矛盾ケヴァット

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【キコニア】ジェストレスの送り込んだスパイの”人数”

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キコニアにおける謎解き要素の”掴み”とも言えるのが四大陣営に送り込まれたスパイ。LATOを除いた4つの陣営が誇る2組のエースケッテ6人の中に、1人以上のスパイを潜入させることに成功していると明言され、開幕から読者を疑心暗鬼の渦へと叩き落としてきました。

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ところで、このスパイの人数ですが、ジェストレスは必ずしも各陣営1人と発言してはいないことに留意する必要があります。ジェストレスは「各陣営に潜入させた」と表現するにとどまり、実際の人数を口にしたのは怒りの王。それに対してジェストレスは明言を避けるかのように答えをはぐらかしています。

そもそも先天性PP設定が存在する以上、キコニアのなく頃にという作品においては人数の定義自体も問題になってきます。都雄とミャオを1人と数えるのか2人と数えるのかは極めて大きな人権問題ですし、ガントレットナイトの3~6割が先天性PPである以上、肉体の総数24に対して、人格の総数が現状は不透明。極端かもしれませんが、24人(肉体)の中にスパイが25人(人格)以上いたって何も不思議ではないのです。

付言するならば、うみねこがそうであったように、僕は肉体の総数が24すらも疑わしいとさえ思っています。あくまで例ですが、イェルダット・シャヴィットが1つの肉体に存在する3つの人格であるようなことすら考えられるでしょう。基本的に別陣営のキャラクターとはごく一部の例外を除いてセルコンを介してしか対話していない彼ら彼女らは、オフ会をしていません*1。大浴場でのアバターの姿しか知らない以上、他陣営の人物について肉体がどうなっているのかを知る手段はほぼ無いのです。そう考えると、大浴場という肉体を包み隠さず曝け出す場がチャットルームの背景に選ばれたのは一種の皮肉でさえあります。

さらに皮肉なことに、クリスマス決戦がお疲れ様大浴場の最初のオフ会になってしまいました。きっと、Phase2ではアバターだけでは与り知れなかった各キャラクターの素性が明かされていくことでしょう。セシャトも「最後には人間と人間が目を合わせて真意を測るべき」だと言ってましたしね。とりあえず、B3Wの現代でもお馴染みの”常識”で、本記事を締めくくりたいと思います。

 

ネット上の知り合いとリアルで会うのは気をつけよう!!

*1:なお、お疲れ様大浴場の結成にあたって、AOU側から他陣営のキャラにコンタクトを取ったのはギュンヒルドです。このため、少なくともギュンヒルドは他陣営キャラとオフで対話をしたか以前からコネがあったかということになり、彼女のスパイ疑惑を大きく高めている要因でもあります。

【ガルパ】ハロハピの終着点と、理念を一人歩きさせた王子様

『幼き日の面影は今もそばに』、非常に素晴らしいイベントストーリーでした。

役者で居続けることで「本当の私」が消えてしまうのではないかと怯える白鷺千聖と、彼女を救える王子様になるために「本当の私」を脱ぎ捨てた瀬田薫。確かに、瀬田薫は変わってしまったと言えるかもしれませんが、当時抱いていた強き思いは、そして潰されかけていた幼き日の白鷺千聖から受け止めた「本当の私」は、今でも確かに息づいている――。そんな薫が出演する『孤独の街』は、きっと瀬田薫が演じる、幼少期の「本当の白鷺千聖が見られるに違いありません。ひまりから思い出話を聞かせてほしいと請われた薫はそれをはぐらかし、舞台への観劇を誘いますが、それもそのはず。その舞台では、瀬田薫と白鷺千聖の在りし日が、言葉よりも雄弁に演技によって語られるのですから。

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さて、本イベントは『儚世に咲く薔薇の名は』で仄めかされて以来2年半近くの歳月を経てようやく明かされた瀬田薫と白鷺千聖の幼少期を描写してくれたことでも、またそれがひとつのヒューマンドラマとして結実していることでも称賛の拍手を贈るべきものです。しかし、もう一つ特筆すべきことがあり、本イベントによって、瀬田薫がハロハピの行く末を照らし出せる存在になりました。本記事ではそこについて、考察していきたいと思います。

 

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周知の通り、瀬田薫が所属するハロー、ハッピーワールド!の合言葉は「世界を笑顔に!」です。合言葉であると同時に、ハロハピにおける壮大な目的であり理念でもあります。ハロハピは音楽活動を通じて、骨折からリハビリに踏み出せない少女に勇気を与えたり、寂れてしまった遊園地を立て直したりと、奇想天外な行動をしながらも着々と笑顔を増やすことに成功してきました。

ところで、この世界を笑顔にする物語は終わることができるのでしょうか。常識が通じないのがハロハピですが、世界中の全員が笑顔になるなどということは、常識的に考えれば不可能に思えます。であれば、延々と終わりの見えない旅を続けることになるのか、それともどこかで諦めて歩みを止めてしまうのか……。

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この懸案事項については、★2[ステージ]奥沢美咲の左エピソードという最初期の時点において既に触れられています。目的を果たせないまま終わってしまったブレーメンの音楽隊と、今の自分達の姿がどうしても重なってしまうことに、当時まだ「キグルミの人」であった奥沢美咲は一抹の不安を覚えていました。

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幸いにも、この答えもバンドストーリー1章の時点で弦巻こころが提示しています。誰かが笑顔を忘れてしまったら、別の誰かが笑顔を思い出させ続ければ良い。そのためにこそ、ハロハピの理念をあまねく世界に知らしめ、「笑顔を思い出させる人」を増やしていく必要があるということです。

そして、この理念が一人歩きした時、ハロハピはその歩みを止めることができます。ハロハピの理念の共感者が、他人に笑顔を思い出させる実践者になり、その理念が樹形図のように広がっていけば、もはやハロハピが直接活動しなくとも「世界を笑顔に!」していけるものと考えて良いでしょう。それは本当に世界中が笑顔になるものではないかもしれませんが、その未来を想像するには十分なものです。奥沢美咲は目的を達せられなかったブレーメンの音楽隊になってしまうことを懸念していましたが、むしろ不完全に目的を達したブレーメンの音楽隊になることこそがハロハピが最終的に目指すべき姿なのではないでしょうか。

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ガルパライフ第132話「お別れのとき」では、そうやって理念が一人歩きしていく姿がビジュアルをもって示されています。ここでははぐみのぬいぐるみ達がその役目を負いましたが、これを多くの人間が行う未来こそが、ハロハピの終着点です。いずれやって来るハロハピの活動との別れは、自分達の理念が広く行き渡ったという確信のもと、おそらくは笑顔で訪れるものでしょう。

 

ここで話を瀬田薫に戻します。上記のハロハピ全体を貫くテーマを考慮して『幼き日の面影は今もそばに』を読むと、興味深い構図が見えてきます。瀬田薫という存在自体が「理念の一人歩き」の成功例であるということです。

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役者でいることで、自分らしい感情を失ってしまうのではないか。最終的に白鷺千聖はその恐怖をも役者人生に活かしていくことで乗り越えましたが、やはりあのまま芸能活動を続けていけば、いつか潰れしまうのではないかという危うさを孕むものでした。瀬田薫が役者の道を志したのは、その時の”ちーちゃん”の強さに憧れたというところが大きいのですが、同時にそんなお姫様が立ち上がれなくなった時に救ってあげられる王子様になりたいという決意の表れでもあったでしょう。

結果的に、白鷺千聖Pastel*Palettesという共に芸能界で運命を切り開いていく仲間を得たため、そんな王子様は不要となります。臆病な自分を脱ぎ捨てることはできたが、お姫様を守る必要はなくなった。そう考えると、瀬田薫の王子様像は、目的を不完全に達しつつ理念だけが一人歩きしたものと解釈することができます。

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本イベントは、弦巻こころの勧誘を何故ああもあっさりと瀬田薫が受諾したかの答えにもなっています。あの日役者を志すきっかけをくれた”ちーちゃん”と同じ言葉を、こころがバンドという形で口にしたからです。そしてこれは同時に、白鷺千聖がパスパレという共同体を得たことで失われた王子様の理念を活かす場所を、瀬田薫が獲得した瞬間でもあります。

そのハロハピはやがて、理念を一人歩きさせる必要に迫られるでしょう。その際には困難や衝突に見舞われるかもしれませんが、もはや心配ありません。現在進行系で理念の一人歩きを成功させている王子様がいる。世界を彩る役者は、きっと彼女達の大きな道標になってくれるはずです。

【キコニア】「本物の天変地異」とは、雨である

8MSにより延命が行われている、A3Wの地球。マリオの発明品により一度滅びたことを思い出すまで、気温は夏でも平均25℃、冬でも15℃という極めて過ごしやすい気候を人類は享受してきました。正直に言って、全く羨ましい限りの環境です。

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そんな贅沢な気候に慣れた人類は、本来12月に訪れるべき極寒に直面して大混乱に陥ります。降って当然の雪くらいで大騒ぎする人類は、我々B3Wの人類からしても、そして戦争に駆り出されて辟易していた都雄達からしても、滑稽と言うべきものでしょう。

ところで、このシーンではかつてのホワイトクリスマスを土台にした軽口とも言うべきもので、実際に雪が降ったわけではないことに留意する必要があります。いや、こんな軽口ごときに何か意味があるのかよ、と思われるかもしれませんが、キコニアではもっと本来降るべきものが降っていないのです。

 

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そう、本作では一切雨が降っていません。もっと踏み込むならば、雨に関する描写もある一箇所の例外を除いては存在しません。その「例外」については後述しますが、まるで、キコニアというテキストに全検索をかけて、雨という単語だけを全てデリートしたんじゃないかってくらいに不自然です。

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「例外」を除いて、ギリギリ雨の存在を匂わせる描写がここくらいでしょうか。「大気や海の循環」とは、B3Wの常識で言えば、気流・蒸発・降水等の現象を指すでしょう。しかし、A3Wは8MS文明です。降雨なくして水循環を達成することができても、何ら不思議はないのです。

 

おいおい、雨が降らないくらいで何か不都合でもあるのかい、というツッコミが聞こえてきそうですが、ここは発想を転換させる必要があります。キコニア世界においては、雨が降ると不都合があるのです。というのも、その性質から考えて、リジェクションシールドは雨に極端に弱いという致命的な欠点があるためです。

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まず第一に、雨天の中をリジェクションシールド無しで飛行することはあり得ません。雨天でシールドを張らずに飛行するのは、まるで眼前から無数の弾丸が迫りくるようなものでしょう。少なくとも成層圏外に出るまでは、時速500kmで飛行する生身の肉体にとっては雨粒ですらも立派な凶器となります。ところで、この小此木の講義の中にも雨に関連した単語が無いのが本当に違和感だらけなわけです。意図的に読者が雨の存在を考えないように誘導されているのを感じます。

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次に、エネルギー消費の問題。ガントレットナイトでも何でもない我々ですら傘という上方向へのシールドを利用して雨天をやり過ごしているわけですが、雨天のガントレットナイトがそれを行うと常時凄まじいエネルギーを消費することになります。雨が降った瞬間に、ガントレットナイトはエネルギー切れによる墜落を常に心配しなくてはならないポンコツに成り下がるのです。

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極めつけは感情がシールドにも影響するという点です。いや、ちょっとくらい濡れてもいいからスピード緩めたり空中で静止したりすれば、雨がそこまでの危険性を持たなくなるんじゃないの……? という逃げ道すらも、ここで塞がれます。雨でズブ濡れになった時点でメンタルに影響が出るため、シールドによるエネルギー消費量の増加は免れないわけです。シールド無展開で雨天を飛行するのは即死に近い自殺行為でしょうが、シールドを展開せずに雨天で静止するのも、じわじわと自らの首を絞めるという意味で自殺行為に近いものです。雨が降ってる状態では、動いてもダメ、止まってもダメ。まさに八方塞がりです。

 

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とても悲しい事実が浮かび上がってきました。ガントレットナイト、完膚なきまでに、雨の日は無能です。これではガントレットナイトの戦闘行為自体、雨が降ったら開催不能小学校の運動会呼ばわりをされても文句が言えません。eゲーマーどころか、その実態はもっとチンケなものなのでは……。

しかしながら、実際にはガントレットナイト達は数多の軍事力を無意味化し、戦争の在り方を根本から塗り替えたゲームチェンジャーとして君臨しており、そこから導き出される答えはひとつです。A3Wでは、雨は降らない。彼ら彼女らが最大限のパフォーマンスを発揮できるよう、8MSによって雨が存在しない世界が作り上げられているのです。おそらく、神の代理人を名乗るアイツの手によって……。

 

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さて、記事中盤で触れた「例外」の箇所がここです。僕の見落としがなければ、おそらく本文中に雨に絡んだ描写が出てくるのは、この藤治郎の「雨乞い」発言のみであると思われます。この雨乞い発言、「本物の天変地異」を呼ぶためのものとして比喩的に用いられましたが、こうも考えられるのではないでしょうか。雨自体が「本物の天変地異」である、と。

前述のように、雨が降ってしまえば、リジェクションシールドはその機能のほとんどを失います。それは即ち、ガントレットナイトの無力化と言って差し支えありません。雨が失われた地球に雨を再び降らせるという「雨乞い」は、旧来の軍事力を復権させる意味合いもあるのです。ガントレットナイトが飛べない雨天の空を、戦闘機は悠々飛行することができるのですから。無人兵器暴走事件を引き起こしたのは各陣営内部で非常に強い権限を持つ高官でしたが、三人の王が目論む「雨乞い」は軍を牛耳る老害達とも綺麗に利害が一致するのです。

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ガントレットナイトは、雨が降らないというA3Wの気象を前提として成立する軍事力です。”アイツ”によって、意図的に、用意周到に整備された、雨という地球の尊厳を奪って実現している軍事力。だからこそ、ただの雨こそが、地球が尊厳を取り戻して当然に降らせる雨こそが、本物の天変地異たり得るのです。雨を忘れた地球が雨を思い出した時、人類の傲慢さが生み出したガントレットナイトという新技術は、その息の根を止められることになります。それも、おそらく雨など想定していなかった大勢の子供達の無惨な死と共に――。

 

【キコニア】粘土の少女=スワンプマン説

突然ですが、以下の淫夢動画をご覧下さい。

いきなりクッソ汚い動画見せやがってふざけてんのかテメェと憤る気持ちは分かりますが、本記事で考察したい概念を簡潔に掴んで頂くには最適なのでこの際フル活用します。というか、何だかんだで一時はネットミームの天下を取っただけあって、こういう時に参照できる作品が存在する辺り、淫夢の懐の深さに驚かざるを得ません。

クッソ汚い動画を見たくない方もいるとは思うので掻い摘んで紹介しますが、上記の動画では素粒子レベルで分解されて再構築された前と後の自分が同一と言えるのかという深遠な問題に踏み込んでいます。これはスワンプマンという思考実験で、今も解決を見ていない哲学上の難題です。スワンプマン自体は1980年代に考案された比較的新しいものですが、古代ギリシャの時代からテセウスの船として本質的に同様の議題は既に存在しており、それを現代科学が抱える倫理問題と人間存在に当てはめたものと言えます。

ところで、上記の動画を見て気づかれた方もいるかもしれませんが、これはディメコンを考える上でも興味深い概念です。当ブログの別記事においてはディメコンについて全く違うものを想定していますが、上記動画のように、ディメコン素粒子レベルで物体を分解して異空間に保管している可能性も勿論あるわけです。そうなるとスワンプマンもキコニアに関連する概念として一考の余地が出てきます。

 

本記事ではディメコンが主題ではないので、どちらの説が正しいのかは「パラレルプロセッシング」という便利な言葉を用いてこれ以上の深入りはしないでおきます。本記事で取り扱いたいのはリリャです。このスワンプマンという概念は粘土の少女を紐解く鍵になるかもしれないと考えられるのです。

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スワンプマンのあらましはこうです。

  1. ある男が沼に訪れていたところ、男と沼に落雷があり、男が死ぬ
  2. すると雷を受けた沼の泥が、偶然にも死んだ男と分子レベルで同一の構造と化す
  3. 泥から生まれた人間(スワンプマン)は、死んだ男の人格や記憶を引き継いでいる
  4. スワンプマンは自分が落雷を受けたことにも気づかず、死んだ男に成り代わる

まず注目したいのはです。沼の地質は当然に泥、つまりは水を多く含んだ粘土質のものであり、この点で粘土の少女との第一の符合が浮かび上がります。

そしてここが何より重要なのですが、スワンプマンを生み出すきっかけが落雷、つまりは電撃だったという点です。電撃はギローイの高官および彼らから権限を委譲されたクロエがリリャおよびコーシュカに”おしおき”として放つもので、第二の符合と言えます。

つまり、スワンプマンから類推するならば、リリャの「粘土の少女」はコピー能力で、自分が電撃を受けたのと同時に死んだ者の脳構造を引き継げるのではないかと考えられます。

ギローイはパンドラの複製を目論んでいますが、未だその成功には至っていません。しかし、もしもリリャの粘土の少女が前述の通りで、しかも相手を殺さずにコピーが出来たなら、ギローイの目標はその時点で達成されることにもなります。コーシュカのみならず、リリャも実験を受け続けている理由としては妥当と言えるのではないでしょうか。

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クロエのPhase1屈指の謎セリフ周辺の描写も、この仮説から多少は推測が可能です。この時点で直近のリリャとは別の人格がインストールされており、そのせいでコーシュカとのコミュニケーションに何かしら失敗した。電撃はクロエでなくギローイ高官が放ったものなので、その経緯はクロエも知らなかった。リリャの身辺設定は人格インストール時に叩き込まれるもので、唐突に饒舌な自己紹介を行ったのはその弁明である……というものです。リリャの特徴的すぎる口調を真似することができれば、表面的にはボロは出ないでしょう。ただ、あくまで表面的なものなので、以前の人格であれば踏まずに済んだコーシュカの地雷を踏んでしまったというところでしょうか。

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この仮説が正しいとすれば、現在のリリャは以前親しくしていたリリャとはもはや別人であり、クロエがリリャを躊躇なく殺害した動機の説明もつきます。まあ、クロエ自身が割とスパイ疑惑の高いキャラクターであるためにこの辺りは単純に考えるべきではないところなのですが……。

 

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とはいえ、この辺りの描写との整合性が悪いのも確かだと考えています。本説ではリリャの存在意義はパンドラありきであり、パンドラが存在しなくとも粘土の少女がギローイの羅針盤となれることがまるで説明できません

また、致命的なのは、前述のようにスワンプマンはディメコンに関連しないと嘘だとすら言える概念でありながら、ディメコンと粘土の少女の関連性をまるで挙げられないことです。パンドラたるコーシュカがディメコンを苦手としている点がそこを繋ぐミッシングリンクであろうとは思いますが、現状皆目見当もつかないところです。先に挙げた当ブログの別記事においてはパンドラとディメコンを関連付けてはいますが、その説とスワンプマンは極めて結びつきが悪く、両立も難しそうなところです。

【キコニア】ガントレット・ディメコン・リジェクションシールドの依存関係整理

A3Wが生み出した新たなる軍事力、ガントレットナイト。

戦闘機を超えた機動力(跳弾飛行)、大型空母並みの武装搭載量(ディメンジョンコンテナ)、戦車の如き無敵の防御(リジェクションシールド)を備え、既存の軍事力の全てを無意味化した、まさにゲームチェンジャー。それを実現しているのが、彼らの左腕に装着されている超技術、ガントレットであるとされています。

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本作のプロローグを飾ったこのプロパガンダムービーを真に受けるならばガントレットを取り巻くA3W超技術は以下のように整理されます。なお、パワポで突貫で作ったものであること、Twitterにアップしたものの再掲であることをご容赦下さい。

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跳弾飛行はこの図中に入れていませんが、8MS制御による飛行に包含できるでしょう。某ストラ●カーユニットに類似しているため最初は誤解してしまうのですが、ガントレットそのものが推進力を発生させるわけではなく、体内と大気中の対G8MSによる重力場の制御がガントレットナイトの飛行技術の本質です。また、左下の兵器管制については、無人兵器暴走事件において都雄が雪月花隊のマスターキーを取得することで彼らが所有する兵器の管制を実現させたことから、これもガントレットに固有の技術であると言って良いでしょう。

つまり、全てはガントレットを中心にガントレットナイトの力は成り立っているわけですね。ガントレット最強!!ウオオオオ!!!

 

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おい! ちょっと待ってくれ! それじゃあこのシーンの説明がつかない!!

この描写は極めて重要です。ガントレット未装着の状態からディメコンを起動し、そしてガントレットを装着している。ディメコンガントレットに依存した技術だとすると絶対にあり得ない描写です。

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元々、ディメコンはセルコンから起動されるものではあります。とはいえ、この都雄とジェイデンの決闘シーンでは両者ガントレットを装着済みなのでその依存関係は全く問題になりませんでした。ともかく、上記のLATO勢の描写と合わせると、ディメコンガントレットではなくセルコンに依存したもの、もっと踏み込むならばディメコンガントレットは互いに独立していると考えるべきです。無論、両者に共通している土台として、セルコンがあるという点で繋がってはいるのですが。

 

一方、リジェクションシールドの依存関係についても一考の余地があります。それもやはりLATO勢がヒントになります。LATO平和会議テロにおいて、爆発寸前まで彼女達はガントレットを装着していません

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思い出してほしいのですが、この平和会議においてガントレットナイトが動員された理由はリジェクションシールドを用いた要人警護です。その目論見がガントレットナイトを爆弾にするというやり方で挫かれはしましたが、目的が目的であるだけに常時リジェクションシールドを発動できる体勢でいる必要があるはずです。もっとも、立ち絵が確認できるヴァレンティナは藤治郎のエスコートという特殊な役目ではありましたが、リジェクションシールド発動の必要性は変わらないはずで、その彼女がガントレットを装着していないということはガントレットを装着していなくてもリジェクションシールドは発動できることを意味します。

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小此木教官のありがたいご指導によれば、リジェクションシールドの発動を司っているのは脳内の常駐ソフトウェアとのこと。つまり、リジェクションシールドもセルコン依存です。そんな……僕たちの信じていたガントレットは、実は大した機能なんか持っていないのか……?

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この疑問を解決するものとして、シリル暗殺時のリーテバイルのミサイル回避行動が挙げられます。1枚目から2枚目への遷移はディメコンからガントレットを取り出したものと考えて良いでしょう。ABN国際空港においてLATO勢が行ったのと全く同じ動作です。問題は、2枚目から3枚目。ガントレットを装着した後にリジェクションシールドを展開しています。ほら! やっぱりリジェクションシールドはガントレット依存だったんだよ!!

……と言い張れるかは正直なところ微妙でしょう。LATO平和会議テロの様子や小此木の講義と照らし合わせるならば、脳内ソフトウェアがガントレットも自動的に起動してくれたと考える方がよっぽど自然に思えます。ガントレット、そしてそれを取り出すディメコンもセルコン依存には違いないので、脳内ソフトウェアによる強制起動が行われても全く問題はありません。むしろ、安全性を確保する上ではそれが最も優れたシステムであるように思えます。

 

以上の考察を踏まえて、ガントレット、ディメコン、リジェクションシールドの関係はセルコンおよび8MSを同根とした独立した技術であると考えるべきだという結論に至ります。冒頭に貼った出来の悪いスライドは、以下のように書き換えられます。スライドの出来の悪さが変わっていないのはご容赦下さい。

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なお、ここまで8MSについては説明を放置してきましたが、単純にこの星の尊厳を奪うほどに物理法則を捻じ曲げられる技術なので、根本的にセルコンを介して8MS制御を行っているのがこの3技術の核心であると断定して良いでしょう。また、3技術とも、「個々人に合わせた調整」が必要とされており、体内外に8MSが充満するA3Wの世界観においては、それは8MSの調整が必要であるからと考えるのが自然でもあります。少なくとも、ガントレットについてはそう明言されています。

 

本記事はある程度紛らわしい書き方をされているガントレット・ディメコン・リジェクションシールドの整理を行ったものですが、その目的としては、ドライツィヒ変換について考察するためです。

ドライツィヒ変換は特にリジェクションシールドの利用に必須とされており、リジェクションシールドについて考慮すべき事象を整理する必要がありました。結果、少なくともガントレットやそれに依存した飛行および兵器管制、そしてディメコンについて考慮する必要はなく、セルコンと8MSについて重点的に考えれば良いというところまで整理できたと自負しています。

また、本記事では意図的に触れませんでしたが、おそらくリーパーズアイもこれら3技術と同様にセルコンと8MSに立脚した技術です。これがドライツィヒ変換にも絡んでいると踏んでおり、その土台の考え方はやはり本記事の通りになっていくと予測しています。

ドライツィヒ変換については、近々また考察記事を上げる予定です。決定的な結論はまだ出ていませんが、そのおぼろげな姿は若干見えてきたので。

【バンドリ】イニシャル・夢を撃ち抜く瞬間に!・White Afternoonに息づく小説版Poppin'Party

バンドリ!アニメ3期がいよいよ間近となってきました。難解に作られながらも根気良く向き合えば美しいものに出会える1期、圧倒的な情報量で視聴者を飲み込みダイレクトに感情を揺さぶってくる2期、どちらも傑作と言える作品であり、そして3期はその集大成とまで明言されています。なんと、「キラキラドキドキ」についても紐解くつもりだそうですよ!(いや、それ明文化できる類の概念なのか……?)

ところで、バンドリーマーであれば当然にご存知でしょうし既読のこととは思いますが、Poppin'Party(以下、必要に応じてポピパとも略します)にはアニメ1期以前の原点が存在します。それが、Poppin'Partyの作詞を担当されている中村航先生により執筆された小説版BanG Dream!。ポピパメンバーの性格・風貌が今とは随分違っており、原点というよりは”原案”の方が実態に即してはいるでしょう。しかし、アニメ、漫画、ソシャゲと展開しているコンテンツでありながら表題の『夢を撃ち抜け!』を最も体現しているのは未だに最初期の小説版と言って良く、原点・原案でありながら現在のPoppin'Partyが目指すべき場所にもなっている作品です。この辺り、最初と最後を繋いで終わりのない形にするCiRCLINGの概念にも通ずるところがありますね。

そんな折、アニメ3期のOPEDとなる楽曲のタイトルが発表されました「イニシャル/夢を撃ち抜く瞬間に!」。もうこの時点で小説版読者としては色々なものを察するに余りあったのですが、試聴動画で1番の範囲内の歌詞が明らかになると、その確信は更に深まりました。この2曲は、小説版ポピパと、現ポピパを、結びつける曲だ、と。

 

イニシャル:小説版ポピパメンバーの性格で、現在のポピパメンバーの原点を歌った曲

まず、イニシャルの方から参りましょう。なお、1番の歌詞は発売前の現時点でもこのサンプラーCDの盤面から表記ごと読み取ることができます。

特に注目したいのはAメロの歌詞になります。

あの日わたしは 少女でも大人でもなく

混じりけのない眼差しで 夢だけ見てた

めらめらゆらゆらり 燃え滾る夜

勇気を噛み締めて 冒険(たび)に出たんだ

ところで、作詞担当の中村航先生は以前のインタビューにて、自分の歌詞はキャラクターワード(CW)で、実際に香澄が書いていると思ってほしいと語っていました。

この概念は大変応用が効きます。この記事では戸山香澄(CW. 中村航)として読んでほしいという意味合いでしたが、そこだけで終わらせずにいることもできるものです。たとえば、CWを現実の人物ではなくキャラクターがやったなら?

これを踏まえて上記のイニシャルAメロを考察すると、上2行は小説版戸山香澄が現在の戸山香澄の原点を歌ったものと受け取れます。アニメ1期以降のPoppin'Partyの物語は夢を夢見る香澄の衝動から始まったものであり、そのキラキラドキドキ・星の鼓動を目指す物語は今も続いています。その原点とも言える衝動を、小説版香澄の一歩引いて考えてしまう性格から振り返った……そんな2行だと読めます。つまり、戸山香澄(CW. 小説版戸山香澄)――何も、CWを書くのは現実の人間だけでなくても良いのです。

問題は下の2行であり、ここが非常に難解なのですが、キーは「冒険(たび)」という文言です。Poppin'Partyおいて「冒険(たび)」という言葉が大きな意味を持つのは小説版市ヶ谷有咲を置いて他にはいません。小説版において、市ヶ谷有咲は戸山香澄という”主人公”を手に入れたことによって、それまでのゲーム三昧引きこもりの日々を捨ててバンドという冒険に出ることを決意した人物です。もう1つ問題なのが「燃え滾る夜」の方なのですが、香澄の例をなぞるならば、これは現在の市ヶ谷有咲の原点になるはずです。そして、これも実はそれらしきものがあります。

有咲がキーボードを初めて手にした時、および「契約違反」の際に香澄と和解してキーボードを披露した時が、ともに夜なのです。どちらの夜が歌詞に該当するのかは断定しづらいのですが、キーボーディスト・市ヶ谷有咲の原点としてはどちらも成立し得ます*1。即ち、市ヶ谷有咲(CW. 小説版市ヶ谷有咲)というわけです。

 

残念ながら、他の3人については1番だけでは当該箇所がないため、2番以降に同様のCW概念を用いた歌詞が盛り込まれているものと考えざるを得ないのが現状ではあります。

また、明かされている部分では「何故に果てなき夜空に向かって 何度も同じ言葉を叫び続けるのか」が謎なので、こちらはアニメ3期内で解明されるものになるでしょうか。二重の虹ラストで連呼した「大好き!」の可能性も考えましたが、これを叫んだのは蔵の地下であるため、「果てなき夜空に向かって叫ぶ言葉」としては根拠が弱いと言わざるを得ません。

 

夢を撃ち抜く瞬間に!:CiRCLINGの完成、ひとつの時代の終わり

次に、夢を撃ち抜く瞬間に!ですが、こちらは明らかにYes! BanG_Dream!とSTAR BEATを意識した歌詞が多分に盛り込まれています。この2曲になぞらえた部分が現状公開されている1番だけでも多すぎるので正直本記事だけで紹介しきるのは無理だと考え、個別に指摘するのはこの際諦めますが、重要なのはどこがどう一致しているかということよりも、よりにもよってYes! BanG_Dream!とSTAR BEATに繋げてきたということです。

まず、Yes! BanG_Dream!はPoppin'Partyの記念すべき1stシングルであり、小説版でも伝説のバンドRAZESが撃ち抜けなかった夢をポピパが撃ち抜いていく、象徴的な楽曲になっています。まさに原点と言っていい楽曲……のはずなのですが、現在のポピパメンバーは、Yes! BanG_Dream!を原点としていません。ああいえ、当然声優により構成されるリアルバンドのポピパメンバーにとっては原点に相違ありません。ただ、キャラクターとしてのアニメ1期以降の香澄ら5人にとっては、この曲はさほど意味を成す曲ではないのです。

一方のSTAR BEATですが、この曲は小説版でもアニメ1期でも、最後のメンバーである山吹沙綾が、諦めていたバンドという夢をもう一度掴み取ろうと踏み出す際に決定的な役割を果たす曲です。作曲者は媒体により違いますが、その歌詞は香澄の偽りない沙綾への思いを綴ったもので、それが沙綾に届くことで晴れてPoppin'Partyの5人が揃います。紛れもなく、どちらの媒体においてもPoppin'Partyの結成を象徴する曲です。アニメ2期においても、花園たえが幼馴染みの和奏レイとの間で迷った際に、自分自身が戸山香澄達とともに音を奏でた瞬間に「昨日までの日々にサヨナラする」ことで不可逆な変化をしていたことを思い出したのは、香澄がたえにこの曲で思いを伝えたからでした。現在のポピパにとっての原点と言える曲は、どちらかといえばSTAR BEATの方なのです。

小説版ポピパにとっての原点であるYes! BanG_Dream!と、現在のポピパにとっての原点であるSTAR BEATをこれでもかと織り交ぜ、そして現在のポピパが未だに成し遂げていない夢を撃ち抜くという小説版からの終着点をまさにやろうとしている……。イニシャルの意味合いをも総合すると、夢を撃ち抜く瞬間に!は現在のポピパが夢を撃ち抜くことで、ポピパの全ての始まりである小説版とを繋ごうとしている曲、もう少しポピパらしい概念を混じえるならば、小説版からここまで続いたポピパの物語に1つのCiRCLINGを完成させる曲として作られているように思えます。アニメ3期という集大成に際して、何かの一区切りをつけてくる……そんな予感をひしひしと感じさせます。

 

ところで、僕はこの曲のサビを聴いた瞬間に、凄まじいデジャヴを感じました。島谷ひとみさんのYUME日和に、あまりにも似ている……。

以前にも、夏のドーン!が花ハ踊レヤいろはにほに似ていたり、アニバーサリー!がタマホームのCMジングルに聞こえるような指摘はされていましたが、これらは偶然似てしまったものでしょう。似ているのもせいぜい1~2フレーズですし、音楽には得てしてそういうことがあるものです。

しかし、夢を撃ち抜く瞬間に!とYUME日和はサビ全体が似通っている上に、楽曲の持つ背景まで極めて共通しているという事情があることから、制作陣が意図的に寄せたのではないか……と僕は考えています。何しろ、このYUME日和という名曲もまさにひとつの時代に区切りをつけた曲であるためです。

よもやこの日本に生きていてドラえもんを知らない方はいらっしゃらないかと思いますが、劇場版の1作である『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』のエンディングを飾ったのがこのYUME日和であることは知らない方もいるかもしれません。そしてこの『ワンニャン時空伝』は旧ドラえもん声優陣(通称:のぶ代ドラ)が出演する最後の劇場版でした。つまり、この楽曲はドラえもんという国民的アニメのひとつの時代の終わりを象徴する曲でもあります。

繰り返しますが、バンドリアニメ3期は集大成と銘打たれています。そのEDを飾る楽曲がYUME日和と極めて似ているのが、僕には偶然の一致であるとは到底思えません。

 

White Afternoon:小説版ポピパメンバーが、その後迎えた冬

ここまで、アニメ3期のOPED2曲について小説版を踏まえて考察してきましたが、正直、先の試聴動画を聴いた時点ではまだ小説版がそこまで密接に関連しているとは確信が持てませんでした。これを確信に変えたのが、つい最近配信されたWhite Afternoonです。歌詞は以下のリンクから全て参照できます。

サビの「淡い雪 舞い落ちる午後に ほっとするひととき」を始めとして、まさに寒い冬の午後に温かいものを飲んで心もポカポカ、午後の紅茶のCMらしい曲だと言えますね――などという単純な曲なはずはなく、この曲にもかなり凝った趣向が凝らされています。

キミの名前は”夢”だと知った

なんて一途な夢でしょう 真っ直ぐに続く道――

曲の入りからすぐの歌詞です。おっ、早速違和感バリバリのフレーズが出てきましたね! 現在のポピパは「キボウの道をジグザグ進もう!」「標識のない迷いの道も君となら行ける」といった、道が真っ直ぐでないことを肯定的に受け止められる集団へと成長しています。そのポピパがこの歌詞を紡ぐのははっきり言っておかしいのです。

一方で、小説版時代の初期楽曲である1000回潤んだ空*2では「そしたら昇る 一直線の光だ みんな色の光だ」という歌詞があります。真っ直ぐなのはどちらかと言えば現在のポピパではなく、小説版ポピパであると言えます。

ありのままでいいよってキミは手招いてた。

1番サビとラスサビに登場する印象的なフレーズですが、これも同曲の「それが君らしさであるんだよと」に対応します。White Afternoon、明らかに小説版ポピパの曲です。極めつけは以下の一節でしょう。

窓の外の雪景色に 足跡はまだ残っているね

なんてけなげな物語 忘れずに続いてる

ここまで来るとぼくにはけなげな物語=小説版BanG Dream!としか読めません。確かに、窓の外の雪景色を見て歌った曲ではあるでしょう。しかしそこに踏みしめた足跡は小説版で確かに生きた彼女達の足跡を示すものとしか思えないのです。

小説版において、彼女達の物語はPoppin'Partyの結成の後、秋の文化祭での演奏を前にしたところでエンディングを迎えました*3小説版に冬は来ていません。確かに彼女達の物語は一旦そこで幕を閉じたのかもしれませんが、彼女達の人生はその後も続いています。その、彼女達が5人で迎えた冬――それを歌っているのがWhite Afternoonではないかと思うのです。

3期のOPEDを飾るイニシャルおよび夢を撃ち抜く瞬間に!で、小説版ポピパと現在のポピパを合流させようと試みられていることは既に述べました。であれば、2019年12月というこのタイミングは、小説版Poppin'Partyの彼女達を歌える最後のチャンスかもしれない。そこで訪れた、午後の紅茶タイアップというチャンス。そんな運命と奇跡が混ざり合ったような過程で、White Afternoonは生まれたのではないでしょうか。

 

キラキラスター:???

であれば、気になるのは同時期に発表となったキラキラスターの存在です。

キラキラスターは、バンドリ!とナゾトキ街歩きゲームのコラボイベントである「探し出せ!ランダムスター!」のテーマ曲として制作された楽曲で、作詞はお馴染みの中村航先生です。現状、この楽曲を聴く手段は当該イベントに参加するしかないため、僕も全く聴いたことがありません。しかし、White Afternoonがこの時期にしかできない、小説版の彼女達の姿を描いたものであるとするならば、ほぼ同時に公開されたこの曲も同様に小説版ポピパを描いたものではないかと疑ってしまいます。

キラキラスターから連想される「きらきら星」は、アニメ1期3話ではかなり悪い意味で語り草ともなっている、非常に解釈の難しい場面に登場した楽曲ですが、小説版においてはギター初心者がコード進行を身につけるための楽曲として極めて重要な意味を持つ楽曲です。何より、ソシャゲ媒体であるバンドリ!ガールズバンドパーティ!では、こんな意味深なセリフが登場します。

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これはこの記事でも何度も持ち出している、最初と最後を繋ぐCiRCLINGの概念に極めて接近するものです。そのきらきら星を想起させてくるタイトルのキラキラスター……非常に気になる楽曲です。

午後の紅茶CMタイアップ楽曲であるWhite Afternoonに小説版の彼女達が過ごす冬という重要な仕掛けを入れてきた以上、リアルイベントタイアップ楽曲であるキラキラスターにも何かが仕込まれていると考える方が妥当でしょう。しかし、今現在はアクセス手段が極端に限られている……。

 

頼む、ブシロード! キラキラスターの試聴動画でも何でもいいから聴かせてくれ!!

*1:なお、後者の夜は作中の描写から厳密には夕方から夜の間という曖昧さがあるので、僕としては前者のキーボードを初めて手にした夜を推したいところです。

*2:この曲は作詞が中村航先生ではなく上松範康氏であることに注意すべきところですが……。

*3:アニメ1期以降の花咲川女子学園の文化祭は6月に開催されますが、小説版の花咲川高校の文化祭は秋に行われるものです。

【キコニア】「AOUでは近親婚は認められていない」←それっておかしくねぇ?だってここAOUじゃん

ジェンダー描写にも優れたバランス感覚を見せる、今をときめくサウンドノベル、キコニアのなく頃に。その極致とも言えるのが同性婚についての描写でした。AOU同性婚において非常に先進的な価値観を採用しており、他陣営はしがらみに苦しんでいるという現状が説明されましたが、じゃあAOUがそのまま人権先進国と言えるのかというと必ずしもそうではないという反論も入れてきました。ジェンダーに限らず、キコニアではこうした各イシューを優れたバランス感覚で取り扱う筆致が随所に見られます。本作の傑作たる所以と言って良いでしょう。

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なるほど、AOUでは近親婚を認めていません。そういう側面があるのに、同性婚の一面だけで人権先進国ヅラするのは傲慢が過ぎるというわけです。

 

さて、この近親婚、本編における同性婚の話題で刺身のツマ程度の扱いで登場し、以降は特段触れられることはありませんでした。筆者も現時点でキコニアPhase1を3周していますが、その度にフーンと受け流してきました。

しかし、よく考えるとこの描写はおかしいのです。あまりにも違和感があると言わざるを得ないでしょう。

 

 

 

だって、AOUに家族いないじゃん!!!

 

 

 

まず、整理しましょう。キコニアの世界には大きく分けて2種類の生まれがあります。1つは、我々同様に両親が生物学的交尾をして誕生する、キコニア生まれ。もう1つは、AOUやACRが採用している、工場の孵化器に受精卵を送ることで誕生する、工場生まれ。AOUでは圧倒的に後者が多く、都雄のようなキコニア生まれはレアケースなのでした。そして、同年に同じ施設で生まれた者を”兄弟”と呼んでいます。兄弟に血の繋がりはありません。そして、工場生まれの子供たちは親の顔すら知らずに育っていくのがAOUにおける常識となっています。

つまり、あり得る近親婚は2種類です。

  • 同じキコニア生まれ家庭の子供同士の婚姻(B3Wにおける兄弟姉妹婚と同義)
  • 両方或いは片方が工場生まれで、偶然にも近親関係だった

もっと複雑化させることもできるでしょうが、その意義もないと考え、この2つに絞ります。

とはいえ、前者はレアケース中のレアケースです。キコニア生まれ自体が希少で、育児負担の大きさも認知されている中で2人以上を抱えようという家庭となるとAOUの人口が25億(推定)と言えど数えるほどの世帯数でしょう。勿論、法律というのはそういう数少ない事例にも対応できるように制定されるものですが、それを作中の描写として盛り込む必要があるでしょうか……。

後者に関しては、受精卵を生前に検査しているAOUであれば、近親相姦によって生まれ来る受精卵を廃棄することも可能なため、少なくとも生理学上の理由で禁止する必要はないものです。偶然に近親であったからと言って、結婚を禁止するでしょうか。或いは、禁止しなければいけない理由が何かあるのでしょうか。

 

B3Wにおいては、同性愛も近親愛も、自分が当事者でなかろうと、身近に当事者となる人間がいても全くおかしくない愛の形です。なので、同等に取り扱うことに何の異論もありません。ですが、A3WのAOUに限っては全く違います。同性愛に対して、近親愛が発生する可能性が極端に低すぎる。にもかかわらず冒頭の画像のように同等に取り扱う描写が行われている。この点に非常に強い違和感を感じてしまいます

誤解しないで頂きたいのは、AOUが近親婚を禁止していることが事実としておかしいというわけではないということです。A3WのAOUにおける近親婚というあまりにも希少過ぎる事例を敢えて持ち出すことに竜騎士07氏の強い意図を感じる、つまりは近親婚の描写自体、何かの伏線ではないかと思うのです。

 

余談になりますが、家族関連で言えば、AOUにおける姓の存在も極めて異質です。キコニア生まれの都雄はともかく、工場生まれの他のキャラクターにおける姓は文化的意味が違うはずです。とはいえ、これは兄弟の姓ということで説明がつきはします。ギュンヒルド・グスタフソンとマヤ・フォシュベリの姓が異なるという問題に関しても、どちらか片方が(或いは両方が)捨てられたキコニア生まれでさえあれば全く矛盾は生じないでしょう。

 

最後に、考察などとは到底呼べない、根拠薄弱な予想を披露させて頂きます。

個人的に、この近親婚の件はジェイデンに関連してくるのではないかと踏んでいます。ジェイデン自体、大変謎の多いキャラクターではありますが、ジェイデンの最終目的として、”ループを超えた世界”で都雄と兄弟になって生まれたい。そして、その上でミャオと結婚したいというものが考えられるためです。この最終目的に対して、近親婚の禁止は大きな足枷になります。

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この前のセリフに、「なあ、これはお前の望んだ世界なんだぜ」というものがあります(正確にはト書きですが)。兄弟がいなくて寂しい思いをしていた都雄のために自分自身が兄弟となること――そう解釈すると、ED周りのセリフはかなりスッキリ読み解けるように思います。

もっとも、キコニアのループ構造が明らかにできていない以上、ループを加味した予想は机上の空論に過ぎないものではあるのですが……。

 

(※追記)

近親婚のパターンについて、「キコニア生まれ家庭の親子婚」もあり得ることを完全に失念していました。いわゆる金蔵パターンです。何たる失態! ジェイデンについて絡めようとしていたので、兄弟にばかり注意が行っていたようです。

親子の関係がB3Wのそれよりも密なので、主に取り締まられている近親婚はこのパターンかもしれません。また、金蔵みたいな奴がいたせいで親子婚により誕生したキャラクターがいてもおかしくないので、伏線の可能性としても十分です。