eggラインと中村航-綾奈ゆにこラインの双方をどっぷり味わってこそのバンドリです。

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先日、D4DJのスマホゲーム媒体であるD4DJ Groovy Mix(グルミク)のユニットストーリーを全て読み終えたところ、想定していたよりも遥かにそのシナリオの完成度が高いため驚きましたし、同時に、D4DJおよびグルミクの物語はバンドリにおける中村航-綾奈ゆにこラインを強く受け継いだものであると確信するに至りました*2。しかも大変面白いことに、全てのユニットが、ポピパがこれまでの長きに渡って積み上げてきたエッセンスを“下地”に置いているような継承の仕方をしており、言ってしまえば、グルミクをDigればポピパというDelightが掘り起こせるようになっています。いやあ、これはポピパオタクとしては腕が鳴りますね。ポピパの物語をじっくり追ってきた方なら絶対にハマれるコンテンツだと断言できます。さあ、Vibesを抱きしめて、飛び込んじゃおう! ぼくたちのWorld!

 

……とまあ、僕のようなポピパに狂い続けている人間にとってみれば、D4DJおよびグルミクはターンテーブルという皿に盛り付けられた文脈のフルコースとでも言うべき最高のご馳走なのですが、かと言ってポピパの物語をきちんと咀嚼してきた人間がどの程度いるのかと問われると不安になるのもまた事実です*3。グルミクのシナリオが非常に面白いことは自信を持って推薦できますし、仮にポピパの物語を一切知らないユーザーが読んでも楽しめる作りなのは間違いないのですが、それではあまりにも勿体ない。グルミクの各ユニットストーリーは、ポピパが培ってきた哲学を踏まえて読むと面白さが倍増するのです。その一方、今からポピパの物語を本気で味わおうとしても、相応の時間と根気が求められるのも確かであり……。

以上の現状を踏まえて、本記事はポピパがこれまで培ってきたものの“答え”をバンドリを読んでない方でも分かるよう洗いざらい書き出し、それがグルミクのシナリオにおいて各ユニットにどう受け継がれているのかを説明します。そして、ポピパ要素とは全く別に各ユニットストーリーの見どころがどこなのかを紹介したいと思います。

本記事は、ポピパを中心としたバンドリのキャラクターがある程度頭に入っている方であれば理解できる平易な記事に仕上げたつもりです。しかしその一方で、ポピパの物語を深く追ってきた方でも新たな発見をして頂ける、深くDigった記事にもなっていると自負しています。なんせ25000字を超えているのです。それくらいの情報量はどっさりと詰め込みました(そのため、時間的に余裕があるタイミングでお読み頂くのをお勧めします)。

そして、本記事はこれまで紡ぎ上げられてきたポピパの物語と、これから積み上げられていくD4DJというコンテンツを“繋いだ”記事でもあります。是非とも、本記事が気に入りましたら、ポピパの深甚な世界に、そしてD4DJという新世界にもDirectにDriveして頂きたいと願っています。本記事が、読者の皆様と、ポピパやD4DJを”繋ぐ”ものになりましたら望外の喜びです。

 

 

広がり、調和し、継がれる、循環 ~Happy Around!とCiRCLING~

いきなり匙を投げるようですが、Happy Around!(ハピアラ)が受け継いでいるポピパの遺伝子はあまりにも多岐にわたるため、とてもこの記事だけで全てを書き尽くすことはできません。冒頭に書いた、ポピパの積み重ねが下地にあるという所感は特にハピアラ楽曲の歌詞から強く感じられたものであり、星の鼓動(これは後述します)、世界への愛、ミライトレインと、ポピパがつい最近になって到達したものが初期楽曲から散りばめられているという点に、歌詞に触れた当初には愕然としたものです。言わばハピアラは「強くてニューゲーム」したポピパであり、その独特な主人公性はグルミクの物語にも明快に表れています。

そんなハピアラですが、ユニットストーリーでは特にCiRCLINGにそのテーマを絞り、CiRCLINGを体現した存在として描かれていたように思います。数々の独自概念が存在するポピパにおいても、このCiRCLINGは全ての土台とさえ言える最重要概念であり、これを踏まえずしてPoppin'Partyを理解するのはまず不可能です。

まず、CiRCLINGとは人と人とが繋がることで広がっていく輪です。それは5人の円陣であり、そしてライブをして生まれる演者と観客の一体感です。楽曲としてのCiRCLINGをリアルライブで披露する時、サビの「わ!」のコールと共に演者と観客が一様に腕で輪の形を作り、会場にいる全員が一体感に包まれます。ポピパが音楽を誰かに届けようとすることで、人と人とが同じ想いを共有して繋がっていき、その輪が際限なく広がっていくのです。そのポピパの輪の広がりは、いずれ世界中を包み込むものであると高らかに歌われています。ポピパに撃ち抜かれた瞬間に、僕もあなたもムカつくアイツも気になるあの子もあまねく世界中の人々も、誰もがポピパの一員です。

続いて、CiRCLINGとは5人が流動的に調和することによって完成する和です。ポピパの物語には定期的に5人の関係がすれ違う“不和”が訪れるのですが、それは得てして彼女らの誰かが1人で自分の役目を抱え込む形で発生します。そして、ポピパの物語は役割に固執することを是とはせず、5人がそれぞれの役割を臨機応変に分かち合うことで解決を見ていきます。ポピパの和という完成形の中で、5人が他の4人の状況を見つめつつ、その場その場でそれぞれが自分の役割を当意即妙かつ流動的に変え続けることにより、他のメンバーの苦境をカバーし合えることが彼女らの強みの1つです。

そして、CiRCLINGとは受け取ったものを他の誰かに受け渡していく環です。ポピパの物語の始まりは戸山香澄がGlitter*Greenという偉大な先輩バンドのライブを観て、それが自身の追い求めていた星の鼓動と同質のものだと感じ取ったことで動き出します。後々にはGlitter*Greenから受け取った“初期衝動”を朝日六花やMorfonicaといった後輩的存在に受け渡し、彼女らにとっての“始まりの存在”となるに至っています。この継承の概念は、もう少しメタな視点にまで後退すればポピパとハピアラの関係にも援用できるものでしょう。

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最後に、CiRCLINGとは終わりのない形の円であり無限です。楽曲のCiRCLINGはフェスの最後に演奏する曲として制作されており*4、1つのライブの終わりとその次のライブの始まりを“繋ぐ”曲です。また、石田彩先生が作画を務めた小説版BanG Dream!のコミカライズでは、そのあとがきにてバンドリは循環しながら新しい場所へと向かい続ける物語であると明言されています。それを裏付けるかのように、アニメ3期では戸山香澄の原点とも言える「星の鼓動」に辿り着くことで夢を撃ち抜き、1つの円を完成させました。しかもそこはBreakthrough!すべき通過点であり、円を突き抜けることで、そしてまたその原点にもう1度戻ることで∞(ムゲンダイ)なメビウスの輪を描こうとしているのが現在のポピパです。

 

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以上に述べたCiRCLINGの全てが、ハピアラのユニットストーリーには鮮明に打ち出されていました。D4 FES.のオーディションへの参加を決めた際、締切である当日中にライブ映像が必要になってしまい、一度は諦めるのですが、彼女らを救ったのはこれまでハピアラがライブでHappyを振りまいてきた陽葉学園の生徒達です。これまでハピアラがその輪を学園中に広げてきたことによって(その輪をどう広げていくかはアニメで詳細に描写されるものと思われますが)、そして学園生らがその輪を知人に広げていくことによって、ハピアラから受け取った愛を今まさに困っているハピアラに受け渡して最初の危機を乗り越えることに成功しました。

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次に訪れた大きな危機は、映像審査にて大鳴門むにが異様なまでの完成度を追求したことによる、明石真秀との不和です。むにが尊敬するゲームクリエイターがオーディションの審査員にいると知り、自分の見せ場でもある映像審査で1人その使命を抱え込んで空回りしてしまうという、言うに及ばずのポピパの“不和”の黄金パターンです。しかしながら、そんな彼女の野望を受け止め、真秀を始めとした3人が彼女の領分である映像作りにアイデアを出し合うことで、むに自身も納得のいく映像が完成しました。

そしてオーディションラストのライブ審査では、愛本りんくが持ち前のノリの良さでライブを盛り上げすぎてしまったが故にセトリとの不整合が生じるという予想外のアクシデントが起きますが、渡月麗が突然のアドリブで場の空気を一変させ、むにのVJや真帆のDJもまた変化した流れに即興で対応するという形で劇的に解決します。この2例の問題解決こそ、取りも直さず誰かが困った時に別のメンバーが臨機応変にその役割を請け負うという「流動的な役割」のもとで達成されたものです。

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麗のアドリブがレギュレーション違反に抵触したため、結局ハピアラはオーディションには落選してしまうのですが、このライブで初めてハピアラを観たという観客の心を掴むことには成功していました。その後、自己推薦枠での出場を目指すことにより再起し、口コミによるライブ実施の周知に加えてオーディションの観客にも届くようD4 FES.公式に告知を依頼するという寝技も駆使し、2000人の動員を達成しました。観客達にとって、オーディションの時のハピアラは数ある演目の一部に過ぎませんでしたが、今回のライブではハピアラを目当てに足を運ぶまでにハートを撃ち抜かれています。観客に愛とHappyを振りまき、そしてその観客助けられ、そしてまた次なる大きな舞台でより広範に愛とHappyが多くの人に届くという、循環を続けながらハピアラの輪が拡大している姿が如実に描かれていました。

かくして動員条件を満たし、4人にとっての原点にして目指すべき到達点でもあるD4 FES.への切符を手にします。無論、D4 FES.がゴールではなく、8年前に天野愛莉と姫神紗乃から受け取った愛を、栄光の舞台で再び誰かに届けることになるでしょう。循環しながら新しい場所へと向かい続ける物語が、ここに幕を開けました。

 

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以上のように、あまりにも多面的な意味合いを持つCiRCLINGについて、その全てを余すところなく凝縮した優れた物語だったわけですが、ハピアラのユニットストーリーにおいてはもう1つ、直面する問題のレベルが高すぎるという点を特筆すべきでしょう。最初の「たった1日で応募書類を仕上げる」を皮切りにD4 FES.のオーディションの中で1つ1つ困難を乗り越えていく姿が描かれるのですが、クライマックスに至っては盛り上げすぎてしまったライブをアドリブで切り抜けるという、ゲームがリリースして最初に打ち出される物語としては到底考えられない難易度をしています*5。ハピアラが強くてニューゲームしたポピパであるとは既に述べましたが、そんな彼女らに相応しいほどの苦難を容赦なくグルミクは与えてきます。グルミクは、ハピアラを強者として描くことから一切逃げていません。そこにハピアラの物語の真髄を感じましたし、彼女らが目の前の大きすぎる困難を強靭に乗り越えていく様は、とても魅力的に描かれていました。

 

他のあらゆる可能性を凌駕する奇跡 ~Peaky P-keyと最高~

Peaky P-key(ピキピキ)はそのユニット名の通り、自分達が最高の場所に立つことを志向し、そして観客にも最高の音楽と時間を届けるユニットです。ユニットの中心である山手響子のキャストが他ならぬ愛美さんであることを思えば、ピキピキの役どころは「前作主人公」となったポピパと言ったところでしょうか。愛本りんくがDJに魅せられるきっかけとなったのはピキピキの学内ライブであり*6、また、切磋琢磨していく良きライバルしても大きな存在感を放っています。

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そんなピキピキが継承しているのは最高です。この最高というワードが出てくるのは現行のポピパよりも小説版の戸山香澄の決め台詞としてです。その自己評価の低さから幾度となく「私、最低だ……」と自虐してきた彼女が、音楽や仲間という武器を手にして高らかに観客を煽る際、「最高が欲しいんでしょ!」という言葉が飛び出します。最高を観客に届けようとするピキピキに継承されるべき概念としてこの上なく相応しい概念なわけですが、それだけに一つ留意すべきポイントがあります。ピキピキが継承する「最高」は小説版のポピパではなく現行のポピパのそれであるという点です。

小説版のポピパは、かつて存在した伝説バンド・RAZESの元メンバー達が散り散りになりながらも遺した意志をそれぞれが受け継ぎ、先人の果たせなかった再び夢を蘇らせたという、極めて運命的な関係性でした。RAZESの音楽がなければ5人が出会うこともなかったとまで言って良く、その結成は必然に導かれたものです。

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しかし、現行のポピパにそのような必然性はありません。戸山香澄が無軌道にキラキラドキドキを追い求めた果てに、ランダムスターや音楽と出会い、そしてポピパのメンバーをその夢に巻き込んでいく形でバンドが結成しました。その事実が肯定的に描かれたのがガルパのシーズン1の最後を飾ったイベントストーリー『君に伝うメッセージ』で、現行のポピパの姿は運命とは対極の、小さな偶然が重なって育った上での奇跡的な関係性だということが確認されました。小説版のポピパと現行のポピパで、関係の必然性が実は180度異なっているのです。

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『君に伝うメッセージ』は、アニメ2期のクライマックスと並行するタイミングで開催されました。アニメ2期のストーリーはガルパとは対照的に、ポピパの関係性に必然性が無いことを弱みとして突きつけてきます。主催ライブを目指すに当たって、Roselia、ハロハピ、パスパレ、Afterglowといったガルパ由来のバンドから確固たる個性を見せつけられ、ポピパも自分達がポピパたる所以が何なのかを、ポピパらしさを見つけ出す必要に迫られます。その悩みの渦中に、花園たえの元に現れたのが幼馴染みである和奏レイです。幼い頃に「大きくなったら一緒にバンドを組む」という約束をしていた2人の運命の再会であり、たえにとって一緒に音楽をする必然性が高いのはポピパよりも和奏レイでした。その結果、和奏レイが所属するRAISE A SUILEN(RAS)のサポートとポピパとの活動がどっちつかずになってしまい、ポピパにとっては記念すべき結成1周年を祝うライブを台無しにするという最悪の事態にまで陥ってしまうのですが、そうして揺れ動くたえをポピパ一本に引き戻したのが、香澄が歌うSTAR BEAT! ~ホシノコドウ~でした。

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ポピパとの出会いによって「昨日までの日々にサヨナラ」したこと、それ自体がポピパらしさです。確かに、5人の出会いは運命でも必然でもないかもしれません。しかし、その偶然の出会いを重ねて育んだ絆により、もはや5人は集まっていなくても常にポピパのことを考え、ポピパなしでの生活は考えられないほどになっています。ポピパの結成とその後の日々を共に過ごしたことによるその不可逆な自分自身の変化こそを、ポピパらしさと呼んで良いのです。

もし、あと1年早く和奏レイが花園たえの前に現れていたら、たえは後ろ髪を引かれることなく幼き日の約束を成就させていたでしょう。また、アニメ1期の段階で香澄が他に楽器の上手い人物と出会っていたら、その人物とポピパを結成することだってあり得ました。それでもなお、“もしも”じゃない“今”のポピパは、偶然の積み重ねによって出会った香澄、有咲、りみ、たえ、沙綾の5人です。そして、ポピパによって5人が不可逆に変化した今、この5人のポピパ以上のポピパを想定することはもはや不可能です。ポピパにとっての「最高」は、“今”の5人のポピパこそが他にあり得たどんな可能性よりも「最高」であるという“奇跡”によって成り立っています。その「他にあり得た可能性」には和奏レイとの“運命”も当然含まれており、“運命”という絶対的な関係をも相対化した上で自分達の関係性で凌駕してしまうのがポピパの“奇跡”です。

  

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ピキピキのユニットストーリーで描かれたのは、4人がPeaky P-keyを自分達の「最高」であると再確認するまでの過程でした。犬寄しのぶが祖父の紹介で大手レーベルから作曲の仕事を受注し、笹子・ジェニファー・由香が憧れのカメラマンとの交流を通じて自らの個展を催し、清水絵空が何やら大きなビジネスを展開する形で、Peaky P-key以外の活動を通してそれぞれの才能を羽ばたかせていきます。彼女らが「上」を目指すのならば間違いなく合理的な選択ですし、リーダーである山手響子も快く送り出しますが、練習時間の不足により、そして4人がピキピキのことを考えていた時間の不足により、満を持して出演したフェスで全く手応えのない無いライブを演じてしまいます。ここでもまた、観客は盛り上がるものの自分達は納得がいかないという、ハピアラに続いての問題設定レベルの高さが見て取れます。

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4人を元鞘に戻したのは、結局他の活動をしていてもピキピキのことを考えているという自分自身への気づきでした。1人ピキピキという場に残り続けてきた響子は元より、業務の制約から自身の楽曲に修正を余儀なくされたしのぶは尖りきった楽曲を尖りきったまま歌ってくれる響子の必要性を再認識しますし、由香も気分転換して1人出掛けた街角で4人とならこの時間をどう過ごせただろうとついつい考え、ピキピキがありのままの自分で居られる場所であると改めて実感します。絵空だけはなかなかピキピキの活動に復帰しないのですが、そもそもにして展開していたビジネスがS-hallというライブハウス事業の立ち上げであり、このハコでのライブによってピキピキの価値を再確認することで物語はクライマックスを迎えます。即ち、水面下でピキピキの再始動を画策していたのが絵空であり、響子とは全く違う形ながらピキピキをずっと想い続けてきた人物であったと言えます。

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響子がその本心を露わにして3人をきちんと引き止めてさえいれば今回の騒動は起こり得なかったことを踏まえるなら、ピキピキのユニットストーリーの全ての元凶は響子の寛容さにあったとさえ言えます。しかしその一方で、しのぶの攻めの楽曲をそのまま歌い上げ、由香のチャレンジングな演出を受け入れ、絵空の無茶苦茶な金遣いを許容するなど、他の3人を自由に活動させられるのも響子の寛容さの為せる技です。

前述したように、3人のピキピキの外での活動は、自分の才能で飛躍して行ける大チャンスでした。けれどもその上で、他の可能性と比較した上で自分を最高にしてくれるのはこの場所であると納得して3人はピキピキに戻ります。言うまでもなくこれは響子の存在あってこそであり、そして3人の意志を尊重し続けてきた響子が「この4人で最高の場所を目指したい」という自分のエゴにも似た意志を表明することで、ピキピキの4人が他のあらゆる可能性よりも「最高」の関係であることを再確認するに至りました。

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本記事を執筆中の現在、ピキピキが結成されるまでの経緯は明らかになっていないため、本当にこのユニットがポピパのように偶然の産物によって生まれたものかは定かでありません。しかし、Gonna be rightで「奇跡を起こすのは私」「運命なんて言葉は That’s right この瞬間のためにある」と、奇跡を受け止め運命を踏み台にしようとしている姿が描かれていることを思えば、ピキピキが帯びているテーマはアニメ2期のポピパと同様の奇跡による運命の超克でしょう。そして彼女らが超克すべき運命とは間違いなく、8年前のD4 FES.で同じ場所にいた4人で結成された運命の関係性のハピアラです。現在のピキピキはハピアラにとっての高い壁として君臨していますが、Gonna be rightはまた「挑戦者であれ」とも歌っており、ピキピキがハピアラに立ち向かう側になることを示唆してもいます。

 

「奇跡と運命」以外にも主人公ユニットであるハピアラとの徹底した対比が散りばめられており、そこがピキピキというユニットの最大の面白味と言えます。ハピアラがAroundをその名に冠しCiRCLINGの象徴であるを感じさせるユニットであるのに対し、ピキピキはとにかく尖ることを追求し続ける鋭利なの形を連想させる造形になっています。小説版BanG Dream!において戸山香澄は最終的に星のカリスマへと変貌を遂げたわけですが、この星のカリスマという二つ名はそのまま山手響子が名乗っても遜色はないものです。

また、香澄を除いたポピパ4人のイニシャルを並べると沙綾(S)、たえ(T)、有咲(A)、りみ(R)でSTARになるという“偶然”の一致に、ストーリー原案である中村航先生も当初驚かされたという逸話があります。その一方で、ピキピキも響子を除いた3人のイニシャルが由香(Y)、絵空(E)、しのぶ(S)でYESになります。こちらの一致は十中八九意図的なものだとは思いますし、ピキピキがイニシャルとしてのYESを継いでいるのに対してYes! BanG_Dream!をカバー曲として受け継いだのはハピアラという事実もまたあります。

その歌詞にもある通り、Yes! BanG_Dream!は「無敵で最強のうた」です。しかし、そのアンサーソングである夢を撃ち抜く瞬間に!では「無敵のうた」へと、最強が削ぎ落とされています。これにはきちんとした意味があり、“最強”は比較対象を必要とする強さである一方、“無敵”は敵さえいなければ良いので比較対象を必要としません。どう比較対象を必要としなくなるかは次のPhoton Maidenの章で詳細に述べる「星の鼓動」が重要になってくるのですが、早い話が敵味方の区別を取り払うことで無敵になったのが現在のポピパです。

ピキピキに話を戻しますが、他の可能性を吟味した上で、その全てよりも自分達が「上」であると誇示し、また絆を確かめ合ったわけですから、ピキピキの「最高」は相対的な“最強”に近い強さです。しかしその一方で無限にCiRCLINGを広げ、「ぼくんちは世界」とまで言い放つハピアラの強さは明らかに“無敵”に近い絶対的な性質のものです。「円と星」「運命と奇跡」「無敵と最強」といった、ポピパで対比的に語られてきた概念が、今ハピアラとピキピキというバチバチのOver Firendsにそれぞれ受け継がれ、よりダイナミックにぶつかり合おうとしています。

 

仲間とともに、世界と一体化する ~Photon Maidenと星の鼓動~

近未来的な神秘のイメージを全面に打ち出したユニットPhoton Maidenフォトン)が継承しているのは、CiRCLINGに並ぶ基幹概念とも言える星の鼓動です。CiRCLINGについては楽曲としてのCiRCLINGが誕生した辺りでかなり明白に描かれましたが、この星の鼓動はアニメ1期1話で戸山香澄が口にし多くの視聴者を混乱と挫折に陥れたにもかかわらず、その全容はアニメ3期が完結してようやく見えたという、ポピパの難解さの象徴のような概念です。まさに神秘を取り扱うPhoton Maidenに似合いの継承要素だとも思うわけですが、やはりCiRCLING同様に非常に多面的な意味合いを含んだキーワードとなっています。

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まず、星の鼓動とは世界との一体化です。戸山香澄がその昔訪れた山奥で見た満天の星空。その目に映る星々の明滅と、その胸を打つ鼓動とが重なって感じた、自分と世界が一体化したかのような不思議な感覚こそが、彼女の原初の星の鼓動です。そして作中でも何度も語られるように音楽には人々を1つにする力がありますGlitter*Greenのライブで会場全体が1つに、ペンライトの瞬きと、グリグリの奏でる音と、自分自身の鼓動が一体になったのを感じたことで、戸山香澄はバンドをやりたいという“初期衝動”を抱くようになりました。そしてまた同時に、ポピパは原点を到達点としてCiRCLINGしていくバンドなのですから、ポピパの音楽で世界と一体化するのが目指すべき最終目標です。

多くの東洋思想が語る究極の境地に通ずるものであり、大変イメージがしづらいとは思うのですが、オタクの皆様になら理解の近道として鋼の錬金術師6巻を読めと言えば通りが良いかと思います。エルリック兄弟がイズミ先生から叩き込まれた一は全、全は一という錬金術の基礎にして肝となる考え方がズバリ世界と自身とを同一視することであり、エルリック兄弟はこの境地に、無人島でのサバイバルを経て星空を見ながら辿り着きます。そしてこれは偶然なのか作為的なのかは分かりませんが、アニメD4DJの監督でありPhoton Maidenの音楽プロデューサーも務める水島精二氏は、2003年版アニメ鋼の錬金術師の監督でもあります

「だから何度でも、歌うんじゃないかな」
「歌は流れ、継がれる。どんな歌だって、再び歌われるときを待ってる。何年経っても、もう一度、思い出して口ずさむ」
「大切なものとは、何度だって出会えるんだよ。何度だって思いだして、何度だって乗り越えればいい。何度だって、昨日の自分にサヨナラすればいいと思うの」

続いて、星の鼓動とは記憶の底の小さな声です。星の鼓動がそのまま曲名になっているSTAR BEAT! ~ホシノコドウ~は、アニメ版でも小説版でも共に「沙綾と一緒にバンドを組みたい」という香澄の想いをありったけ込めて完成した楽曲です。小説版ではその完成を他ならぬ沙綾が後押しするのですが、この際に沙綾が語りかけた(上記に引用した)一連のセリフは想いの記録媒体としての音楽の価値が端的に示されています。楽曲に自身の想いを込めることでその想いは永遠に形に残り、また楽曲を再生する度に何度でもその想いを蘇らせることが可能です。音楽には、制作者がその折々に抱いている想いを、記録し復元する機能が備わっています

また、音楽は制作者の想いを形に留めるのみならず、時としてそれを聴く人の心の奥底にある想いに気づかせる作用も持っています。STAR BEAT! ~ホシノコドウ~は山吹沙綾の中にあった「本当はみんなと一緒にバンドがしたい」という想いを呼び起こしましたし、Peaky P-keyの章で前述したように花園たえに対してもポピパと出会ったことでポピパ以前の自分とサヨナラしたことを思い出させ、「再びポピパに戻りたい」という本当の気持ちを胸に再び走り出す最後の後押しとなりました。アニメ1期において悪い意味での語り草になっている3話のきらきら星も、自身の姉のために果敢に歌う香澄を見て、牛込りみが「臆病な自分から一歩踏み出したい」という本心に向き合っていったシーンです*7音楽には、聴き手が無自覚に閉じ込めていた“本当の想い”を呼び覚ます力を有しています飛び込んでいこう僕らのセカイへ!

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最後に、星の鼓動とは共に夢見る仲間達です。あの日の星の鼓動のようにキラキラドキドキさせてくれる存在が何なのか、アニメ3期の最終盤にて遂に戸山香澄が至った気づきが星の鼓動はみんなだった!というものです。この「みんな」とはPoppin'Partyの5人の意味であり、そしてガルパやアニメを通じて周囲に広がっていった絆でもあります。3期の最終話では、武道館に詰めかけた観客全員がポピパパピポパの掛け声を行うなど、ポピパと共に夢を見る人々の輪が武道館規模にまで広がったことを示していました。

とはいえ、ただ同じ夢を見ていれば良いというものではありません。そもそも、元来の意味での星の鼓動が世界と一体化することなのですから、バンドのメンバーが、そして周囲にいる人々が同じ気持ちで夢を見てこそ、星の鼓動と「みんな」は同一のものとなります。ポピパメンバーはこれをかなり無自覚に実践しているためポピパのストーリーからは語られづらいのですが、そこに外部からの視線を与えてくれ、また自身も衝撃を受けた人物としてRoseliaの湊友希那がいます。ガルパではこうして別のバンドの物語で他のバンドの本質的な描写をねじ込んでくるから油断ができません。ガルパのシナリオは全部読め!(決め台詞)

 

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以上の星の鼓動をきちんと踏まえると、Photon Maidenのユニットストーリーで出雲咲希が語った種々の発言が全て理解できるはずです。

咲姫がDJを志すきっかけとなったライブでかつて観たというフロア内の宇宙、それは言わずもがな、会場が一つになるほど高揚することでその場にいた全員が宇宙と一体化したものです。作中では共感覚を持つ咲姫特有の景色のように語られますが、音楽によって自分自身の存在が曖昧になりさえすれば、これは誰もが体感できる感覚に違いありません。ユニットストーリーからは話が逸れますが、Photon Maidenの最新シングルであるDiscover Universeはその星の鼓動をラディカルに表現しており、あからさまとも言えるほどに楽曲中で刻まれるクロック音が少しずつ早くなっていき聴き手の鼓動に同期する形で星の鼓動を呼び起こす楽曲として誂えられています。

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また、咲姫の共感覚は音を色として見るのみならず、音楽を聴く人の気持ちを色として見ることもできると言います。つまり、出雲咲姫の目には人々の想いと音楽がイコールとなって色彩として映るのです。その能力を活用して『観客の想いに合わせて音楽を届ける』という形で運用しているのが咲姫のDJスタイルなのですが、興味深いのはこの手法が記憶の底の小さな声としての星の鼓動とは真逆のプロセスになっていることです。

ポピパの星の鼓動は楽曲によって「心の奥底にある想い」という聴き手とっても未知だったものを既知にしていくのですが、出雲咲姫のDJは観客の想いから「今どの楽曲が求められているのか」という未知を既知にしてフロアに楽曲を届けます。楽曲→誰かの想いであるポピパと、フロアの観客の想い→楽曲である咲姫とで、楽曲と人々の想いの前後関係が反転しています。無論、このあべこべの関係は後々に双方の作用を循環、即ちCiRCLINGさせていくための布石となるものでしょう。

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そして、Photon Maidenが目指すのは4人が同じものを見据えることで感じられる宇宙です。物語開始前の彼女らは姫神プロデューサーによってその全てを作り上げられた人工物でした。しかしその結果ハピアラに敗北するという挫折から物語が始まり、姫神プロデューサーの手を離れて自分達で新たなPhoton Maidenを作り上げていくことになります。それからも、絶対者たるプロデューサーから同じく絶対的存在の出雲咲姫へと依存先を変えただけのような有様が続きますが、それまで咲姫という才能の塊を見上げるだけだった新島衣舞紀、花巻乙和、福島ノアの3人が、咲姫と同じものを見ようと歩み寄り正面から対話することで4人の見据えるPhoton Maiden像が一致していき、同じ宇宙を見据える仲間へと生まれ変わりました。ユニットストーリーを終えたPhoton Maidenは、その機械的なイメージとは裏腹の、人工物ではない血の通った関係です。

 

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Photon Maidenの物語においては、そのキャストの選出故か、Pastel*Palettes(パスパレ)およびRASを踏襲した描写も多く見られました。人工物からの脱却というテーマはそれこそ事務所の都合で誕生したパスパレが格闘し続けてきたものですし、それまで自分達の楽曲を作ってくれたスタッフへの感謝などはパスパレで今後絶対やってほしいものでしかありません*8。また、RASもチュチュという絶対者が君臨し支配していた一方的な関係性から、お互いに対話と本気の感情をぶつけることで真の意味での仲間になっていったバンドです。望まずにユニットの絶対者になってしまった出雲咲姫(CV. 紡木吏佐)が対話によって絶対者の座を降りていく過程は間違いなくRASの物語をなぞったものですし、極めつけにその様子を見守っていた姫神紗乃(CV. Raychell)が「私の時もそうだった」と口にするシーンは正直なところ読んでいて変な笑いすら出てきたほど強烈な前作との重ね合わせ方でした。

ですが、Photon Maidenが目指す先はパスパレでもRASでもなく、自分達の手で作り上げるPhoton Maidenであり、その独立性は楽曲から伺い知ることができます。パスパレが事務所の人工物という立場を崩さないまま少しずつ己自身を表現していこうとしているのに対して、Photon Maidenの楽曲ではその対極にある生命や自然をテーマとした歌詞が多くなっていますし、また、RASの楽曲が世界に対する破壊や暴動を表現しているのとは対照的に、Photon Maidenが求めるのは世界をそのまま受け止めて一体化することです。バンドリと共通したキャストも多く、それを武器しているのは間違いないのですが、前作の影響元とは真逆の世界観を作り上げようとしている意欲を確かに感じられます。

 

日常と非日常のHalation ~Merm4idとParty~

パリピ集団としてアゲアゲで突っ走るMerm4idが継承しているのは、そのものズバリPartyです。Poppin'Partyのバンド名にも含まれているその単語は、イメージ通りの宴会の意味合いとはまた別に、RPGのパーティのような一行の意味も含まれています。

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まず、Partyにはみんなの気持ちを一つにするものとしての価値が見出されます。アニメ1期が終わり、ガルパにその物語のメイン展開が移行したポピパの最初の物語は、商店街のお祭りを復活させるために奔走するものでした。その過程でポピパの5人は、お祭りという特別なイベントによって人々が繋がり、絆を深め、一体感を醸成していくという営みに気づいていきます。とはいえ、この部分に関しては、先に述べた「世界との一体化」としての星の鼓動を格段にスケールダウンしたものでしかないのも事実です。しかし、ポピパにとってのParty=お祭りは、星の鼓動とは全く別の方向でその意味合いが強化されていきます。

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現在のポピパにとってのPartyは、いつもの日常に変化を与える“非日常”です。事あるごとに記念日を祝い、何気ない日常にサプライズをもたらすことで、逆に日常の価値を噛み締める日々を謳歌しています。ポピパがパーティを催すことで生まれる“非日常”は、「日常でないもの」という意味ではなく「特別な日常」であり、あくまでも日常の延長線上に存在するものです。この“非日常”の力は、ポピパがハロウィンを満喫するイベント『Poppin'ハロウィンパレード』にて、“非日常”をある種の言い訳にしてしまうことでどんな「なりたい自分」にだってなることができるものとして印象的に描かれました。この力は「なりたい自分」に限られるものではなく、出来ないと思い込んでいるだけで、やろうと思えば出来る潜在能力を引き出す力としても扱われています。アニメ3期3話で朝日六花をRASへと送り出す際、「本当のキミに今ならなれるはず」と語りかけて授けたそのエネルギーは、そんな“非日常”の力と同根のものです。

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この考え方が劇的な効果をもたらしたのが、アニメ3期でのガールズバンドチャレンジへの挑戦でした。自分達で企画して日常の延長線上にあったそれまでのパーティと違い、ガールズバンドチャレンジは月島まりなが企画した他力により与えられる「非日常」です。その過程で数多のライブをこなしながら、学生の本分であるテスト勉強、そして老人ホームや幼稚園での慈善ライブといった突発的に舞い込んだ“非日常”を巧みにこなしていきます。バンドストーリー2章やアニメ2期で度々日常と非日常の両立に失敗し続けてきたポピパがそれを乗り越える術は、学業や普段のライブという日常の大きな流れの中に、ガールズバンドチャレンジという「非日常」を組み込むという、日常と非日常の間の好循環を生み出す形でした。3期OPであるイニシャルの歌詞で特に印象的なフレーズの「連続する日常と断続する非日常が触れ合って絡まってHalation」は、まさにこうした好循環によってポピパがその輝きを増していった様子を凝縮したものです。

 

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根源的な意味でのParty=フロアの一体感は、Merm4idがファーストライブで早速実感し、その後も体感し続けるものになります。Photon Maidenのそれがフロア全体を包み込むものとして描かれていた一方、Merm4idにおける一体感は周囲を強引に巻き込んでいく力としてより破天荒に描かれます。元々、Merm4idの結成は、瀬戸リカがリゾートDJを夢見たことで水島茉莉花を、ゼミのパーティーに誘うことで日高さおりを、そしてパーティー会場でブチ上がる盛り上げを見せたことで飛び入り参加の松山ダリアを巻き込んでいく形で実現しました。その勢いはとどまるところを知らず、ライブでは観客を熱狂の渦に、そしてステージ外ではSNSのバズをも味方に巻き込み、凄まじいスピードでMerm4idの影響力を広げていきます。

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また、根っからのParty Peopleである瀬戸リカと水島茉莉花に関しては、Merm4idを結成する以前からPartyという“非日常”を日常に組み込んでいる人物でもあります。彼女らとは対照的に根がド陰キャな日高さおりは、そんな2人を当初まるで別の世界の人間のように受け止めますが、そんな彼女もMerm4idを結成してからは非常事態が日常になり、騒がしい日常を過ごしていくことになります。そして物語中盤、たまたま大物DJに見初められるという幸運によって苦境を脱し、そのコネによって大きな舞台へと登り詰めて行きます。言うまでもなくこれは他力による「非日常」なのですが、その「非日常」を味方につけて実力以上のパフォーマンスを自分の中から引き出していく姿は、疑いようもなく“非日常”の力の体現でした。本来ならばあり得ない「非日常」すらも、自分達のPartyの一部として取り込んで演じてしまえば、そこは日常の延長線上です。

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とはいえ、最終的に自分達の実力不足を痛感し、それまでテキトーに生きてきた瀬戸リカにすらも確かな向上心が芽生える形でMerm4idの物語は一旦幕を閉じます。そもそも、瀬戸リカがDJユニットを組んだのはリゾートホテルのレジデントDJになって常夏気分の人生を過ごしたいという何とも向こう見ずで行きあたりばったりな動機からでした。しかし、Partyには共に冒険する一行の意味合いもあります。当然に冒険は非日常を求めるものですし、リゾートだろうと定住してしまえばそこは日常です。彼女がMerm4idというPartyで味わう冒険の果てに、本当にリゾートに根を張るような冒険のない日常に満足できるのかが、今後の物語においてアンビバレントな選択肢として迫られてくるものと思われます。

 

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Merm4idのユニットストーリーにおいて恐るべき部分は、物語の谷間がまるで無いという点です。4人の胸の谷間はスゴイのにね! 困難に陥りそうになる度に本人達の実力以上の運と人脈を味方につけて、そのままノリと勢いで20話を走り抜けてしまいます。しかしながら、彼女らがその過程で味方につけた運や人脈は、実力に見合わない誇張された尾ヒレです。そしてそれは、肥大化した尾ヒレをそのまま荒波を泳ぎ抜けるための推進力に変えていくという形で、人魚をもじったユニット名に相応しい彼女らなりに道を切り開いていく確かな武器にもなっていました。極めてキワモノでありトリッキーなサクセスストーリーでしたが、それがまたきちんと名が体を表すものになっていたことは間違いありません。

 

誰よりも幼い大人の夢 ~燐舞曲と“夢”~

ゴシックでアダルティなオーラを醸し出しながら切実な自己否定との戦いを歌い上げる燐舞曲が継承しているのは“夢”です。BanG Dream!は読んで字のごとく夢を撃ち抜く物語であり、その夢が何なのかは常に重大なテーマとして横たわっています。

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まず、戸山香澄にとっての原初の夢は星の鼓動でした。Photon Maidenの章でも触れたように、幼き日に感じた世界と一体化するような感覚を再び味わえることを夢見て突っ走ってきたのが戸山香澄であり、それは今ポピパの音楽で世界を一体化させるという新たな夢へと変貌しています。人々を巻き込む力を手にした現在であればそれは全く笑い話でも何でもない目指すべき夢なのですが、問題はPoppin'Partyを結成したての未熟な時期からそんな“夢物語”ばかりを追い求めてしまっていた点です。SPACEオーナー・都築詩船から「何にも見えてない、周りも、自分も」とその盲目さをバッサリ指摘されたことで、星の鼓動に辿り着く道筋が見えなくなり、香澄から声が失われてしまいます。

失意の香澄を救い上げたのは、それまで香澄が救ってきたPoppin'Partyの仲間達でした。5人で共に前へススメ!を歌い上げたことにより、香澄の夢が真上にあるもの(星の鼓動)から周囲にあるもの(ポピパの仲間達)へと転化し、ようやく香澄が周囲の仲間の目を見つめながら夢を見ることができるようになりました。前述したように、星の鼓動は共に夢見る「みんな」でもあるわけですが、その意味での星の鼓動=夢=仲間達という等式が成立したのはこの前へススメ!を歌った瞬間です。

あの日わたしは 少女でも大人でもなく
混じりけのない眼差しで 夢だけ見てた

アニメ3期OPのイニシャルはアニメ1期で香澄が挫折した時期(あの日)を歌った楽曲でもあります。このAメロの歌詞で、確かに眼差しには一切の混じりけなく夢を見つめているのですが、見つめられる“夢”には「少女の夢」と「大人の夢」が混在しています。「少女の夢」は、まだ幼かった戸山香澄が夜空を見上げて感じた星の鼓動です。そして、「大人の夢」は前へススメ!以来共に夢を見続けているポピパや、その周囲に広がっていった仲間達の存在そのものです。そして少女でも大人でもなかった“わたし”は、今や「少女の夢」であった世界との一体化に近づいていき、「大人の夢」である仲間達の存在によって孤独を感じることはなくなっています。

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そして、BanG Dream!とは、偉大なる先人の夢を自分達の夢として撃ち抜くことです。小説版のPoppin'Partyは、かつて新宿で活動していた伝説のバンドRAZESがあと一歩のところで届かなかった夢を掘り起こし、自分達の夢として蘇らせていきました。このRAZESが夢を撃ち抜く際に歌われるはずだった楽曲のタイトルがその名もBanG Dream!だったのですが、Poppin'Partyが結成していくまでの過程でオリジナルの歌詞を宛てがい、曲名もYes! BanG_Dream!というオリジナルの楽曲へと変質させていきました。

また、アニメ1期で絶大な存在感を放っていたSPACEオーナー・都築詩船の夢は「ライブハウスの敷居を下げ、ガールズバンドがもっと広く親しまれる」というものでした。その夢をやりきったと感じてSPACEを畳む決断を下したわけですが、アニメ3期になるとライブハウスがどこも予約でいっぱいという大ガールズバンド時代が訪れ、そしてSPACEで最後に見初めたPoppin'Partyが武道館にまで輪を広げて“やりきった”演奏をする光景をその目に焼き付けます。都築詩船の夢もまた、Poppin'Partyが夢を撃ち抜くと同時に撃ち抜かれたものです。

 

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燐舞曲のユニットストーリーは、まさしく巨大な天上の“夢”を地上にいる仲間達へと降ろしていった物語です。ユニットを結成した当初、燐舞曲はそれまで孤独だった青柳椿にとっての温かな居場所となりました。過去のトラウマから失っていたアイデンティティを三宅葵依から新たに与えられて生まれた己の在り処であり、それ自体は大変ドラマティックなのですが、その一方で燐舞曲は老舗クラブハウスALTER-EGOの看板DJユニットという顔もあります。4人で、或いはALTER-EGO内で歌っている間は居心地良く歌っていれば良かったものの、対外イベントに参戦した際に己の背負うALTER-EGOの代表という使命の大きさを客観視せざるを得なくなったことで、ステージ上で声が出せなくなってしまいます。歌えなくなっちゃった!

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あからさまにバンドリ1期の前へススメ!をなぞった展開なだけに、その解決も同様に青柳椿の夢を燐舞曲の4人そのものに集中させることで達成されます。香澄が星の鼓動という遠大すぎる夢から周囲にいる仲間達へとその目線をスライドさせていったように、椿の頭上からALTER-EGOという看板が取り払われたことにより、燐舞曲という自分の居場所を見つめることで自分なりの夢を追うことが可能になった格好です。

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また、これは青柳椿のみならず、その看板を取り払う役目を担った三宅葵依についても言えることです。もとを正せば、燐舞曲はALTER-EGOの次期専属DJである三宅葵依のために用意されたユニットでした。当初からクラブでVJを務めていた矢野緋彩に、ゼネラルマネージャーの真咲が用意したボーカルである佐倉由貴を含めた3人で発足する予定だったものの、最終的に葵依自ら選び取った月見山渚と青柳椿の2名を勧誘し、ALTER-EGOから用意された存在である佐倉由貴を排することで、三宅葵依が自らの意思で作り上げた燐舞曲として出発していきます。葵依にとってもまた、ALTER-EGOという看板は己の上にのしかかる分不相応な重荷であり、自分が見つけた仲間と作り上げた燐舞曲こそが三宅葵依が自分らしく見据えられる等身大の夢です。こうした燐舞曲の他力を徹底的に拒絶する点は、他力をどこまでも自分達の力として巻き込んでいったMerm4idとの鮮やかな対比でもあります。

結局のところ、燐舞曲がALTER-EGOという看板に決別したことは4人の中で内密に行われたことであり、一見すれば自分達を信じてくれているクラブに対しての裏切りとすら言って良い行いです。ですが、先代ユニットが遺したALTER-EGOの象徴とも言えるprayerをprayer[s]という燐舞曲なりの夢へと作り変えることで結実した再出発は、先代を知る真咲の目から見ても燐舞曲が先代の夢を受け継ぐ存在として頼もしさを感じさせる姿として映りました。自分達で見据えた夢を撃ち抜かんとするからこそ先代に与えられた夢すらも撃ち抜けるという、BanG Dream!の原点がそこには垣間見えます。

 

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燐舞曲の物語において独特とも言えるのは、主人公である青柳椿の極端なまでの幼さです。ユニットストーリー全編を通して、パートナーである三宅葵依に全てを与えてもらうだけの受動的な態度を崩すことはありませんでしたし、葵依に誘われて最初にクラブに来た時には事情もろくに知ろうともせず別のボーカルに子供じみた嫉妬心を露わにする始末でした。言動や風貌だけなら一見幼い月見山渚からも、第一印象として後輩に見られていたりと、徹頭徹尾大人びているだけの少女として描かれています。上記のスクリーンショットでは凛々しい表情で「私は私が必要とされる場所に行くの」とその決意を語っているようですが、実のところ、この場面は三宅葵依が自分を迎えに来てくれるのを待っているだけのシチュエーションでしかありません。なーにが「行くの」じゃ、足を動かせ、自分の足を!

とはいえ、燐舞曲のユニットストーリーで語られた夢は、ユニットを組む仲間達こそが夢そのものであるという「大人の夢」のみでした。ユニットストーリーを終えてなお、月見山渚と矢野緋彩の2人は自身の持つ秘密を抱えたままとなっており、メンバー全員の見ている景色を一致させる必要がある「少女の夢」=世界との一体化からは程遠い状態です。“夢”を継承していながら燐舞曲がポピパと決定的に異なっているのは「少女の夢」である世界との一体化を一切感じることなく「大人の夢」だけを見てしまった点です。これは言い換えれば、少女を経ずに大人になってしまったのが燐舞曲であり、とりわけ青柳椿という依存心の塊のような主人公にそれが強く投影されています。

「少女の夢」である世界との一体化は、自分自身を世界そのものと溶け合わせていくという意味ではかなり依存的な概念でもあるわけですが、この先の燐舞曲の物語では、その依存的な「少女の夢」を体得しながら青柳椿が自立心を獲得していくことになるでしょう。誰よりも大人びた雰囲気を持ちながら、本質的に誰よりも幼い彼女は、「少女の夢」と「大人の夢」を混在させて本当の“夢”に変えていく物語の主役としてこの上なく相応しい存在です。

 

何かが始まる予感はどこにだってある ~Lyrical Lilyとキラキラドキドキ~

お嬢様学校で結成された深窓の令嬢達による異色のユニットLyrical Lily(リリリリ)が継承しているのはキラキラドキドキです。星の鼓動とキラキラドキドキは同じ概念なのではないかと思われるかもしれませんが、共通項こそあれども明確に線引き可能な別個の概念です。というか、この際なので種明かししますが、後半3ユニットが受け継いでいるPartyと“夢”とキラキラドキドキは、星の鼓動の1要素をそれぞれCiRCLING概念を加えながら独自に膨らませたものです。

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まず、キラキラドキドキとは何かが始まる予感です。ガルパの『二重の虹』戸山香澄★4[星空を見上げて]のエピソード「ずっと一緒に」という嫌がらせのようにアクセスが悪いテキストにて、それが決定的に明文化されています。また、当該エピソードではそのキラキラドキドキは当初は自分が感じていれば良かったものの、今ではポピパやその周囲のみんなもキラキラドキドキしていないと感じられない性質のものへと変わってきたとも語られており、キラキラドキドキが前述の星の鼓動や“夢”と共通する概念であることがこのエピソードからも理解できます。早い話が、キラキラだとか夢だとか=Sing Girlsです。

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また、キラキラドキドキとはどこにでもあるものです。これはRoseliaの今井リサから作詞の方法を聞かれた際に戸山香澄が答えたもので、具体的にキラキラドキドキを感じられるものとして、「朝起きて窓の外から聞こえる小鳥の囀り」や、「朝食を食べに階段を降りる際に漂うパンが焼ける匂い」が挙げられます。香澄らしい突拍子もない発言に聞こえますが、この2例はどちらも新たな1日の始まりを告げるものであり、日常の中の何かが始まる予感として、先に説明したキラキラドキドキと完全に一貫しているものです。意識して周囲を見渡せば何かが始まる予感はどこにでも転がっているものであり、現に、ポピパを結成するきっかけとなったのは戸山香澄が下を向いて歩いている時に見つけた星のシールというほんのささやかなキラキラドキドキでした。

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どこにでも存在している一方で、きちんと意識を向けなければ見失ってしまうのがキラキラドキドキの厄介な性質です。その視界からキラキラドキドキが枯渇したらどうなってしまうのかを実際に体験した人物として、ライブハウスCiRCLEの実質的な管理者である月島まりながいます。かつてはプロデビューを夢見てバンドを組んでいた彼女でしたが、その夢に固執し、また夢が全く実現しないことに焦れるあまり、バンドメンバーと過ごす時間すらもギクシャクしたキラキラドキドキしないものになっていきました。何かが始まる予感が一切無い日々は終わりなき退屈です。結局そのバンドは解散に至りますが、活動の最後にHOPEというそれまでの鬱屈した日々からは生み出せない楽曲を作ることで月島まりなは新たな人生の船出へと漕ぎ出しており、このHOPEこそ彼女にとっての何かが始まる予感になりました。キラキラだとか夢だとか希望だとかドキドキだとかでこの世界はまわり続けているのです。

Merm4idの章でも触れましたが、現在のポピパは日常の中にサプライズを与え続けることで日常の延長線上に“非日常”を作り出しています。そしてまた、月島まりなの結末を踏まえるならば、サプライズは日常にキラキラドキドキを感じ続けるための有効なマンネリ予防策でもあり、ポピパはパーティやドッキリをお互いに仕掛け合うことで、始まりの予兆を見逃すことなく走り続けることに成功しています。

 

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DJ文化が人々の日常の一部と言えるほど浸透しているD4DJの世界観にありながら、厳格な規律が支配する有栖川学院という箱庭に生きるリリリリの4人はDJとは全く無縁の日々を過ごしていました。そんな4人にとっての最初のキラキラドキドキは、体育倉庫で発見したアナログのレコードプレイヤーです。学院での日々に薄っすらとした退屈を感じていた桜田美夢が、本来ならそのまま廃棄されるはずだったビンテージ品からそれまでの日常を打開してくれる予感を覚え、4人の秘密の地下活動としてDJという新たな世界に踏み出していきます。

とはいえ、レコードプレイヤーはあくまでもきっかけに過ぎません。いくら世間知らずな彼女らでもこの世界で大流行しているDJを一切知らなかったわけではなく、「他校の子達がやってるアレ」程度にはその存在を把握していました。ただ、学院の規律に縛られ保護される生活を送っていたために、自分達とは全く無縁の世界のものという認識であっただけなのです。その豊富な資金力でDJ機材を揃えさえすれば、レコードプレイヤーに出会わずともいつだってDJを始められたはずです(隠れオーディオマニアだった春日春奈は特に)。DJという活動自体、リリリリにとってはそれまで意識を向けずにいたキラキラドキドキに相違ありません。

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当初は4人だけの地下活動として始まった「DJの集い」でしたが、クラスメイトにバレたことを契機にその参加者が増え始めます。貞淑さを強要される学院生活に退屈している女学生達からすれば、DJなどという新しいことを始めてワクワクしているリリリリの4人そのものがキラキラドキドキに映り、あとはお馴染みのCiRCLING概念でその輪が広がっていきます。陽葉学園のようなDJ活動を推進している学校であればそれで問題なかったのですが、ここはシスターらの管理で雁字搦めの有栖川学院であり、リリリリの輪の拡大は彼女らを縛り付ける学院の規律と衝突することになります。言うなれば、有栖川学院という舞台自体が、キラキラドキドキが見失われた終わりなき退屈になってしまっていました。

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しかしその傍ら、彼女らの“新しい始まり”となってきたのは、ビンテージのレコードプレイヤーであり、地下書庫の遺構であり、レコードショップで買い漁った古いレコードであり、図書室から取り出した偉大な文学という既存のレガシーでした。ここが非常に重要なのですが、キラキラドキドキは失われるのではなく見失わるものです。伝統と戒めに縛られた有栖川学院であろうともその目を凝らしさえすれば何か新しいことを始めるのは不可能ではなく、現に彼女らは先人の遺産を巧みに組み上げて自分達にとっての新しい冒険を繰り広げていきます。何かが始まる予感は、どこにだってどんな古いものにだって存在しているのです。

 

ここまでは、ポピパで語られてきた馴染みのあるキラキラドキドキの概念でした。しかしながら、Lyrical Lilyの物語の圧巻とも言えるところは、ポピパから継承したそれを更に発展させ、全く新しいキラキラドキドキをも見せつけてくるところです。それがまた、ミッションスクールを舞台としたリリリリならではの、キリスト教というレガシーを土台にして説かれていきます。

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学院長という権力者の後ろ盾も味方につけたとはいえ、美夢達の活動は「みんなに音楽による喜びを届けたい」という規律以前の学院の理念である奉仕の精神に適ったものと認められ、その活動が学院に公認されることとなります。この奉仕の精神を最も体現したのが、誰よりも学院の規律に背き続けてきた白鳥胡桃です。「DJの集い」が明るみに出てしまった際に、彼女はみいこと共に全員の罪を全て引き受けて退学になろうという、十字架を背負って贖罪を遂げたイエス・キリストそのものとも言える行動を取ります。

また、白鳥胡桃は竹下みいこと共に頻繁に校則違反といたずらを繰り返すトラブルメーカーでもあり、当初から学院の規範の破壊者でもありました。ですが、そもそもにしてイエス・キリストが生前に行ってきた人々への救済も生活様式まで規定するユダヤ教の律法主義に背いて行われていたものだったことを思えば、人々への奉仕が既存のルールを破壊することを伴うのはむしろ当然です。常に規範を破壊してきた彼女の自己犠牲的な奉仕の精神が学院長の心を動かす決定打となり、それまで学院生達の枷となってきた規則が大々的に破壊されることになりました。

そして、胡桃とみいこのいたずらは、退屈を打破するサプライズとしてのキラキラドキドキの実践としての側面あります。物語の開幕当初から桜田美夢がその賑やかさに救われていた様子も描かれていますし、そして何より、レコードプレイヤーという原初のキラキラドキドキに辿り着いたのは胡桃とみいこのいたずらの罰として体育倉庫の整理を命じられたのがきっかけでした。2人のサプライズは、リリリリが新たに物語を始めるための福音でもあったのです。

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キリスト教における福音にはイエス・キリストによって説かれた教えという意味の他に喜ばしい知らせという意味もあるわけですから、福音もまた新しいことが始まる予感を知らせるキラキラドキドキです*9。リリリリにおいて福音としてのキラキラドキドキを特に受け持つのが、白鳥胡桃のいたずら仲間である竹下みいこです。底抜けに明るく、誰とでも打ち解けられる性格の彼女は、物語中盤にて「DJの集い」に及び腰だった少女の手を取り、新しい世界へと誘う活躍を見せました。そして、クライマックスである親睦会では、それまでクラシックコンサートしか知らずにいた上流階級のオーディエンスを今までの音楽に対する常識から解き放つという決定的な働きを演じ、静まり返っていた会場を熱狂の渦に巻き込む立役者となります。

リリリリのキラキラドキドキは、既存の固定観念を破壊する福音です。6ユニットの中で唯一DJ文化との出会いから始まったユニットであるだけに、DJに対しての先入観を自他共に取り払っていきながら、その音楽で人々に“はじまり”を告げていきます。破戒の罰から始まり、その罪を背負うことで精算しようとした不自由な物語は、その場にいる誰もに自由の翼を与える最高の結末を迎えました

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2つのCiRCLINGを繋いで見えるもの ~D4DJとBanG Dream!

バンドリ!プロジェクトの初期に中村航先生が著した小説版BanG Dream!は、市ヶ谷有咲役の伊藤彩沙さんをしてバンドリの聖書と言わしめた傑作です。それをパロディして、コロコロアニキで連載中のニャロメロン先生のギャグ漫画「バンバンドリドリ」はバンドリの辞書という体裁で、シュールレアリスムの極致のような一冊に仕上げてきました。

本記事は、それらを受けてバンドリの取説となることを目指して書き上げました。これからポピパの物語を読んでみようという方や、D4DJ・グルミクの物語をこれから追いかける方が、本記事を手元に置いて参照するような使い方も想定しており、そしてそれに堪えるだけのものは詰め込めたと自負しています。

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これは僕の予想に過ぎないのですが、D4DJはバンドリと並び立つコンテンツとしてデザインされているように感じています。グルミクのゲームシステム全般に触れてまず感じたのはそのあまりの負担の軽さでしたし、明らかにガルパの“サブ”として遊べるように設計されています。また、本記事で長々と語ってきたように、D4DJがバンドリ、とりわけポピパから多大な影響を受けて作られたことはもはや自明なのですが、他方、今後はD4DJの側がバンドリに影響を与えてくることも予想されます。その一つの例が、ガルパで最近開催されたMorfonicaの箱イベント『新たな旅立ちのアインザッツ』です。このイベントストーリーでは、驚くべきことにグルミクで6ユニットそれぞれで行われたようなPoppin'Partyの継承をMorfonicaたった1ユニットでこれでもかと実現したものになっています。Craft EggとDonutsの間で綿密なやり取りが行われたとは流石に思わないものの、双方を統括するブシモの戦略としてこうした相乗効果を目論んだことは想像に難くありません。

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Happy Around!の章でも述べましたが、ポピパの物語はアニメ3期をもって一つのCiRCLINGを完成させ、それを通過点とすることで新たな地平へと歩み始めています。そして、D4DJはポピパがその1つ目のCiRCLINGに至るまでに培われたものを全面的に受け継いだコンテンツです。2つのCiRCLINGが相互作用を及ぼしながら生まれる図形は、終わりのない形のムゲンダイです。この2つのコンテンツは、並行して味わうことで途方もなく大きな景色を見られるものになっていると見込むことができます。

 

恐縮ながらも、この長い長い記事を全て読んだ方であれば、その2つのCiRCLINGの“繋がり”が相当程度明瞭になったものと信じています。さあ、この2大コンテンツを共に追いかけ、CiRCLINGを超えたムゲンダイを感じていきましょう。

次はキミの番だよ!

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*1:中村航先生が直接的に携わったのは小説版のみですが、その後もポピパ楽曲の作詞者として、Craft Egg或いは綾奈ゆにこ先生の紡ぐ物語を“まとめる”役目は継続されています。

*2:プロセカが言わずもがなCraft Eggラインの継承者であることを思うと、バンドリを支えてきた2つの流れがそれぞれ独立したコンテンツとして立ち上がったのがD4DJとプロセカであるように感じられます。

*3:ガルパのバンドの中でも人気は不動の最下位と言う外なく、また、アニメ1期の難解さや小説版に当たるまでのハードルもあり、ポピパに深く触れられているバンドリファンというのはおそらくほんの一握りです。

*4:出典:https://news.livedoor.com/article/detail/16433970/

*5:勿論、アニメの後の時系列なので、アニメでの出来事を乗り越えた段階ということは念頭に置くべきです。ただ、それを加味しても問題レベルが高かったように思います。

*6:ポピパにおけるGlitter*Green(グリグリ)の立ち位置に相当します。グリグリの声優陣がミルキィホームズであったことを思えば、前作主人公のキャストに現主人公の憧れの存在を担当させるのが慣例化してきたと言えます。

*7:アニメを通して綾奈ゆにこ先生はモノローグを徹底的に使用しないというこだわりを持っており、それが独特の味を生み出していることに疑いの余地は無いのですが、きらきら星のシーンに限ってはそれが非常に悪い形で作用してしまいました。この際にりみの心情に何が起きていたのかは柏原麻実先生が手掛けたコミカライズ版が大変見事に補間しているため、是非手に取ってその疑問を氷解して頂ければと思います。

*8:パスパレはガルパ7バンドの中で唯一自分達で楽曲を制作していないバンドです。そんな彼女らが楽曲の制作者をどう思っているかは長らく注目されているトピックでもあります。

*9:実は、ポピパ楽曲でもHappy Happy Party♪の「光あれ」という聖書の引用として、この福音としてのキラキラドキドキは既に語られていたことです。