本記事はぼくのキコニア考察および解釈の核とも言える内容です。
ふせったーのブラッシュアップ版であることに変わりはありませんが、ブログ媒体だと自由度も高いのである程度噛み砕いて書くこともできたかと思います。
- はじめに:A3Wのカメラについて考えよう
- 1. ディメコン爆発事故は、ディメコンで物体の取出・格納をする際の「矛盾した事実」を”観測”してしまうことが原因
- 2. 普段ディメコンで爆発事故が起きていないのは、セルコンが”観測”を妨害してくれるため
- 3. ディメンジョンコンテナとは、8MSを制御して物体の存在確率を制御する技術
- 4. 文明の終端とは、全人類がセルコンを通して見る”現実”を疑わなくなった世界
- 5. パンドラはセルコンを介することなく自在に8MSを制御できる脳
- 6. セシャトもパンドラである
はじめに:A3Wのカメラについて考えよう
突然ですが、A3Wにおける「カメラ」とは何でしょうか?
LATO平和会議において、藤治郎はB3W中期のレトロカメラを使用していました。この、おそらく我々がよく知るものであろうカメラは「博物館級」とまで表現されており、A3Wのカメラとは何かしらの点で別物であることが伺えます。一方、その後説明されたようにアイカメラが主流の地位を占めることもありませんでした。現に、藤治郎以外の記者達もカメラを「持っている」と描写されているのです。アイカメラでもなく、我々のよく知るカメラでもない……。
ここで関連してくるのはやはりセルコンでしょう。この世界観において、情報通信はセルコンを基盤として張り巡らされており、カメラも当然その例外ではないはずです。であれば、A3Wのカメラは「セルコンにより操作されるカメラ」と言い換えても良いのではないでしょうか。セルコンにより閲覧するために最適な形式で撮影ができるカメラというわけです。かがくの ちからって すげー!
しかし、そうなると途端にレトロカメラが怪しいものに変貌します。セルコンカメラが主流な中で敢えてレトロカメラを持ち出し、そこでディメコン爆発事故が発生したわけですから、ディメコン爆発事故の発生にはセルコンに由来しないカメラが必要だったと考えることも可能です。ここに、ディメコンの原理を紐解く鍵があるのではないか……ぼくはそう考えました。
また、ディメコンの事故原因は一般的に「異空間とのほんのわずかの誤差が紛れ込むことで、超々極小の対消滅反応に似たものが起こる」とされています。全体的にふわっとしており何が何やらという感じですが、”対消滅”だけがやけに具体的です。つまり、電子と陽電子のような、相反する性質のものが、衝突する現象だということです。
ところで、カメラは撮影器具としてだけでなく、観測器具として捉えることもできます。というより、我々のよく知るデジカメは、CCDセンサという観測器具を無数に配列することで実現しているものだったりします。
観測……相反する性質のもの……なく頃にシリーズ……。また、この概念を使う時が来たようですね。シュレディンガーの猫箱ですよ。
前置きが長くなりましたが、本記事では以下、順に仮説を立てていきます。見出しタイトルがそのまま仮説となっています。
1. ディメコン爆発事故は、ディメコンで物体の取出・格納をする際の「矛盾した事実」を”観測”してしまうことが原因
ディメコンは異空間と物体のやり取りをする技術とされています。つまり、物体をその場所に存在させたり、存在させなかったりさせている。この事実から”対消滅”とは何かを考えると、必然的に「物体が存在する可能性」と「物体が存在しない可能性」を同時に観測してしまうロジックエラーであると結論付けられます。うみねこでロジックエラーを起こすと密室でヱリカとイチャイチャできましたが、キコニアでは周囲を巻き込んだ爆発事故になってしまうのですね。
では、どうやって藤治郎はLATO平和会議テロにおいて爆発事故を引き起こせたのでしょうか。これについては未だに結論が出ていないところですが、現時点で2つ仮説が浮かんでいます。1つは同席していた劉天凱ら老人政治家に、藤治郎とは別の矛盾した可能性を観測してもらうというもの*1。もう1つは、藤治郎がレトロカメラとは別に撮影していたアイカメラによって、藤治郎1人で矛盾した事実を観測するというもの。どちらかと言えば、後者の方が有力だろうとは考えています。
2. 普段ディメコンで爆発事故が起きていないのは、セルコンが”観測”を妨害してくれるため
発想を転換しましょう。爆発事故の発生原因が”観測”にあるのならば、観測者がいなくなればいい。
ご覧のように、ディメコンはセルコンから起動されているわけですから、ディメコンはセルコン依存の技術です。ここで、よく考えてみましょう。セルコンがON状態の脳でディメコンを観測するということは、セルコンが見せたものをセルコンが見るという”自作自演”なのではないでしょうか。というより、それをもはや”観測”と呼べるかどうかすら疑わしいものです。脳にリアルな映像を投影することを可能にしているセルコンならば、その逆、ディメコン付近の映像を全て誤魔化すということも当然に可能です。全てのセルコンが、ディメコン付近の映像を誤魔化されていたらどうなるでしょう。そこから出入りする物体は、誰からも観測されない猫箱の猫のままでいられるのです。
3. ディメンジョンコンテナとは、8MSを制御して物体の存在確率を制御する技術
ここでようやくディメコンの正体について仮説が立ちます。1章および2章から考えて、必然的にこの結論になるのではないかと。
まず、セルコンがディメコンを観測妨害してくれると言っても、ディメコンが一切観測されなくなるわけでも何でもありません。藤治郎のようにレトロカメラを持ち出して観測しようとしてくる奇人はレアケースとしても、セルコンに対応できない老人や、セルコンをOFFにしている人物からは当然「生のディメコン」を観測されてしまいます。また、人間以外の動物からの観測も防げません。観測された瞬間、たちまちの内に猫箱の猫の生死は、生きている猫(存在している物体)か、死んでいる猫(存在していない物体)のどちらかに確定するのです。
とはいえ、結局のところ、事故原因は矛盾した事実の観測による対消滅でした。ですので、物体の存在確率が100%や0%になることはあり得ないにしても、それに近い存在確率になれば、爆発事故はほとんど起きないということになります。
この物体の存在確率を変化させる技術こそがディメコンであると言えます。存在確率ほぼ0%の物体をほぼ100%にする操作が取出、そして存在確率ほぼ100%の物体をほぼ0%にする操作が格納ということになります。
厳密に言えば、この確率操作を行っているのはセルコンと8MSであり、ディメコンというのはその一連の操作技術をラベリングしたものだと考えた方が良いでしょう*2。発動側のセルコンから8MSを介して存在確率を制御し、周囲のセルコンがその観測を妨害する。これがディメコンの全容です。
なお、念のために補足しておきますが、「物体の存在確率が100%や0%になることはあり得ない」というのはフィクションでも何でもなく、量子論的には我々の住む世界も同様です。とはいえ、むしろキコニア世界でなら、存在確率100%および0%があり得るのかもしれません。何しろ、絶対の魔女が遊びに来ているのですから……。
4. 文明の終端とは、全人類がセルコンを通して見る”現実”を疑わなくなった世界
今や、セルコンは若者を中心に市民権を獲得しています。劉天凱のような老人ともなるとセルコン自体に対応できずスマホ頼みではありますが、小此木のような中年層くらいであれば、セルコン技術そのものにはブツクサ文句を垂れつつも、ちゃっかり利用しているほどです。だって便利なんだもん。マリオの発明品に端を発した混乱によって文明は大打撃を受けましたが、もしもこのまま文明が発展し続ければ、このセルコン社会の傾向は加速していたでしょう。やがて老人世代が死に絶えた頃には、全人類がセルコンの恩恵を享受したかもしれません。
それはいうなれば、人類全体がセルコンを介して観測したものを、セルコンを介して共有する「一次ソースの無い世界」です。
たとえば、黄金の魔女が幻想殺人を起こした事件が起きたとします。この事件の映像は確かに撮影され、そして報道を経て世界中に拡散されていきます。
事件には目撃者だっているでしょう。しかし、目撃者達もセルコンを介してその事件現場を見ているのです。
「信じられないことに、あれは確かに黄金の魔女でしたです……」
「私も見ました><! あれは絶対に黄金の魔女でした~><!!」
「オラも確かに見たっぺよ。アレは本当に魔女だったっぺ」
「リリャの目に狂いはないニャーウ!!」
誰もが黄金の魔女を見ている上に、世界中の黄金の魔女に関する証言も全てが一致することになるでしょう。全ての観測に矛盾がない以上、誰もそれを疑うことがないのです。ベアトリーチェは”い”るんだよ。きひひひひ!
これが文明の終端ではないかと考えます。ひぐらしの主観トリックとうみねこの黄金郷のハイブリッド。セルコンを使えばそれが実現できてしまうのです。
文明の終端には、アイツが来る――。うみねこでは、ベアトリーチェや1986年の金蔵といった「存在しないものを存在させる」ために黄金の真実が使われていました。ところが、キコニアではその逆をやってくるのかもしれません。存在しているものを存在させないための黄金の真実。ディメコンと同様に観測が妨害されたなら? セルコンを利用している誰もがその観測に疑問を持たなくなった世界なら? 文明の終端にやって来たアイツはやりたい放題。誰からも知覚されることなく、セルコンで現実を見ているつもりのニンゲンたちを、煮るも焼くも抉りて殺すも思いのままというわけです。
同様のことを、ミニマムに実現したのがABN国際空港でのセシャトであったかと思います。カメラに細工をして、LATO勢の記憶にまで干渉をして、存在していたのに存在しなかったかのように現実を捻じ曲げてしまいました。
ところで、おかしいとは思わなかったでしょうか。軍事力、ジェンダー、情報倫理、生命倫理といった諸問題を絶妙のバランスで取り扱った本作が、こと若者賛美・老害叩きについてだけは異様なほど偏った筆致であったことを。何のことはありません。これも印象操作の一環です。どれだけ老害が汚く浅ましかろうと、セルコンに拒絶反応を示してくれる老害の全滅は、そのまま文明の終端に直結するのです。これが、デコイだよ、都雄。
5. パンドラはセルコンを介することなく自在に8MSを制御できる脳
さて、ぼくがこうも長々と考察をしてきたのは、元はと言えばディメコンからパンドラの正体に至れないかと思ったからです。やはり、考察はキャラクターを絡めたものでありたいものですからね。まず、コーシュカにディメコン適性がないのが、パンドラの性質に起因するからではないかと睨みました。その起点としてLATO平和会議テロのディメコン爆発事故を重視し、特にカメラに着目するところから、考察を進めてきました。
そして、考察によってディメコンはセルコンによる8MS制御および観測妨害を前提に実現する技術ではないかという仮説に至りました。であれば、ここで更にもう1つ仮説が立ちます。パンドラという奇跡の脳は、セルコンを介することなく8MS制御ができるのではないかというものです。
セルコンを介して8MSを制御するということであれば、ガントレットやリジェクションシールドも同様の技術です。しかし、この2つと違ってディメコンに限っては、セルコンを使わなくて良いことによる弊害が存在します。そう、ディメコンを観測できてしまうことです。これが故に、奇跡の脳を持ちながらディメコンを不得手としているのではないでしょうか。
ここでチェス盤をひっくり返すぜ! コーシュカを保有するギローイの立場から考えることにしましょう。コーシュカがセルコンを介さずにガントレットナイトの全能力を発揮できること自体は非常に魅力的です。紛れもなく、ガントレットナイトの新たな可能性を切り開くことになるでしょう。しかし、それは同時にとてつもない危険性を孕んでいます。セルコンを介しないコーシュカは常に「生のディメコン」を観測できてしまうわけで、それによるディメコン事故の大量発生のおそれがあります。であれば、セルコンを使わなくても全能力が発揮できるコーシュカに、敢えてセルコンを使ってもらう必要があります。
そのためのわにゃドラだったのです。
6. セシャトもパンドラである
これに関してはもはや説明は要らないでしょう。ここまでの考察と、ABN国際空港での振る舞い、そしてセシャトのキャラクターTIPSを照らし合わせるならば、そう結論づけるべきです。
加えて、マリカルメンのセルコン封じ電撃銃を受けながらガントレットを発動している描写が、その決め手となるでしょう。これも、セシャトが5章のような脳の性質を持っているからと考えなければ辻褄が合いません。