矛盾ケヴァット

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【バンドリ】「最後の扉」が開いた時に試される、牛込りみの矜持

Poppin'Partyと流動的な役割

Poppin'Partyは5人の役割が流動的に移り変わっていく集団です。

少し表現を変えて、固定的な役割を持たない集団と言い換えても良いでしょう。香澄が引っ張っていくだとか、沙綾が周囲を見守り支えるだとか、傾向と言えるものは勿論ありますが、それは決して不動のものではありません。アニメ1期で香澄が心折れた時には有咲が率先して引っ張る役目を果たしましたし、アニメ2期ではRASに修行しに行ったたえや文化祭の準備で忙しくしているりみに代わって香澄が作曲をしようとしていました。そうやって、1人がその責を負えなくなった時には、他のメンバーがそれをカバーし穴埋めしていくのがPoppin'Partyという集団なのです。

逆に言えば、役割を固定化しようとすると途端に不協和音を奏で始めるというのがPoppin'Partyの本質的弱点と言えます。これはもう、克服できる類のものではなく、おそらく今後永遠に向き合っていく課題でしょう。また、特にそれは「自分の役割」に対して固執する時、一人で問題を抱え込んでしまうという形で騒動を引き起こします。

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それが最も分かりやすく顕在化したのがバンドストーリー2章『二重の虹』でした。成績の下落を理由にポピパの活動を制限されたくないと考えた有咲が、教師を見返すのを自分だけの役割と考え、そればかりか、作詞は香澄の役割、作曲はりみの役割だからと、他メンバーの請うた助けを拒絶してしまいました。アニメ2期のたえの行動も同様に、和奏レイとの運命を好機と感じたたえが、最も欲していた経験をポピパに持ち帰れるのが自分だけの役割と考えたことがそもそもの原因と言えます。そして、いずれの問題も、自分だけで抱え込んだ役割を5人で分かち合うことによって、その解決を見てきました。

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この難解で精妙な概念を、極めて分かりやすく視覚化してくれた図像が、つい最近公式から投下されました。SEIKOコラボウォッチのデザインです。こんなお金の匂いしかしないコラボでこんな本質を凝縮したものが生まれることがあるのか!? と心底ビックリしましたが、兎にも角にも、この左端のポピパを表したデザインは非常に優れています。5人が不定形に交じり合いつつ、その完成形は常に円(CiRCLING)――ああ、いえ、正しくは5人を表した星が重なり合ったデザインなのですが、この5色を流動体だと敢えて曲解することで、極めてPoppin'Partyという集団を理解しやすくなるのです。

アニメ1期で香澄が挫折した時は、図像においてオレンジ色の面積が少なくなった状態だと言えます。しかし、そこで紫色を中心として他の4色がその空白を埋め合わせ、オレンジ色に元の力強さを取り戻させました。そのようにして、Poppin'Partyという完成形(CiRCLING)と他の4人の現状に合うように、自分の在り方を不定形に変えていくというのがポピパメンバーの役割の本質です。これだけを書くとPoppin'Partyは非常に窮屈な集団に思えますが、5人が共に成長していくことで、枠であるポピパというCiRCLING自体が輪を広げていくのです。周囲をキラキラドキドキに巻き込み、終わりのない形を拡大していくことで、Poppin'Partyは5人にとって最も安らげる居場所で在り続けています。

今更言うまでもないことなのですが、BanG Dream!は『バンドもの』です。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード……このコンテンツにはDJやトロンボーンなどの変わり種もいますが、本来バンドとはパートという固定的な役割があってこそ成立する集団です。そのバンドというフォーマットで、敢えて流動的な役割を描こうとしているのが、ポピパの物語における制作側の”意図”であると解釈しています。

 

「最後の扉」は、ポピパ全員の作曲により開かれる

随分と長い前置きになりましたが、このPoppin'Partyという集団の在り方を、最も深く理解している人物は間違いなく牛込りみです。アニメ2期において、たえが戻ってくること確信し、座して待ち、その時が来た瞬間に市ヶ谷家の蔵ではなくやまぶきベーカリーへと沙綾を迎えに直行した一連の行動は、ポピパの役割の流動性を理解していなければ絶対に起こし得ないものでした。彼女こそ、ポピパイズムの真の体現者と称されるべきでしょう。

ところが、まるで皮肉であるかのように、牛込りみはポピパ内において作曲という固定的な役割を背負っています。詞も含めて、ポピパの楽曲は5人がある程度共同作業をしながら完成させていくというのは何度か作中でも描写されましたが、それでも基本となるメロディラインはりみがそれなりの形に仕上げてから持ってきます。

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その”通例”とも言える作曲過程を打破したのが、アニメ2期において花園たえが作詞・作曲したReturnsでした。Returnsが披露されるまでの流れがあまりにドラマティックであったために目を逸らしがちですが、この瞬間、作曲がポピパにおける牛込りみの専売特許ではなくなりました*1。この直後に、たえとりみの負担を軽減しようと作曲に挑戦していた香澄もDreamers Go!を完成させ、あっという間に作曲者が3人に増えてしまいました。そう、流動的な役割を描くPoppin'Partyの物語において、作曲者という役割がまさに現在進行系で流動化している最中なのです。間近に迫ったアニメ3期か、或いはガルパのバンドストーリー3章かは分かりませんが、今後遠くない内に、間違いなく、有咲と沙綾も作曲を経験するでしょう。

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少なくとも、有咲については既にその伏線が張られています。画像の出典は『新しい季節、その前に』イベントの★2[有咲のセッション]市ヶ谷有咲の左エピソードです。かなり容易に入手できるカードなので(当該イベントをこなさなかった方でもミッシェルシールで獲得できます)、未読の方は御一読頂ければと思います。『二重の虹』でりみに迷惑をかけたことに罪悪感を覚えている有咲が、有咲らしく素直でない方法で罪滅ぼしをしようと目論んでおり、その手段がズバリ作曲なのです。『新しい季節、その前に』が2018年秋に開催されたイベントであることを考えると、むしろ有咲としては、たえと香澄に先を越されたと言っていいくらいです。有咲が作曲をする準備は、もう万全に整っています。

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小説版では、ポピパメンバー全員が作曲を経験し、そして文化祭ライブを前にして物語の幕を閉じました。以前の記事でも触れた通り、ここに来て直近のポピパ楽曲に小説版の影が見え始めていることを思うと、小説版ポピパの1つの到達点=全員の作曲に、現在のポピパが至るというのも美しいCiRCLINGであろうと思います。

ところで、上の画像は小説版BanG Dream!最終章の扉ページスクリーンショットです。出版用語で、本を開いて最初にタイトルが表示されているページや、各章を分ける区切りのページを『扉』と呼称します。つまり、このページこそ、小説版BanG Dream!における「最後の扉」です。これは『キラキラだとか夢だとか ~Sing Girls~』のCパートに登場する印象的なフレーズに接続します。

かたく閉ざされた 最後の(届かない)

とびら 解き放つものはなに?(それはなに?)

夢の地図を ぜんぶつなぎあわせて

”音楽(キズナ)”という 魔法の鍵を見つけること

キズナミュージック♪が高らかに歌うように、ポピパのキズナ=音楽です。そして、「最後の扉」には全員が音楽=キズナを作り上げた姿が刻まれている――ならば、その扉を解き放つものは、夢の地図=5人それぞれが未来を見据えて作り上げた楽曲を繋ぎ合わせることです。あと2人、有咲と沙綾が作曲(そしておそらく作詞も)を経験した時、1期以来の、そして小説版以来の最後の扉が開かれることになるでしょう。

 

ポピパ全員が作曲した時に、牛込りみに訪れる試練

5人が作曲を経験することは、おそらくポピパの1つの到達点です。それ自体は間違いなく喜ばしいことだとは思いますが、それは同時に作曲者という役割の完全な流動化をも意味します。これまではりみが一手に担っていたことを、全員ができるようになるわけですから、まさしく冒頭に示したPoppin'Partyの不定形な在り方を体現したものになるはずです。

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ところが、牛込りみの性格を考えれば、その状況は深刻なアイデンティティ・クライシスを引き起こしかねません。『バンドガールズ・オブ・ザ・デッド』で特に強く描写されましたが、牛込りみは今この状況で、自分は何ができるか・何をすべきかを常に考えている人物です。2期クライマックスにおいて沙綾を迎えに行った時も、1期3話で姉のピンチのためにきらきら星のベースラインを奏でた時も、ゾンビに扮した丸山彩に勇敢に立ち向かった時も、いつだって彼女は状況と周囲に合わせた最適な行動を模索していました*2。そんなりみにとって、ポピパの全員が作曲できるようになる状況は、もう自分が作曲しなくても良いのではないかと一歩引いてしまう危険性があるのです。

f:id:halkenborg:20191226221443j:plain因果応報というか何というか、最初期のイベント『りみのプレゼントソング』では、作詞という香澄の役割を奪っています。敬愛する姉・牛込ゆりに贈るバースデーソングであるからこそ、自分で作詞がしたい。その一心で、それこそ作詞という役割を流動化させたものでしたが、彼女のことですから、その逆もまたあり得ます。他のメンバーの意を汲んで、作曲の役割を譲る。それが続いてしまうと、Poppin'Partyの楽曲群において、牛込りみの色というのはどんどん失われていってしまうやもしれません。これまでは牛込りみのポピパイズムへの忠実さは非常に心強くポピパを支えてきましたが、ポピパイズムの体現者であるからこそ、役割の流動化が進行した際に個としての拠り所を喪失してしまう不安を孕んでいる人物でもあるのです。

したがって、Poppin'Partyの作曲者が5人になった時、それでもPoppin'Partyのメイン作曲者として居続けるための矜持を獲得すること――それが、「最後の扉」を開いた後に、牛込りみの物語における最大の試練になると予想されます。

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思えば、同様の壁にぶち当たったのが『ひたむきSong for me』でした。楽曲の制作に行き詰まったりみが、自身の楽曲を姉・牛込ゆり率いるグリグリ楽曲の劣化コピーのように感じ、思い詰めてしまったイベントです。これを「身近な作曲者の存在に気後れして一歩引いてしまったこと」くらいに抽象化すれば、今後危惧される牛込りみの試練と同根の課題であったと言えます。最終的に、このイベントでは沙綾の助言もあり、周囲の影響が今の自分を形成し、自らも周囲に影響を与えていることを確認し、りみは大きな成長を遂げました。

であれば、おそらくりみがその試練を乗り越える道筋も、ReturnsやDreamers Go!、そしてまだ見ぬ有咲や沙綾の生み出す楽曲に、4人が生み出す楽曲に、確かにりみの影響が宿っていることが確認されることになるものと思われます。その時に、牛込りみは本当の意味での作曲者としての矜持を手にするのではないでしょうか。影響し、影響され合う。それもまた、循環しながら新しい場所へ向かい続ける物語に違いありません

*1:無論、元来たえは即興で作曲できる人物でしたが、作中で描写されている範囲においてはポピパ楽曲にりみ以上の影響を持って反映されたことはなく、「りみが専売特許を失った瞬間」としてはReturnsの披露が最適だと認識しています。

*2:『バンドガールズ・オブ・ザ・デッド』は奥沢美咲が自身の主人公性への自覚に欠けていることを詳らかにしたイベントでもあり、異常な状況で素早く自身を主人公へと切り替えたりみとの対比が極めて鮮やかです。