矛盾ケヴァット

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BanG Dream! It's MyGO!!!!! 5話感想

 

 

要楽奈、始動!!

第5話にして、遂に要楽奈が本格的に物語に絡んできました。まあ、やったことと言えば勝手にギター弾いて勝手にバンド参加表明して勝手にパフェ食い逃げして帰っていっただけなのですが、流石にそのバックボーンも少しは明らかに。愛用しているヴィンテージのギターは、何でもお婆ちゃんから譲り受けたものだというのです。いや~、ここまで来たらバンドリファンならピンと来ますよね! バンドリにおいてお婆ちゃん世代と言えば、SPACEの経営によりライブハウスの敷居を下げ、大ガールズバンド時代の下地を築いた偉大な先人である都築詩船を置いて他にはいません。つまり、要楽奈は都築詩船の孫だった! なるほど、ありそうな話です。かつて組んでいたミラキュラスカーレットではギターボーカルだったわけですし、偉大なる祖母の相棒を継承した孫が、新たなるBanG Dream!でメインキャラを務めるというのも極めて王道。というわけで確認のためにと1期5話を再度視聴してみたところ……。

全然違うギターじゃねーか!!!

いや~、絶対関係あると思ったんだけどな~。立希から「野良猫」と呼ばれるほどRiNGで好き放題できているのもお婆ちゃんのコネだとすれば納得はいくところ。経営母体こそCiRCLEでその2号店という成り立ちですが、ここの主力スタッフはかつてSPACEで働いていた真次凛々子。旧知の仲の彼女に、孫の世話をお願いしていると考えても不思議ではありません。お婆ちゃん、もう足悪いしね……。とはいえ現状で都築詩船との関係を確認できるほどの情報はまだ何もないとしか言いようがありません。ただまあ、楽奈がオッドアイであることからも家庭事情には複雑なところがあるでしょうし、まだまだシークレットを抱えてはいそうです。フン、おもしれーキャラクター……

出番は短いながらも、楽奈の存在は確実に、池に投げ込まれた石のようにその波紋を名前はまだ無いバンドに広げていきます。そよは愛音に続き割り込んできたCRYCHIC再興を妨げる不純物に明らかに不快感を示しますし、愛音は自分より遥かに上手いギタリストの登場によりバンド内でアイデンティティ・クライシスに直面。とはいえそれでも練習に身が入らないのが流石の愛音と言ったところ。もっと言えば楽奈がお婆ちゃんから受け継いだギターを大切にしているのを見せつけられたにもかかわらず、愛音はと言えば練習放り投げてギターを地べたに置いて美容動画を観ています。技術どころか道具をリスペクトする姿勢すらも、楽奈から何も吸収していません。お前そういうとこやぞ

楽奈の与えた衝撃として何より大きかったのは春日影を自己流にアレンジしてしまったことでしょう。日陰者としての日々を過ごしていた燈を一瞬でも光の世界へ連れ出してくれたCRYCHICへの感謝を歌い上げたその曲は、楽奈の手によってちょっとオシャレなロックバラードに様変わりします。楽奈はバンドスコアを見ただけでギターと鼻歌でこれを奏でていたことからも、燈の想いの部分には一切寄り添っていません。まあバンドスコアなので歌詞が書かれていない点は仕方ないにしても、そのメロディにしたって豊川祥子が燈の想いに寄り添って作曲したものではあるわけです。

CRYCHICの始まりは豊川祥子が燈のノートに綴られた言葉を勝手に歌詞にしたからであり、言わばCRYCHICは燈の歌詞が土台のバンドでした。そこをガン無視してメロディの良さだけを抽出してご満悦している楽奈は、詞を度外視して音楽をやっているバンドマンと言えます。どちらが悪いわけではないにせよ、音楽性の違い。1話で愛音が軽々しく口にした言葉が、楽奈と元CRYCHIC組の3人の間には、断絶として横たわる予感がしてなりません。

……とはいえ、それ以前にそよが燈の歌詞が苦手だったという情報が出ているので、CRYCHICの時点から音楽性は違っていそうなのですが。今回も、燈がノートに描く世界観を一瞥するのみで微塵も関心を持っていない様子も滲み出ていました。怖いよママ~!

 

別れるはずのない場所、すれ違い続ける場所

春日影が楽奈にアレンジされてしまったことに寂寥の念を感じる燈の心境は、歩道橋の真ん中での立希との語らいにて吐露されました。燈を勇気づけようとする立希はと言うと「燈の歌、ずっと忘れられなかったから……」と何か自分の感情を吐き捨てては照れ隠しするように去っていくなど、お手本のような童貞ムーヴを見せつけてくれます。しかも燈は相当それが意外そうなリアクションをしていたわけで、この童貞の想いの丈はほとんど伝わっていません。ドラムの横にまで連れてきて守護ろうとしたのに……

そんな劇的に情緒を揺さぶりながらすれ違う場面が続くシークエンスになっているのですが、ここにはもっと根本的な疑問があります。歩道橋が本来的に別れの場所にはなり得ないことです。

4話でも歩道橋で別れるシーンというのは描かれていました。こちらは燈の方から立希へと「またね……」と一方的に別れを告げられるのですが、どちらが先に切り出すにせよ、歩道橋の真ん中で別れるというのは異常な現象でしかありません。普通、同行者と別れるときというのは交差点なり曲がり角なりで、お互いに行き先が違う時の「分かれ道」で歩みを異にするもの。歩道橋という場所はとりあえず向こうの歩道に渡りたい時に利用するものなのですから、同じ“向こう岸”に行こうと登った以上、行き先が別ということはあり得ないですし、根本的に歩道橋自体は階段を除けば一本道。しかもそのド真ん中で突如別れるというのは普通に日常生活を送っていれば絶対に起こり得ない事態です。それこそ、お互いの心がすれ違っていて居心地の悪さを感じているとかでなければ……。4話では燈が、5話では立希が、この場に居続けることを拒絶した結果として先に立ち去る形で別離していきます。おそらく2人とも、この後の帰り道は途中までほぼ一緒であったにもかかわらず……。

あまりにもすれ違いすぎている2人の心境が見て取れるのですが、もっと言えば、歩道橋という場所はその下にある車道で自動車が絶えずすれ違い続けている空間でもあります。一本道でありながら、すれ違いを感じられる場所。そういう舞台装置として設定されているように感じられます。そして、一本道ですらも道を違えるという「迷子」らしい姿を見せる場所としても……。

 

言葉の壁に躓いて、言葉の刃で切り裂かれて

4話まで好き放題暴れ回ってたAve Mujicaですが、5話では最後のメンバー、祐天寺にゃむが登場したくらいで急に影を潜めだします。本当にゲリラ戦術上手いなこいつら……。

ところで立希の姉かつ喫煙者と目していたアモーリスですが、まだ何とも言えないながら風貌は20歳以上を期待できるものでかなり興奮してきました。髪型と口元と脚本家のせいでやべードMであることが想定されますし*1、長崎そよや三角初華を超えてぶっちぎりで危険な女の匂いが漂ってきました。祐天寺にゃむという名前もハンドルネームの可能性は残っていることから、誰でも簡単に始められてアイドルになれる夢のチャンネルを開設している人物が椎名立希の関係者だと何かと楽しそうだと思います。とりあえず次回6話で立希のバックボーンも掘られるようですから、そこで絡んでくることを期待しても良さそうです。そして、そよの過去が“7話”で語られそうなことからも別の意味で緊張してしまいますが……。

一方の5話では愛音の過去が遂に語られましたが、やはりその失敗は英国留学。中学時代の英語の成績がトップクラスだったそうですし、まあ願書の英語を読み書きしたり面接を突破するくらいは出来たのでしょうが、結局生きた英語を前に大きな壁にぶち当たります。ちょっと日本の英語教育を真剣に憂いてしまうところなのですが、『ぽっぴん’どりーむ』で戸山香澄たちがノリとテンションだけで(多少失敗しつつも)グアム遠征を乗り切っていたのを思うと、問題は英語力よりもコミュニケーション力でしょう。MyGO!!!!!の中では陽キャ扱いされがちで実際話を引っ張ってくれる愛音ですが、キラキラドキドキし続けている先輩と比べてしまうとやはりその突破力とでも言うべきものは大きく見劣りします。というより、愛音の実態はいわゆるキョロ充とでも言うべきもので本来陰キャ寄りなのですが、MyGO!!!!!の中では相対的に陽キャになっているという複雑な立場と言えます。留学先の人々は「アン」と親しみを込めて呼んでくれたのですから、何とかアンという道化の仮面を被ってとにかく明るく英国で生きていければ良かったものの、悲しいかな赤毛のアンのように快活にはなりきれない人間性でした。

そうした何事にも本気に全力になれない生き様を立希から「逃げ」だと鋭利な言葉の刃で糾弾されるや否や、絶大なショックを受けながらも文字通りその場から逃げ出してしまいます。その後は元同級生に遭遇して、いよいよ逃げてばかりの人生が逃げ出しきれない袋小路に追い込まれまる事態に。この旧友2人、過去を切り捨てたい愛音からすればただでさえ会いたくない相手ではあるのですが、愛音留年説を踏まえるとこの2人は現在2年生ということでもあり、より一層深い傷を負ってしまう存在です。更に悪いことに、羽丘はネクタイとスカートの色で学年が区別される制服*2。留学失敗どころか、1学年下にいることまで割れたでしょう。旧友の片方は月ノ森に進学していて、この近隣に住んでいるのですから。それにしても愛音さん、逃げ続きの人生なのに遠方の学校は選ばなかったんだ……。そういうところも中途半端……。

愛音の留年についてはまだグレーなので断定すべきではないのですが、今回またその論拠となる描写も存在しました。愛音がギターを始めたきっかけであるらしい、中学時代の文化祭での生徒会バンド。留学前ギリギリ日本にいた頃に幕を開けた大ガールズバンド時代に影響されたかと思えば、何となく文化祭でバンドしたかっただけという想像の斜め下の浅さで少しびっくりしました。前回ようやくコードが弾けるようになった程度ですし、当然ロクな演奏ではなかったでしょう。そんな演奏でも、生徒会長としての支持率からか、文化祭ライブは大成功を収めたようです。おかしい。これは絶対にあり得ません。この時点で大ガールズバンド時代が到来しているならば、中学生と言えども耳はもっと肥えているはずなのですから。月ノ森や羽丘の近隣にある袋森中学は、それこそ大ガールズバンド時代の中心地とも言える立地のはずです。

更に言えば、大ガールズバンド時代の流行に乗ってバンドを始めた挙句、甘っちょろい覚悟からライブをして酷評されたMorfonicaさんの実例もあります*3。無論、ライブハウスだったか文化祭ライブだったかを切り分ける必要はあるのですが、1年前の新宿池袋近辺はもう素人に毛が生えたようなパフォーマンスを許してはくれません。やはり、愛音の中3時代は2年前だったと考えると全てしっくり来るようになっています。2年前ならまだ、ギターをジャカジャカ鳴らせる中学生というだけで持て囃されたでしょう。

 

逃げ傷だらけの負け犬 ~椎名立希~

時間は前後しますが、立希が愛音に正論の刃を突きつけるに至ったのはその前日のそよとの語らいがきっかけでした。そよが勧めたのは「燈の歌が好きだと言おう」というシンプルな本音を曝け出すことでしたが、結果的に立希の口からは愛音を追い詰める言葉の方が飛び出すことになってしまいました。

奇しくもこのシーンは背後のビジョンでsumimiのポップなダンスチューンとMVが流れて夜の街を派手やかに彩っているのですが、流行りの歌はいつも僕のことは歌ってない。Here, the worldの歌詞には「斜に構えてばかりじゃ世界も知らんぷりさ」などと椎名立希の生き様を見下して嘲笑うかのようなフレーズすらある始末で、ねぇビジョンの中から笑いかけないでと叫びたくなるようなシチュエーションになっています。

「こんな私でも生きてていいんだって……」と切実な自己否定を吐露したように、この時点で追い詰められていたのは実は立希なのではないかと思います。「燈に寂しい思いをさせたくない」と語りますが、この時点でもう燈は愛音に相談した上でライブに出ることを拒絶しているわけです。旧知の仲であるそよと立希には相談しなかったのに。2人が愛音を調子に乗った初心者と軽々しく扱う一方、燈だけは愛音の存在を新たな寄る辺にしており、ここでも見事にすれ違っています。そして、燈と立希の関係だけで言えば、依存しているのは立希の方でしょう。

燈の歌詞に救われたとも語りますが、より詳細には燈の歌を逃げ場所にしていたとさえ感じます。sumimiの楽曲はそのポップな曲調から現実感のまるでない空虚な希望を歌い上げてきますが、見事に依存したくなる楽曲の真逆だなと感じるもの。人生何もかんもぶっ壊れたように感じて、いっそ消えたいくらいの希死念慮に襲われて聴きたくなるのは、その辛さを受け止めながらも不格好に歩み出す曲です。自分語りをすると、僕がそういう境遇に立たされた時期に最も支えにしたのは少年ハリウッドの「永遠 never ever」とHappy Cloverの「明日でいいから」なのですが、そういう逃げ傷だらけの負け犬を起き上がらせる歌にこそ人は惹かれるものだとも思います。そして、現行のMyGO!!!!!の楽曲はまさにそれを体現していると感じられるものでもあります。おどおどでもグラグラでも歩いていける強さを、そういう楽曲から得てどうにか立ち上がっていくのです。

燈の歌が好きだとは結局言えなかったにもかかわらず、愛音に対してクリティカルな「逃げ」という刃を突きつけられたのは、それが同族嫌悪から出た偽らざる本音だったからだとも思います。そもそも口下手で不器用で人付き合いに難のある立希が、他人をここまで明察に理解した言葉を突きつけられることが本来特殊なわけです。愛音から、自分を鏡写しにしたようなものを感じたとかでさえいなければ……。

 

遂に機能した絆創膏 ~高松燈と千早愛音~

立希にとって燈の歌詞が逃げ場所であったように、完全に袋小路に追い詰められた愛音の手を取って逃してくれたのも燈でした。行き着いた先の水族館で2人が見上げるのはペンギンの群れ。2人が絆を結ぶきっかけにもなった絆創膏にプリントされていた、飛べない鳥達が優雅に泳ぐ姿でした。とはいえ年パスで1人だけ受付を突破して愛音を置き去りにするなど、そのコミュニケーションは一方通行。全くもって痒いところに手が届かない不器用さではあるのですが、元同級生に留学失敗が露見して1人で縮こまっていたかったであろう愛音の心をいい意味でほぐしてくれます。

丸まろうとして丸まれないペンギンの姿が印象的に描かれますが、水族館という閉鎖的な空間でなら、そんなダンゴムシモドキにならなくても外気から心の傷を守れます。不器用ながら、というよりは不器用だからこそ、高松燈は無理に寄り添うのではなく、愛音自身の自己治癒力を呼び覚ます形でその傷を癒やしてみせました。2話まででは機能しなかった絆創膏が水族館に形を変えて、今度はしっかりと燈と愛音の絆を創る役目を果たしたのです。

その後は先述した愛音の留学時代が回想されますが、数分に及ぶ語りが終わると水族館は夕方から夜の装いになっており、心のシグナルを覗いてみたら赤から青に変わっていました。ポピパさんはそこから世界のドコよりも眩しい場所へ駆け上がろうとするのですが、ずっと穴ぐらから空を見上げていたダンゴムシや木から落っこちて木陰で傷を癒やしている猿からすれば、世界のドコだろうと眩しすぎる場所です。けれども、周囲に馴染めず暗闇を彷徨ってきた高松燈や、解像度の低いぼやけた世界で生きてきた千早愛音にとってすれば、何も見えてない点で大差ないですし、光の下に出ていくだけ大きな前進。そんな先の見えない世界で壁にぶつかろうと前に進んでいく姿を、燈はぐちゃぐちゃの抽象画に添えて「迷子」と表現します。これまで自分だけの居場所にしてきたB5ノートではなく、アンケート用紙という誰かに声を届けるための紙の裏にそれを書き殴りながら。迷子のままで、一緒に進む。逃げ続けた果てに1人で丸まりそうだった愛音は、燈の想いを受け止めて2人で迷って転がりながら前に進むことを決意しました。BanG Dream!という循環しながら新しい場所へと向かい続ける物語は、今度は二重螺旋を描くのだと、ペンギンさん達がその優雅な泳ぎから語ってくれました。

この指とまれで手を繋いだ2人が駆け上がった眩しい場所は、立希とそよが待つサンシャインシティの階段の上。下から光が照りつけるロケーションは、どん底で光を見つけ出した2人の再出発に相応しい場所。そして、2人は今までずっと目を背けてきた次の眩しい場所を見定めます。私たち、ライブする。燈がライブを拒絶していたのはそれが愛音との契約満了になることを恐れてのものでしたが、もう2人の間には契約以上の絆が結ばれています。もはや、2人の間に契約違反は起こらない。そのことを固く確かめ合った2人が語る決意は、見事なまでのBanG Dream!の原点回帰でした。

私たち、絶対ここでライブします! 戸山香澄にとっての原点とも言える撃ち抜くべき夢が、この瞬間に高松燈と千早愛音に正しく継承されました。そしてPoppin'PartyにとってのLiveという単語は、今や生きるという意味へと姿を変えています*4。“終わり”を乗り越え、今がゴールじゃないんだよと袋小路からの再出発を誓った2人の人生は、Liveをすることで蘇ろうとしています。「一生、バンドしてくれる?」で始まった関係は、一緒に生きることを誓った一蓮托生の関係へと、その姿を様変わりさせました。

 

*1:今回の脚本は和場明子さん。とりあえず、騙されたと思って氏がシリーズ構成を務めているBLUE REFLECTION RAY/澪を観てくれ!

*2:3年が茶色、2年が青、1年が緑。

*3:この当時のバンド名はツキノモリ(仮)。なお、ヴァイオリンの八潮瑠唯は加入前でした。

*4:拙記事ですが、こちらで熱く語らせて頂きました:【バンドリ】『Live Beyond!!』を超えて生きるということ - 矛盾ケヴァット